2023年02月18日

故郷の渋谷を想う

懐かしい故郷というけれど、故郷のない人は増えていると思う。私もその一人だ。生まれたのは1940年横浜の貸家、しかも幼児だったので記憶も殆ど無い。一応、小中学校時代を過ごした渋谷を故郷と感じているが、人手に渡ってしまったので帰れる場所ではない。故郷は知らぬ間に失われた。

60歳の秋、中島公園の近くに転居した。近くを散歩してみると、少年時代に見た渋谷の風景にそっくりな場所があり、とても懐かしく思った。

0abaraya.jpeg
遠くに見えるのが転居した私の住居。この道路は砂利道、真っ直ぐな筈なのに道路にはみ出た家がある。幼少期の暮らしを思い出した。今でもこんな所があるのかと驚いた。そして、懐かしさが胸に込み上げてきた。

0abaraya2.jpeg
こんな家がポツンと一軒だけある。子供の頃に住んだバラックを思い出し、とても懐かしい。ところで隠していたことがある。キーワードは生活保護、中卒、自衛隊である。この家との出会いが隠し事を書く切っ掛けとなった。恥じて隠そうとする思いより、懐かしく想う気持ちの方が強くなったのだ。これらを抜きにして自分の人生は語れない。

0gyoukei.jpeg
転居した初めての冬に撮った市電電停「行啓通」は住居より徒歩2分の場所にあった。昔住んでいた家も都電電停「青山車庫前」より2分程度の所にあった。写真を見るとタイムスリップして70年前の都電電停に立っているように感じる。傾いた小屋を中心に広がる雑然とした風景が、そう思わせる。私にとっては懐かしい風景でる。

0gokokujinja.jpeg
空襲で焼き尽くされた渋谷区では、焼け残った神社が子供達の遊び場だった。当時の家から近い順に金王八幡神社、氷川神社、明治神宮等にはよく遊びに行った。転居先のマンションの近くに弥彦神社、護国神社、水天宮があり懐かしく思った。ただ昔の渋谷とは違って神社で遊ぶ子等は少ない。

0touhou.jpeg
小学4年のとき洋画を観るのが大好きになった。それから5年間、古い洋画専門のテアトルSSに通い続けた。入場料が40円と格安なのが取り柄だ。家から20分程度歩いたと思う。歩いて映画に行くことが長い間の夢だった。中島公園を出て15分くらい歩けば映画館東宝公楽があると喜んだのは束の間、多くの映画館と同じように閉館した。

IMG_0088.jpeg
地下鉄の階段は電車が来るごとに風がきて涼しい。夏は兄弟3人で涼みに行った。焼けトタンのバラックは茹だるような暑さだから青山6丁目駅に避暑に行くのだ。地下鉄の利用者は階段に黙って座ってる3人を見て浮浪者と思ったかも知れない。地下鉄は乗らなくても生活の一部だった。

あばら家、砂利道、電停、神社、映画館、地下鉄駅、どれも幼少期の思い出に繋がる。21年前に転居した山鼻地区の風景は、私が故郷と思っている昔の渋谷の片隅に似ている部分があって懐かしい。渋谷で暮らして10年、その後帯広、岩沼、福岡等20回以上の転居、そして、現住所に落ち着いて21年、ここを故郷と定めるに不足はない。残念ながら地元から浮いている。いつも根無草(^-^;) ゴメン
タグ:札幌 渋谷
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(2) | 人生全般
この記事へのコメント
あ〜渋谷!私にとっては青春の思い出の街です。道産子で北海道から憧れの東京に渡ったのが18歳の時、それから5年東横線沿線のとある駅に住んでいました。通学や通勤の行きかえりに何かというと渋谷で遊んでしまう娘でした。田舎娘に見られたくなくて、背伸びしてたのもあって、疲れて結局は北海道に戻りました(汗)ところで、シニアネットの「歩こう会」のとき(10年くらい前)ご一緒した記憶があります。
Posted by alice at 2023年03月24日 08:44
1289石川
シニアネットの「歩こう会」懐かしいですね。
18歳から渋谷で遊んでいたとは羨ましいですね。
私が住んでいたのは15歳までです。
4年間青山を中心に表参道、円山辺りを新聞配達していたので、
何処に何があったかは分かるのですが、
遊んだことがないのです。映画にはよく行きました。
懐かしくて書いているのですが、
芋蔓式にいろいろ思い出しては楽しんでいます。
70も年前のことですが、不思議に思い出されます。
Posted by 石川 at 2023年03月27日 10:39
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: