2022年11月19日

チンピラと熟年

男と言えば若いころは渡哲也だった。彼は「裕次郎二世」として期待されていたが、日活のアクション映画ではチンビラ役がピッタリだった。そして極めつけは実在のヤクザ石川力夫の生涯を描いた、第一回東映作品「仁義の墓場」。この映画のキャッチコピーは「おれが死ぬ時はカラスだけが泣く」。なんて格好いいのだろう。昔の映画はね。

石川は29歳で刑務所の屋上から身を投げて死んだ。独房に残された日記帳にはこう書いてあった、「大笑い30年のバカ騒ぎ」。昭和29年1月29日、自ら幕を引いた破滅の人生を彼らしく結んだつもりかも知れない。この映画は渡哲也の病気療養後の第一作。「病み上がりで本調子ではなかったが、それがかえって幸いして石川の不気味な迫力をいやが上にも増大した(Wikipedia)」。

ひたむきで哀れなチンピラ役がよく似合う渡哲也も、いい歳になったらどうなるのか心配だった。それが刑事役として大成功。テレビドラマ「大都会シリーズ」「西部警察シリーズ」とヒットは続いた。それでも「この先は?」と心配は尽きない。しかし、テレビドラマ「熟年離婚」をみて、何をやっても似合う人だなと、認識を新たにした。

ところで、渡哲也主演のテレビドラマ「熟年離婚」とは、仕事一筋で生きてきた男がが定年退職を迎えると、長年連れ添ってきた妻から突然離婚を言い渡されてしまう。そんなシーンから始まる夫婦の物語。男は戸惑うが妻は自立した女性として、第二の人生を歩みたいと考えている。

離婚届という紙切れ1枚で35年もの結婚生活が消えるのかと、困惑する夫は妻を全く理解していなかった。心を開いて徹底的に話し合うこともなかったからだ。

我が家の場合は状況は違うが、お互いの無理解については同様だ。妻のP子は私に不満をもっているようだが、私だって同じである。ドラマと違って心の中で離婚をしたいと考えたのは私の方だった。
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しかし、解決しなければならない問題が山ほどあった。離婚に伴う膨大な手続き、住居をどうするか、少ない収入、資産を二つに分けて生活ができるのか等、いろいろだ。こんな時にテレビドラマ「熟年離婚」が放映された。比べてみればテレビの夫は、経済的にも家庭的にも恵まれている。それでもあれ程の問題がある。

我が家の喧嘩原因は双方が我を通そうとすることにある。しかし、P子は絶対に我を折らない。そこから導かれる結論は、ただ一つ。私が折れれば済むことだ。そもそも、離婚して一人で気楽に暮らせる筈がない。

こう考えて、絶対服従3年間でP子を優しい「お母さん」に作り変えてしまった。過ぎ去った3年は凄く短い。相手を変えたければ自分が変わればいいのか。あまりにも簡単に解決したので、破綻も早いのではないかと心配になった。こんな時には若いころ流行ったあの歌が聞こえてくる。いいじゃないの幸せならば・今が良けりゃ・楽しければ。
タグ:楽しい我家
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)
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