二十歳の私は生活に困って自衛隊入隊した。そして、新隊員教育終了前のある日突然、中卒程度の英語試験があった。成績上位15名の赴任先は一方的にK教育団と命じられた。そこで3ヶ月の業務用英語の訓練を受けることになった。
百点満点なのに23点以上が合格とは驚きだ。受験者120名の内、大部分がが20点前後に集中したドングリの背比べ。誰が上位15名に入るかは運次第と言っても過言ではない。5答択一試験だから何も知らなくても20%の正解がある。
高校に行く気がなかったので英語の勉強をしたことはない。ただ、アメリカ人二人と英語で文通していた。ZWYXコレスポンデンス協会という団体があり、ペンパルの紹介と手紙の翻訳をしてくれるのだ。翻訳された英文を書き写していただけだったが、少しは勉強になったかも知れない。ところで、80点程度の高得点の人も3名くらいたようだ。
その一人はA君だと思う。進学校として有名なR高校中退、勉強についていけなかったそうだ。それでも中学の英語はマスターしているはずだ。教育終了後、私と同じ現場に行った。その後、当時の教官から電話があり用事がすむと「ドロボーどうした?」と聞かれた。後で分かったことだが、A君には盗癖があり入隊後も時々やっていたらしい。
B君はS工業大学の出身のクリスチャン。いつも聖書と大きな辞書と教材を風呂敷に包んで持ち歩いていた。真面目な人だが、つまらないことに感心したり、反省したりする。ある日、同室のZ君が寝台にタオルを2本さげて大声で言った。「これは洗顔用、もう1枚はマスターベーション用」と。それを聞いたB君は「Zさんは正直で偉い」と感心し、「私なんか隠れてコソコソ」と反省していた。
C君は弁舌爽やかな人。心から英語が好きなようだ。いつもペラペラ喋りたいと言う感じだ。なぜかhaveをヒャブと発音する。私の聞き違いか、それが正しい発音かは分からない。以上A、B、Cの3人が80点くらいの人と思う。私を含めて残りの12人は押し並べて30点以下だったようだ。合格したのは翻訳書き写し文通のお陰かも知れない。
入隊当初はトラックの運転手になることを夢見ていたが思い直した。荷積みも荷下ろしもある。私の体力ではやっていけないかも知れない。運がついて英語訓練を受ける機会に恵まれたが、3ヶ月で就職の役に立てるのは無理。ここを英語勉強のスタートと決めた。義務教育なら中学1年からだから、8年遅れのスタートになってしまった。
教材はアメリカンランゲージコース、米空軍が作成した外国人向け教材。1960年当時としては珍しく内容の全てが録音されていた。ブースと呼ばれる英語学習室があり、間仕切りした個人学習スペースが数多く並んでいた。当時の日本では最先端をいく設備と聞いていた。
夜の自習時間に自由に使えるので大いに利用させてもらった。しかし、利用者は少なかった。ファイナル・チェック(訓練終了時の試験)はペーパーテストだけ。実技試験は英文タイプのみで英会話はなかった。
運に恵まれ、初歩の中学英語も分からないのに、給料をもらいながら3ヶ月間の集中訓練を受けられた。こんな機会は滅多にない。必要な機関があり、そこに送り込む訓練体制があれば、訓練を受ける人が絶対に必要であり、私もその一人。世の中は面白い。あちらこちらに想定外がある。
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