2022年12月03日

口と心は元気

60代のとき見知らぬ人からお爺ちゃんと呼ばれて気を悪くした。80代の今はどうだろう。何故か比べてみたくなった。身体が衰えたのは言うまでもないが心はどうだろうか。

およそ15年くらい前だろうか、先輩とこの様な話をした。
「ショックですね」
「何が?」
「私のことお爺ちゃんと呼ぶのですよ」
「誰が?」
「最近、コイのことが気になるので、池を見ていると、後ろから声をかけられたのです」
「何て?」
「お爺ちゃん、池の中に何かいるの? と聞くのです」
「あんたはお爺ちゃんなんだから当たり前だろう」
と先輩は断定。相変わらず大雑把な人だ。

「先輩もお爺ちゃんですよ。それでいいんですか?」
「俺はお爺ちゃんだよ。孫がいるからね。だけど他人からお爺ちゃんとは呼ばれたことないね」
「子供はともかくお婆さんから言われたくないですよね」
「おや!お婆ちゃんだったのか。お気の毒様」
「いえ、お婆ちゃんは歓迎ですが、お互いにお爺お婆と呼び合わなくてもいいと思うのですよ」
「じゃあ、なんと呼べばいいんだ」

「普通でいいですよ」
「ふつうって何だ?」
「例えば、青年が池を見ていたとします。青年さん、池の中で泳いでいるのは何ですかと聞きますか?」
「ちょと、すみません。とか、失礼ですが、とか呼びかけるよ。見知らぬ人には丁寧にな」
「そうでしょう。少年少女、青年、爺とか区別する必要はないのです。池を見ているのは私ひとりなのです」
「そんなこと気にするなんて、ホントにあんたはお爺ちゃんだね。だから言われるんだよ」

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このような訳で私は60代で太鼓判付きのお爺ちゃんとなった。あれから15年以上たった80代の私はどう見えるだろうか。自慢じゃないけど、この間に入院5回、癌関連手術3回、放射線治療1ヶ月半、そして最近3年間はほぼ巣ごもり状態だ。さぞかしヨボヨボと思われることだろう。

とこれがそれは大間違い。人に会うことは滅多にないが、会った人からは必ず「元気そうだね」と言われる。お世辞でも慰めでもない正直な印象と思う。外見はそう見えるらしい。事実、口と心は今までにないくらい元気なのだ。

人は生きている限り悩みから解放されることはない。しかし、今まで生きてきた中で一番悩みが少なくなっているから不思議だ。選択の余地が少なくなったせいかも知れない。

タグ:コロナ禍
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 人生全般
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