普通の人は中学1年から英語の勉強を始めるが、私は20歳になってから始めた。教科書の表紙には
「American Language Course 航空幕僚監部」と書いてあった。米空軍の作成だから、この航空幕僚監部の6文字以外は全て英文の教科書である。中卒以来働きずくめで勉強には縁がなかったので凄く嬉しかった。だから、62年も前のことなのに冒頭のダイアログを今でも覚えている。
Does this bus go to the train station?
No, but I can give you a transfer.
What bus do I take?
Take the bus marked Central station.
Where do I get off?
I will let you know.
Thanks a lot.
Nat at all.
最初のダイアログは、こんな感じと記憶している。訓練方法、説明を含め教科書の全てが録音されていて学習マシンを使って自習できるようなシステムになっていた。教科書もテープも全てが英語なので中学の英語をサボっていた私には、雲を掴むような感じだった。聞いて覚えろと言われても最後の2行は繰り返し聴いてもタンクスアラット、ナレローとしか聞こえない。最近知ったことだが、テンクサラーッ、ナラローウが「ネイティブも驚いた画期的発音術」だそうだ。(「怖いくらい通じるカタカナ英語の法則」池谷裕二)
我が家は生活保護家庭なので最初から中学を出たら働くと決めていた。だから英語、数学とかの難しい勉強はしなかった。これで良いと思っていたが、給料をもらいながら勉強する機会を与えられたら気が変わった。中卒以来5年も職を転々としたのは肉体労働者として働く力がなかったからだ 。何とかして飯のタネにしたいとの思いが込み上げてきた。
3ヶ月の英語訓練は米兵と電話で情報の受け渡しをする仕事のためだった。現場に行っら会話能力も向上するかと楽しみにしていたが、直ぐに行き詰まってしまった。結局他の部署に配置転換され数ヶ月後に依願退職する羽目になった。
そのころ東京はオリンピック景気で働き口は色々あった。新橋の森ビルにあるインド通信東京支局でアルバイトをすることにした。支局長はロンドンから赴任したばかりの日本語ができない記者、そこで雑用することになった。苦労するかも知れないが英会話の勉強になるかもと期待した。
ところが、支局長はほとんど外回りの取材、留守番していても電話も訪問者も滅多にない。苦労も無いけれど勉強にはならなかった。その代わり一人で自由に使う時間がいっぱいあったから英語の勉強をした。
月給15,000円だが、職場の付き合いもないし、友人もいないので月5,000円は貯金できた。東京は奥が深い、世の中にこんな楽な仕事があるのかとビックリして喜んだ。欠点は健康保険、年金が無いこと。これでは定職にならないが、就職試験の勉強をするには最高の環境が与えられた。
冠婚葬祭、飲み会、その他あらゆる付き合いがないと凄く楽だし金も要らない。貯金が貯まったら夜間の英語学校に行くつもりだったが、オリンピック景気とか幸運に恵まれて1年もたたない内に定職に就くことができた。就職したら学校に行く必要もないし勉強も止めてしまった。就職のための勉強は職についた途端にゴールになってしまうのだ。本当はスタートポイントなのに飛んでもない勘違いをしていた。
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