2024年02月03日

「ゆきあかりin中島公園」の思い出

「ゆきあかりin中島公園」の思い出
私は札幌シニアネットと札幌彫刻美術館友の会の「名ばかり会員」。60代の頃は生き甲斐を感じ一生懸命やっていた。それが83歳の今になって好い思い出になっている。

「ゆきあかりin中島公園」誕生は2007年だった。今では冬のイベントとして定着したので、簡単に振り返ってみたい。いろいろと関わってきた初期の軌跡を辿ってみた。

2007年 第1回
中島公園管理事務所が阪神淡路大震災の犠牲者の冥福を祈ろうと企画し開催。2月17日(土)・18日(日)、イグルーが造られキャンドルを点灯。 これが「ゆきあかりin中島公園」の始まり。後付けだが1回目の「ゆきあかりin中島公園」。当時、私は「中島パフェ」 の写真を撮る為に歩き回っていた。
070217iguruu-thumbnail2.jpg
自由広場に作られたエスキモーのイグルー。

070217jiyuhiroba-thumbnail2.jpg
431個のキャンドルを点灯。メイン会場は自由広場。

2008年 第2回ゆきあかりin中島公園
公園を全体を利用する大がかりなイベントとなり、期間も1月下旬から2月上旬へと延長。大通公園にあって観光客に人気のホワイトイルミネーションが持ち込まれ池辺に点灯。
080126hmaruyoru-thumbnail2.jpg
菖蒲池東側に設置、殆ど人出がなく閑散としていた。

080210suberidai-thumbnail2.jpg
メイン会場の自由広場も閑散。意欲は感じられたが会場が分散され賑わいを作るのが難しかったかも知れない。

2009年 第3回ゆきあかりin中島公園
「さっぽろ雪まつり」に合わせて、2009年2月5日〜11日の間に雪まつり協賛行事として開催。冬期間閉鎖されている日本庭園も臨時開園し「ゆきあかり」を灯す。メイン会場を自由広場から9条広場へ、地下鉄駅隣接地に移したこともイベントとしての賑わい作りに有効だった。
090128kanban.jpg
主要園路(赤)はスノーキャンドル点灯、主に9条広場、日本庭園、豊平館、キタラ周辺で実施。
画像クリック=拡大、字が読めるようになる。

090122tirasi.jpg
9条広場、遊戯広場、パークホテル、キタラ等でいろいろなイベント実施。画像クリック=拡大、字が読めるようになる。私自身はこの辺りから山鼻及び中島公園地域の人たちと協力し合って活動することが多くなって来た。

2010年 第4回ゆきあかりin中島公園
9条広場(児童会館前)では雪の滑り台などが子供達に人気。地下鉄中島公園駅からキタラに向う園路にスノーキャンドル。キタラでは特別ライトアップ。パークホテルやノボテル札幌(当時)でも雪あかりやイルミネーション。

100201kitara.jpeg
札幌コンサートホール・キタラのイルミネーション。

100204kitara.jpeg
キタラ内部もライトアップ、外にも綺麗に反映した。
今年2024年も2月12日まで特別ライトアップが行われる。実施時間は午後5〜8時、毎日実施。

2011年 第5回ゆきあかりin中島公園
縦軸に9条広場からキタラ。横軸にパークホテルからノボテル札幌(当時)。それらが交差する「のびゆく子等」の像近くに「札幌彫刻美術館友の会」が初参加する「灯りと願いのターミナル」があり、現在に至っている。私も積極的に協力したが、2018年からは体調不良で断念した。
110212akanega.jpeg
彫刻友の会が担当する「灯りと願いのターミナル」は来場者が紙コップに願いや絵を描いてローソクの火を灯すイベント。参加者との交流もあり、楽しんでもらえたと思う。

110212akanega2.jpeg
明るいうちに来場者が次々に訪れ願い事を書いてくれた。

2012年 第6回ゆきあかりin中島公園
ほぼ前年と同じ方式だが、日本庭園が開放され雪あかりが灯った。リピーターから「今年は充実している」と評価されるようになった。9条広場、紙コップランタン、ゆきあかり街道、キタラ周辺等、一つ一つが着実に進化し、参加していても楽しかった。

120203cat.jpeg
道立文学館前には招き猫の雪像。

120210kotomo.jpeg
9条広場は地下鉄駅に隣接しているので大賑わい。

2013年 第7回ゆきあかりin中島公園
今年は三日間合計の来場者数は6,859人と去年の9,500人を下まわった。初日の悪天が影響したようだ。雪、時々吹雪だった。来場者より次のような感想が寄せられた。
「住民が一生懸命やって楽しむって面白い企画です」
「コンバンワなどの声かけなど感心して嬉かったです」

130209jikkou.jpg
このオブジェには、後援・協賛・協力団体名やゆきあかりin中島公園実行委員会参加団体名などが書かれている。

130209tomonokai .jpg
札幌彫刻美術館友の会ランタン。実行委員会には豊水地区第一町内会、豊水まちづくりセンター、地域力UP実行委員会、札幌彫刻美術館友の会、パークホテル、ノボテル札幌(当時)、キタホテル(当時)、文学館、キタラ、児童会館、体育センター、天文台、渡辺淳一文学館、シアターZOO等が参加している。後に札幌シニアネットも参加する。

2014年 第8回ゆきあかりin中島公園
期間は2014年2月7日より9日までの三日間。メイン会場は地下鉄中島公園駅3番口直結の中島児童会館や人形劇場こぐま座がある9条広場。三日間合計の推定来場者数は10,000人と今までの最高となった。

140207tentou.jpeg
16時53分、悪天の為ちょっと遅れて点灯式。まず地元小学生の「ゆきあかり灯し隊」が次々と灯を灯す。

140208yukiakari.jpeg
展望台「シンボルゆきあかり」よりの景観。昼は滑り台になって子供たちに大人気。

2014年12月1日 パイロットが空撮写真を提供
2010年前後の「ゆきあかりin中島公園」を中島公園上空からエアロスポーツ北海道のISHIDAさんが撮影。次のようなコメントを頂いた。一部抜粋、「数年前『さっぽろ雪まつり』の夜景を撮りに行った際、偶然、中島公園で光のアートを見つけ写真におさめました。何かのイベントであろうとネット検索し『中島パフェ』を発見、それが『ゆきあかりin中島公園』であることを知りました」。
kuusatu1200-f18e9.jpg
上の画像をクリックすると拡大、詳細が見える。

2015年 第9回ゆきあかりin中島公園
準備は1月下旬から始まる。「彩りの広場」造成、日本庭園会場造成、スノーランタン、ペットボトルキャンドル、アイスランタン作り、Goodjob制作等、事前に準備することも多い。今年一番の印象は日本庭園の「ゆきあかり」が素晴らしかったこと。築山の頂上には展望台も造られていた。

150206teien3-1b3a9-thumbnail2.jpg
冬期間の日本庭園に入れるのは「ゆきあかりin中島公園」の夜だけ。カップルで散策している人が多い。その次に多いのが一人で写真を撮っている人。私もその一人なので、お邪魔にならないように気をつけながら歩いていた。

150207bungaku1-thumbnail2.jpg
道立文学館前の雪像はいつも力作。これも芸術的。

2016年 第10回ゆきあかりin中島公園
第10回の節目を迎え益々充実。概略をテキストで説明。始まりは点灯に先立ちハンドベルの演奏。昼は滑り台になる展望台のスロープから点灯開始。報道陣の他にもアマチュア・カメラマンがいっぱい。昼は雪遊びコーナーになる児童会館前でも点灯。主役は可愛い子ども達。

少し離れたこぐま座前は「灯りと願いコーナー」。こちらではカップに点灯。願い事を書く紙コップ、筆記用具等はテントの中に用意されている。展望台(滑り台)の直ぐ近くでは移動販売車が飲食物を売っている。

160205yukiakari17-thumbnail2.jpg
地下鉄中島公園駅3番口裏にある「雪の迷路」。小さい子は迷うかも知れない。

綺麗な切り絵もいっぱいある。その他斬新な雪像などが展示されている。夜間は閉鎖中の日本庭園が開放されている。

160205yukiakari4-thumbnail2.jpg
築山の上に展望台があり、日本庭園全体を見渡せる。

2017年 第11回ゆきあかりin中島公園
個人的には今回を最後に実行委員を終了した。肺炎で入院したり風邪を引いたりで実質的な活動が出来なくなったからだ。今回は「名ばかり委員」で申し訳なく思い、協賛させて頂いた。周辺企業・団体に並んで個人サイトの「中島パフェ」が協賛とは僭越かなとも思ったが、体が動かなくても何らかの協力をしたかった。

170210suberidai.jpeg
展望台「シンボルゆきあかり」、昼は雪の滑り台に変わり子供たちに人気。

170210akanega.jpeg

札幌彫刻美術館友の会札幌シニアネットが担当する「灯りと願いのターミナル」。地下鉄中島公園駅3番口の直ぐそばにあり、内外の観光客に人気がある。

170210hata.jpeg

ズラリと並んだ両会の旗。何も出来ないけれど陰から細やかな応援。6年前、初めてやった時は風に吹かれてローソクが消えて困ったことを思い出す。その後、改良を重ね今回の姿になった。今は静養中だが、「ゆきあかりin中島公園」は私にとって大切な思い出の一つになっている。

続きを読む
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | その他

2023年11月11日

最良の判断

朝食をすまして最寄の市電電停へと向った。そのとき急に土砂降りの雨が降り始めた。凄い雨だ。歩いている人は傘もささずに走り始めた。私もようやく市電電停のひさしの下に潜り込んだ。電車がなかなか来ない。どうしたのだろう? ようやく来たが、だいぶ遅れているようだ。

電車に乗ると前方の雰囲気が刺々しい。少し不良っぽい、お洒落な女性が運転手に文句をいっているのだ。「遅いじゃない! 何で遅れるのさ。この電車、何時の電車なの!」
凄い剣幕だ。そばにいても少し怖い感じ。運転手さんは下を向いて黙っている。運転中だから前を向いていると思うけれど、そんな感じがした。
s160608ssnsiden4.jpg

運転手は毅然とした態度で対応すべきと思った。しかし女性は興奮している。毅然と興奮が渡り合ったらどうなるのだろうか。お客の加勢がない限り電車を走らすことは出来ないと思う。我々乗客は押し黙ったままだ。

突然、「バーン! チン」と凄い音にビックリした。彼女が力任せに降車ボタンを叩いたのだ。凄い迫力だ。全身から怒りを噴出している。停止すると運賃も払わないでバタバタ音をたてながら降りて行った。赤信号を無視して大またでスタスタ歩いて行った。気付いてみれば雨は止んでいた。

乗客一同、あっけに取られて棒立ち。運転手もダンマリ。一体どうしたことだろう。終戦直後の混乱した時代に逆戻りしたような感じだ。信号無視して颯爽と歩く後姿を見て、妙に感心してしまった。人間、迫力だなぁ。迫力さえあれば料金箱など素通りできるのだ。

ふと、こんな風に思った私も反省した。しかし料金を払わずに降りてしまうのは無賃乗車だ何らかの罪になるはずだ。だからといって運転手と暴力女性が喧嘩したら電車は動かない。これでは全線の客が困る。毅然とした対応とは口で言うのは簡単だが、安全と定時運行のためには無視した方が良い結果を得られるのかも知れない。

マニュアルはどうなっているのだろうか。マニュアルには「この規定にない状況が発生した場合は運転士の最良の判断に委ねる」とあるだろうか? もし、書いてあるなら暴力女性の件は、客に協力を求めるのも、あの場合には最良の判断と思うのだが。
タグ:札幌
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | その他

2023年10月21日

一人で2笑

ネット情報だが、日本の国連親善大使の方が世界平和を祈って各国の国連大使らにお茶をふるまったそうだ。茶の湯文化が世界の隅々に至るまで余すことなく伝われば、世界平和も夢ではないと考えたからだと思う。信念をもって平和のために行動する人は尊いと思う。
040704ocha.jpeg

そこで私も考えた。私が子供の頃笠置シズ子は「笑って暮らせばラッキーカムカム」と歌っていた。空襲の傷跡が残っている時代だった。貧しくても皆が笑って暮らせば平和は続く。そうなればいいなと思った。「ワッハッハ突撃!」とか「オホホ撃て!」では様にならないからね。

世の中は変わった。いつの間にか清き一票が平和に繋がらない世界になっていた。選挙の一票に限界があるのなら、笑って暮らして平和を呼び込みたい。茶の湯文化のように一つの手段となり得るかも知れない。

と言うことで、一人で2笑はどうだろう。例えば一人で二人を笑わせる、皆がそうしたら1ヶ月もすれば数えきれないほどになる。そう思いながら無い知恵シボって書いて見た。内気で冗談ひとつ言えない私に取っては、極めて高いハードルである。2笑を取るのはダメ元の試み。当たって砕けろ!

1995年頃は福岡で仕事、職場の懇親会からの帰り道。
「雨のようですね」とAさんが言った。
「降ってないよ」と誰かが否定。
「Aさんが降ってると言えば降ってる」
「何で?」
「Aさんは雨が一滴落ちても分かるんだ」
「何で?」
「見れば分かるだろう」
「あっ、そうか。毛が無いから直接当たる」
「そこまで言うな!」
Aさんとは私(>_<;)

「夜中にポタポタ音がするので、水道が漏っているのかなと思ったのよ。そしたら、トイレから水洗の音がジャー! あんたトイレにいたのね。アッ、ハッハッハッハ〜」
出にくくて悩んでるのに同居のP子は大笑い(>_<;)

運良くこれで2笑、更に運良く二人の方に笑って頂き、それぞれが2笑をとる。更に奇跡が起こり連鎖が続く。宝くじで三億円を当てる気持ちで祈っている。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | その他

2023年05月20日

一人でランチ

にこにこ️ 80代は毎日3食完全給食
「アンタはいいねぇ、いつも自分の部屋にいて、『ごはんだよ』と声をかければ食べに来て、食べ終わればさっさと帰るだけ。作って片付けるアタシは大変だよ。毎日3回もだからね」と愚痴られる。

何時からこうなったかと言えば、70代の末、80歳が見えたころからだ。舌癌がきっかけで入退院を繰り返し、それにコロナ禍も加わった。お陰で毎日3回完全給食になった。入院3回といっても、それぞれ1ヶ月程度だから殆ど自宅療養だ。3食昼寝付きだからとても有難いけれど気が引ける。
けんちん汁定食.jpeg
かなり昔だが、「私作る人、僕食べる人」と言うテレビのキャッチコピーが女性差別として批判を浴びた。このキャッチコピーは直ぐに中止されたが、私の心に今でも残っている。これを何とかして「ボク感謝して食べる人、アタシ喜んで作る人」と言う雰囲気に変えられないかと考えた。

そして、次のことを実行。ご飯だよと呼ばれたら直ちに駆けつける。頂きます、ご馳走様でしたと挨拶。そして、出来るだけ多く「これ美味しいですね」と言い、笑顔で話しながら残さず食べる。この程度のことは食べるだけの人としては当然だ。口で言うのは簡単だけど実行となると楽じゃない。いろいろあるけれど80代は3食完全給食時代が続いている。

にこにこ️ 60代の昼食は二人別々
在職時代は朝食は二人でとり、昼食の全てと夕食の一部は外食。退職してからは昼食だけ別々にとっている。いろいろなグループに所属していたので、グループでのランチが多かった。それはそれで楽しいけれど、一人で食べるのも好きだった。例えば、こんな食事をすることもある。

せっかく一人なのだから、そのとき食べたいものを自由に選ぶ。先ず、何を食べたいか胃袋に聞く。「ご飯」と言ったら一番欲しくなるのはおにぎりだ。「おむすび せんごくや」に行くと、カウンターで食べているのは女性ばかり。女性は実によく美味しいものを知っている。

牛丼の「吉野家」では男性が圧倒的に多い。牛丼のご飯とおむすびのご飯とでは、天と地ほどの差があることを男性は知らないのか。「せんごくや」で明太子のおむすびと豚汁を食べる。費用368円なり。ここの豚汁は実に美味い。

食後には甘味が欲しくなるが、幸い隣はアンコの美味しい「サザエ」だ。サザエのたい焼きは最高だが焼き立てに限る。冷えて皮が柔らかくなると味は半減、パリパリ感がなくては食べる気がしない。近くのベンチを利用する。お茶は「せんごくや」から紙コップに入れて持ってきてある。 

3メートルほどしか離れていないし、ゴミ箱も近いので紙コップを棄てるにも便利だ。費用115円。ベンチなどで食べたくないが、ここで知っている人に会ったことがない。便利で安全な食べ場所である。

最後はスターバックスのショート・ドリップ・コーヒー、費用290円。ここは全店内禁煙なので安心して入ることが出来る。しかも、一人で来ている人が多いので、なんとなく落ち着く。これが一人の私が気ままに食べたいものを食べる昼食。費用合計773円、ただし15年まえの料金。最近のインフレでどのくらい上がっただろうか。この3年間は外食は一切しなかったので知る由もない。

にこにこ️ 70代は移行期
何事も自然に任せれば変化もゆっくりだ。60代の昼食別々から80代の3食完全給食に至るまでの移行期は70代。少しずつ静かに変わって行った。今思えばこんな感じ。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | その他

2023年02月25日

奥さんの話

共同住宅に住んでいるので住民は1階の郵便受けまで新聞を取りに行く。朝5時半ごろに来るがときどき遅れることがある。たいていの人は部屋に帰って出直すが、私とAさんだけは帰らないで新聞が来るのを待っている。Aさんは私と同年輩でマンション管理についてよく勉強している。総会では積極的に発言するが普段は穏やかな話好きな人だ。

IMG_0134.jpeg

ロビーのソファに座って新聞を待っているのは二人だけなので、退屈凌ぎにいろいろな話をするようになった。たいていは近所の中島公園とか、いわゆる時の話題だが、その朝は珍しく奥さんの話になった。
「あの方が奥さんなのですね。先日ご一緒に歩いているのを初めて見ましたよ。綺麗な方ですね」
「何をおっしゃるのですか。顔は皺くちゃ頭は白髪です」

こういわれては返す言葉もない。「見ましたよ」だけでは愛想がないと思って「綺麗な方」を付け加えてしまったのだ。昔、尊敬する先輩がよく別れ際に「美人の奥さんによろしく」と言った。そのノリが移ったのかも知れない。返答に窮しているとAさんは話し始めた。

「家内は背が低く、年の割には顔が小さいのですよ。目がパッチリしているので、可愛いと言えば可愛いですね。だけど、髪が薄くダンゴッパナで皺があります」
「そうなんですか。ぜんぜん気づかなかったです」

「川柳で『老妻も角度変えれば美人なり』というのがありますが、これは本当だなと思いますよ。ところが、怒ると酷くて見ていられないですよ。ぶすっとしているからブスとか言いますが、ホントですね」
「川柳って面白いですね」
「私は家内の仏頂面が嫌いですから怒らすようなことは滅多にしません。家内が間違ったことを言っても逆らわないようにしています」
「そうですか。奥さん幸せですね」

「おや、新聞来たようですよ」とAさん。
「今朝は時間がたつのが早いですね」
「そうですか」
「ご馳走様」
「はぁ?… (>_<;)
タグ:ときめく
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | その他

2022年09月03日

さようならオシドリ

オシドリについてだが、今年の秋は今まで一番多いような気がする。しかし、あのカラフルで美しいオシドリの姿が全く見られない。この時期のオスは「エクリプス」と呼ばれる状態の羽毛へと変化しているので、メスと同じように地味な色をしている。しかし、10月頃になれば美しく変身するだろう。

オスが一斉に綺麗に変身すれば、中島公園の風景に彩りを添えてくれる。しかし現実は、そうなった試しがない。マガモは凍結するギリギリまで池で粘っているのに対し、オシドリはさっさと何処かへ飛び去ってしまうのだ。しかし今年こそ、カラフルで美しいオシドリのオスがあちこちで見られると期待している。

退院して久しぶりに中島公園を散歩するとアチコチにオシドリがいた。偶然撮ったこの写真にも3羽写っていた。手前の大きい2羽と石の上の1羽はオシドリだ。菖蒲池から鴨々川 まで至る所でオシドリが居たが、全部メス。一体カラフルで美しいオスは何処に行ってしまったのだろう。1羽も姿を現していない。

220825kamo5-thumbnail2.jpeg
左端下で正面を向いているのがマガモ。くちばしが黄色い。

だがこれは私の勘違い。非繁殖期である夏になり、エクリプスと呼ばれる状態の羽毛へと変化していたのだ。つまりオシドリはマガモ同様に、オスは繁殖期には美しい冬羽にしてメスにアッピールする。そして夏に近づけば夏羽に変わり、オス・メス同じ色になるが、見分けることはできる。

オシドリのオスはメスと違ってくちばしが赤い。上の写真はくちばしを見ても黒っぽいだけで色の違いがサッパリ分からない。今年の8月25日の撮影だが、うまく撮れていない。仕方がないので撮り溜めた過去の写真を使うことにした。

210906osidori9-thumbnail2.jpeg210906osidori9-thumbnail2.jpeg
2021年9月6日撮影 羽毛はメスと同じような地味な色。手前の1羽はメス。赤っぽいくちばしの2羽はオス。この日は中島公園に沢山のオシドリが来ていたので、都合よく並んでくれた。

210417osidori3-thumbnail2.jpeg
2021年4月17日撮影 くちばしが赤くカラフルなオシドリのオス。手前のメスはくちばしが黒っぽい。冬の繁殖期が終わっても6月頃までは冬羽のまま。メスと同じ色になり始めるのは7月ごろか?

210408osidorifufu-thumbnail2.jpeg
2021年4月8日撮影 上と同様、泳いでいるところも撮ってみた。撮り溜めた写真で判断すると、6月頃までのオスは綺麗な冬羽のままだった。私は見たままを書いているだけで、分からないことが多い。

210902osidori8.jpeg
2021年9月2日撮影 この時期は一部のオシドリが繁殖期に備えてカラフルで綺麗な冬羽への変化が見られる。

150911osidori5-thumbnail2.jpeg
2015年9月11日撮影 この時期になると徐々に冬羽へと生え変わる。頭部は中央から線状に羽毛が生え変わっていく。こんなヘアスタイルの洒落男を見たことがある。

150916osidori5-thumbnail2.jpeg
2015年9月16日撮影 9月中旬にもなると殆どのオスは羽毛が変化してきている。変化の程度はいくらか違う。  

10月中には次の画像のように綺麗になると思うのだが、その前に何処かへ飛び去っている場合も多い。せめて10月いっぱいは居て欲しい。菖蒲池が凍結した真冬に鴨々川 に来ることもあるのだが、数は少ない。春の雪解け時にはよく見かける。

150411osidori3-thumbnail2.jpeg

野鳥については殆ど知らないのだが、21年間中島公園を散歩して来た。居る、居ない、多い、少ない等、見た目で分かることについて書いてみた。

「さようなら」とは言いたくないが、池が凍結すれば水鳥は必ず去って行く。でもオシドリは去るのは早すぎる、せっかく綺麗に変身したのだから、マガモのようにギリギリまで居て美しい姿を見せて欲しい。そうすれば中島公園がもっと楽しくなる。 

210619oyako1-thumbnail2.jpeg
最後に参考としてオシドリ親子、母のくちばしが黒っぽい。夏にはオスもメスと同じ色の羽毛になるが、くちばしは赤っぽくなっている。

posted by 中波三郎 at 13:38| Comment(0) | その他

2022年06月01日

更新中止のお知らせ

訪問ありがとうございます。
入院するので、しばらく更新は中止します。
快復したら早速ブログの更新から始めたいと思います。
今後もよろしくお願い致します。
続きを読む
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(2) | その他

2022年01月01日

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。
昨年は手術した舌癌のリンパへの転移が疑われ、12月は3回の検査をしました。その結果、年明けの4日に4回目の検査を行うことになりました。年末の27日の入院予定がキャンセルされたので、一先ずは安心しています。

新年は、これからの抱負などを書いてみたいと思いましたが、次回に延期します。4日の検査結果を聞いてからにします。このような訳で、1月8日(土)に今年の予定などを、希望を含めて書きたいと思っています。

万一入院ということになっても、それはそれで良いことと思います。お医者さんたちが治してくれるのですから。今年もよろしくお願いいたします。

000101suitenguu.jpg
明治17(1884)年、社殿を現在地に建立。中島公園界隈で一番古い神社。後方に薄野の高層ビルが見える。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | その他

2020年09月04日

乙姫様

乙姫様とは深海竜宮病院で働くナースの総称
深海竜宮病院(仮名)では多数のナースのお世話になったが、皆、スラリとした若い女性だった。しかも、同じユニフォームを着ているので区別がつかない。仕方がないので皆まとめて乙姫様と呼ぶことにした。

夜中に苦しんで優しく看護してもらっても、翌日になると何方が対応してくれたか分からない。お礼の一言も口に出せなかったことが気になっている。

遠い昔を思い起こせば、日頃付き合いの薄いお婆さんを見分けるのは難しかった。服装、体格、眼鏡、髪の色で判別した。その他は全て纏めてお婆さんと呼ぶしかなかった。歳が大きく離れている人を見分けるのはホントに難しい。

スラリとして小顔、孫ほど若くて同じ服をきていたから、見分けるのは至難の業だった。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | その他

2019年05月04日

Gunfight at the O.K. Corral

「OK牧場の決闘」( 銃撃戦の結果
「霧笛が俺を呼んでいる」にしても「夜霧よ今夜も有難う」にしても、映画の筋書きと歌とは別物の感じだ。その点、「OK牧場の決闘」や「真昼の決闘」は違う。歌そのものがストーリーになっているから、歌っていると映画に登場するヒーローの気分になってしまう。ハゲで短足、自分勝手の弱虫なのに困ったものだ。

「OK牧場の決闘( Gunfight at the O.K. Corral)」は、1881年10月26日、かつては銀山の町として栄えたトゥームストーンのO.K. コラール付近の路上で起こった銃撃戦についての物語である。

コラールとは馬や牛などを入れる囲い場、牛や馬を一時的に預けたり繋いでおくために用いられる。私のイメージは駐車場である。映画のタイトルは直訳のまま「OKコラールの銃撃戦」がいいと思う。牧場ではないし決闘とも違うのだ。

保安官ワイアット・アープをヒーローとする映画として「荒野の決闘」「OK牧場の決闘」「ワイアット・アープ」の三本を観たが、銃撃戦シーンで一番リアルなのが「ワイアット・アープ」と思う。

と言うのは、実際の銃撃戦はコラール近くの路上で起こり、30秒で終わる。他の2作は銃撃戦場面が長い。娯楽映画として見せ場を作るために創作したのだと思う。実際の事件は保安官が武装解除を求めた際に偶発的に起きたのだと思う。もちろん、アープ家とクラントン家との確執があってのことだが。

この歌はワイアットの気持ちを歌っている。
……my back’s against the wall Have you no kind word to say before I ride away……
……If the Lord is my friend We’ll meet at the end of the gunfight at O.K.Corral……
この辺りがグッと来る、意味は分からないけれど何となく。

それなのに思わず力が入ってしまう。音痴だから変な力がね。普通の人の10倍は変に聞こえると思う。百倍かも知れない。誰も居ない所で一人で大声で歌ったら気持ちいいのに、人前で歌いたくなるから困ったものだ。か細い声で遠慮しながら歌っている。

銃撃戦の結果
ワイアット・アープ
ワイアット・アープ:保安官 無傷
ドク・ホリデイ:アープの友人 大腿部負傷
バージル・アープ:保安官で、アープの兄 右太腿負傷
モーガン・アープ:アープの弟 負傷

アイク・クラントン組
アイク・クラントン: 銃撃戦には不参加(逃走)
ビリー・クラントン:アイクの弟 死亡
フランク・マクローリー:アイクの友人 死亡
トム・マクローリー:フランクの弟 死亡
その他、銃撃戦中に逃走した者もいる。
(銃撃戦の結果はWikipedia情報の要約)
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | その他

2019年02月16日

荒野の決闘

荒野の決闘(My Darling Clementine)
音痴なのに歌が大好きだ。背景にある思い出や、物語が好きだから懐メロばかり歌っている。歌が好きと言うよりも昔を懐かしんでいるのかも知れない。一人で歌えばいいのに人前で歌いたくなるから困ったものだ。長い人生で下手は歌うなと叱られたのは1回だけ。30年たったら、ショボンとした思いは忘れてしまった。

先ず『荒野の決闘(My Darling Clementine)』について簡単に説明。「1946年のアメリカ映画。ジョン・フォード監督による西部劇映画の古典的な作品である。主演はヘンリー・フォンダ。OK牧場の決闘を題材としている。詩情溢れる西部劇の傑作として名高い。……アクション映画というよりも、ドラマとしての色彩が強い(Wikipedia)」。

この映画の登場人物、ワイアット・アープと言えば西部劇の英雄である。時代劇の国定忠治や鯉名の銀平よりも名が知られたヒーローだ。そしてアープが淡い恋心を抱いたのが、クレメンタイン・カーターである。その役を演じるのはキャシー・ダウンズ。彼女はファッション雑誌、ヴォーグのカバーモデルとして活動した美貌の人、として当時は知られていた。

Oh, My Darling Clementineを歌う時は、いつも- いとしのクレメインタイン (荒野の決闘)の場面が心に浮かぶ。そこには西部開拓時代の様子が風情豊かに描かれている。特にラストシーンが素晴らしい。問題が解決し落ち着きを取り戻したアープは、クレメンタインの頬にキスをし、握手をして馬に乗る。「実にいい名前だ。クレメンタイン」と告げ、何処かに去って行く。

歌うごとにこの情景が目に浮かぶ。ところがその後、私が観た『OK牧場の決闘(1957年)』にも『ワイアット・アープ(1964年)』にもクレメンタインは出ていない。言うまでもなく両方ともアープをヒーローとした作品である。

最近になってクレメンタイン・カーターは架空の人物と知ってガッカリした。そもそも『荒野の決闘』は『Frontier Marshal』のリメイクだそうだ。クレメンタインも役名こそ違うが同様の人物も出ていると言う。1939年の作品で日本未公開だから邦題はない。

オリジナルの詩では黒人女性と思われる恋人が泥酔して溺死して幽霊となる、という内容のもあるそうだ。どれもこれも架空の話のような気がする。そんなことだから、私としては『荒野の決闘』のクレメンタイン・カーターも実在と思いたい。その方が歌っていて気持ちがいいのだ。

ワイアット・アープを扱った映画は数多くあるがクレメンタイン・カーターのような人物が出てくるのは、『Frontier Marshal』と、そのリメイクである『荒野の決闘』だけらしい。曲に対応する詩は「雪山賛歌」等、いろいろあるが、映画『荒野の決闘』とは雰囲気が余りにも違う。

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | その他

2018年07月03日

「空白の22年間」9月より再開

「オンチのカラオケ」を4月1日に開設し、いまは「空白の22年間」と交互にアップしていますが、そろそろ自分史「空白の22年間」に戻りたいと思います。

9月には戻り、だいたい半年交代にしたいと考えていいます。両方とも長く続けたいテーマです。よろしくお願い致します。
posted by 中波三郎 at 05:24| Comment(0) | その他