2023年08月05日

寿命を使い切る

依然として巣ごもり中だが、15年前には泊まりがけで旅行にも行った。状況は色々変わるが、与えたれた環境の中で日々の暮らしを楽しんでいることには変わりない。

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「旅行大変楽しかったですよ。又行きたいですね」
「どこが楽しかったんだ」と、年下ながら仕事の先輩。
「Aさんと話したり、Bさんと笑ったり、Cさんと美味しいもの食べたり、Dさんとお酒呑んだり…」
「もういい! 何処に行ったのか聞いているんだよ」
「東北ですよ」
「あんたと話しているとホントにイライラするね。東北のどこへ行ったんだ」
「バスだけで800kmですよ。何処だか覚えていませんね」

もともと私は、この旅行を行く先の分からないミステリー旅行として参加した。はっきりと覚えているのはNHK前に7時50分集合することだけだった。

「どうせ千歳空港に行けば分かることじゃないか」
「分かりません。その為にアイポットを用意しました」
「なに?」
「イヤーフォーンで音楽を聴きながら行くので案内は聞こえません。私に取ってはミステリー旅行ですからね」
「何だと?」
「前の人の背中を見ながら歩けば目的地に着けるのです。これが団体旅行のメリットです」
「そんなの俺はごめんだね」
「着陸して初めて、そこが目的地だと分かるのです。感動も10倍! 料金は一緒ですよ。いい考えでしょう」
「長生きするよ」

あれから15年、私は男性の平均寿命を超えて82歳9ヶ月。先輩の予言が的中したが、超えただけではつまらない。楽しく日々を送りたい。幸い衣食住には心配がない。

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年を取ると少しずつ体が弱ると思っていたが大間違い、手術や治療で入院するごとにガタッガタッと段階的に弱るのだ。和田秀樹先生の『80歳の超え方』を読んだら「70歳以上のがんに関しては、私は手術することのリスクは大きいと考えています」と書いてあった。

元々この本はお母さん(妻)が買ってくれたもの。
「失敗ですね。80歳を超えたのに2回もガン手術してしまいました。オマケに放射線治療までね」
「そう、もっと早く買って上げればよかったね」
「後で好かったです。読めば迷うだけですよ」
「新しいのが出たので買ってきてあげる」

次は90歳の超え方かなと思って、手に取って見るとタイトルは『どうせ死ぬんだから』だった。サブタイトルには「好きなことだけやって寿命を使い切る」と書いてある。

「タイトルを一挙に変えましたね。ワクワクドキドキです」
「アンタの好きなゴロテレの勧めもあるよ」
「それは誤解です。映画館のように座って観ています」

今、興味あるのはテレビの音声が、テレビのスピーカーを通さずに直接補聴器に届く装置。どのぐらい聴こえるかは使ってみなければ分からない。補聴器店に相談すると無料で貸してくれるという。5万円程度と市販のより高めだが性能が第一だ。セリフが聴こえるようになるのなら是非ほしい。

難聴になって分かったことだが、人間の耳は長い時間をかけて必要な音が大きく聴こえるように出来ている。ところが、補聴器を使うと雑音のような要らない音が格段に大きく聞こえてくる。そして、大切なセリフが聴き取れなくなり、イライラして観る気がしなくなる。

和田先生は「どうせ死ぬんだから、好きなことだけやって寿命を使い切る」べきと言う。そして私の一番好きなことはドラマを観ること。10歳から日常的に映画を見て育ち、今はビデオで映画とテレビドラマを録画して鑑賞している。観る時は静かな環境でソファでなく映画館のような座席にきちんと座る。昔も今も映画など一人でドラマに集中している時間が一番楽しい。好きなことだけやって寿命を使い切りたい。

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有楽座で全階指定席、500円・300円、9時・1時半・6時 3回上映。私が子供の頃に行った渋谷の「テアトルSS」は古い洋画専門館で入場料40円。何回繰り返し観てもよかった。両隣の封切り館「テアトル渋谷」「テアトルハイツ」は120円程度だったと思う。こちらは滅多に行かないのでよく覚えていない。
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2023年07月15日

ヘソクリ

2023年1月30日に札幌市で回収された雑紙の中から1000万円発見された。2月の発表後に市民から我が家で出したゴミではないかとの問い合わせが続々とあった。しかし、持ち主の特定が出来ないまま、遺失物の保管期限3ヶ月を過ぎて市役所に所有権が移ったと言う。簡単に他人事と決め付けてはいけない。我が家のヘソクリは大丈夫だろうか?

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「アンタは無職で小遣い3万円、アタシも同じにしてよ」
当然の要求だ。自分は10分の1の百円亭主で当たり前と思う。家事についてはそのくらいしか働いていないから。

コロナ禍は去っても私の持病ほ続き、相変わらずの巣ごもり状態だ。というような訳で10年以上昔の話になるが、古い友人であるAさんの家を訪れた帰り道。
「Aさんの奥さんは歳を重ねても、きれいな方ですね」
「女はお金かければ、いくらでもきれいになれるんだよ」
お母さん(妻)の友人を褒めたつもりなのに機嫌が悪い。

「料理も美味しかったですよ」
「材料がよければ、いくらでも美味しくできるのっ!」
怒っている。全ては予算次第と言わんばかりだ。お母さんはAさんの奥さんと仲良しだし、ただの世間話のつもりだったが、なぜか反発してくる。

「能ある鷹は爪を隠す。アタシはそう思うんだ」
「爪?」
「そうだよ」
隠すのは尖ったものでなく、丸いモノでしょ」
親指と人差し指でマルを作る、
「悪い?」
「40年間も、よく隠せましたね」
「アンタには敵わないけどね」

以上は17年も前の話だが、ヘソクリはお互いに持っていることは今でも認めあっている。お互いに親兄弟や友人が居る。それぞれの付き合いには口では言えない事情もある。それぞれが自由気ままに使える金を持っていた方が良いと思っていた。今でもそう考えている。だが待てよ?

「札幌で資源ごみから現金1000万円が発見されましたね」
「多分ヘソクリだよ」
「お互い80歳を超えたし、見せっこしませんか?」
「見せたらヘソクリにならないよ」
「古い座布団を知らずにゴミに出したらまずいでしょ」
「ふーん、座布団か〜。座りごち悪いんじゃない」
「例えばの話ですよ。ゴミに出されちゃ勿体ないですよ」
「それじゃあ、隠し場所教えてよ」
「あまり期待しないでね。ポケットに入る程度だから」
「じゃあ、市の財産にもならないね」
「なんで?」
「見つけた人のポケットに入っちゃうよ」
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2023年07月08日

自由と二人連れ

人は一人でこの世に生まれ一人であの世に逝くと言うけれど、私の場合はそこに行く前に静かに幸せに生きる時間に恵まれた。それでも、人と交わり忙しく活動していた60代が懐かしい。多くの方々に親しく親切に接して頂き、今でも思い出しては感謝している。

ところで、お母さん(妻)に言わせると、私は常識の無い人だそうだ。しかし、世間の人から見れば、一応分別のあるシニアに見えていたと思う。仲間はずれにならない様に、普通の人に見えるように頑張っていたからだ。

玄関に靴や傘を置いているように、仮面も置いてある。それは靴と同じ様に雨天晴天に関わらず、外出するときは必ず付けて行く。この仮面を付けて出歩くのは、けっこう辛いものだ。自由が束縛されているような気がする。

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世間で「よくできた、常識人」と思われている人たちはどうなのだろうか。仮面と顔がビッタリとフィットして、痛痒を感じないのかもしれない。そうでなければ疲れ果てて、紳士などやってはいられないと思う。

一方私は仮面と顔がフィットしない人。いつまでたっても別々のままで戸惑っている。簡単に常識というけれど、世間の標準的な考えに自分を合わせるのは楽じゃない。人間という超精密機械をバラバラにして組み立て直すようなものだ。そんなことは不可能なので仮面をつけて外に行く。

「あんた、ウチに帰っても仮面をぬぐんじゃないよ」
「そうは行きません」
「なんでアタシだけ我慢しなきゃならないの!」
「そとづら仮面ですから家では無理です」

60代はいろいろやっていて忙しかった。知人も多く付き合いも多かった。公園を散歩していて、見知らぬ人から声をかけられることもあった。いつの間にか中島公園という狭い社会で知られる人になっていた。私は人生の殆どを下っ端として働いて来たので、思わぬ展開に有頂天になって動き過ぎてしまった。70代に入ると疲れが出て動きが鈍くなった。

動き回った60代、動から静へ移行した70代、そして80代に入り静かで穏やかな日々を送っている。生活スタイルは変わっても、何時も楽しく生きてきた。状況がどう変わっても自由があれば、それぞれに応じた幸せがあると思う。
ありがたや何時も自由と二人連れ
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2023年07月01日

二人暮らしは夢の世界

穏やかに暮らしたいのでお母さん(妻)には逆らわない。「アメリカ人は白人だね」と言われても「そうなんですか」と調子を合わす。テレビを見ていればロスアンジェルスがアメリカにあることが分かるし、街の様子を見れば白人が少ないことも分かる。昔は言う必要がないことを、いちいち説明して嫌われていた。そう言えばこんなこともあった。

その日は朝から自室に引きこもり、撮り溜めた画像の整理に没頭していた。一休みしに居間に行くと買物を頼まれてしまった。「パソコンばかりやっていると、肺炎になるからね。気晴らしに買物にでも行って来てちょうだい」。私は滅多に家事はしないが、頼まれれば断ったことはない。 

手渡された買物リストを読みもしないでポケットに入れスーパーSに行った。牛乳、卵、リンゴ、ジャガイモ、玉ねぎ、人参と買物は順調にに進んだ。最後にモチ2コと書いてあるが、どこにあるか分からない。店員に聞くと案内してくれ、「今はこれしかありません」と言った。そこには袋に入った「佐藤の切り餅」が積んであった。重そうだが引き受けてしまったのだから仕方がない。何とか頑張って家まで運んだ。

「ただいま! 重かったですよ」
「正月でもないのに、なによこれ?」
「モチは”佐藤の切り餅”しかなかったのですよ」
「何でこんなにいっぱい買ってくるのよ!」
「モチ2コと書いてありましたよ」
「スーパーSのモチと言えば、あのアン入りのモチに決まっているでしょ」
「大福と書いてくれれば分かったのですが…」
「言い方なんかどうでもいいの。考えれば分かるはずよ」
「中にアンコが入っているのをモチとは言わないでしょ」
「スーパーSでモチといえば、あのモチに決まってんの!」

二人暮らしでケンカをすれば、正しかろうと、間違っていようと、押し通した方が勝つ。まるで、正義が通らないアウトローの世界だ。こうなったら私に勝ち目はない。いくら正しい主張をしても、ここには裁判官の役目をする第三者はいないのだから、諦めるより仕方がない。しかし、そう思っても諦めきれず、再びパソコンの前に座り、このブログに愚痴を書いて憂さを晴らした。

今だったら「ごめんなさい、スーパーSでモチと言えばアレですね」と素直に謝る。お母さんは謝罪されるのが大好きだからニコニコして受けると思う。二人暮らしは夢の世界だから真実とか事実とかは重要ではない。ひたすら夢を追い続けて楽しく暮らしている。笑顔が何よりも薬になるからだ。歌にある様に、いいじゃないの楽しければ八分音符

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君は心の妻だから 実は → 座りマネキン
正解は隠し文字で書いた。お試しください。

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2023年05月13日

チョンマゲで景気回復(夢は正夢)

3年にわたるコロナ禍で借金に借金を重ねた日本の台所事情が危ない。無力の私にできることはないか一生懸命考えた。しかし、何も頭に浮かばない。だが待てよ、無力でも出来ることが一つある。それは夢を見ることだ。

「夢は正夢」と言う言葉もある。知識がないから筋の通った考えは浮かばない。いろいろ空想してたどりついた結論は明治時代に廃止されたチョンマゲの復活である。上手くいけば景気回復のきっかけになると思うのだが、どうだろうか?

先ず背景を考える。ハゲが差別用語かはギリギリのところにある。「禿頭症」と言い換えを迫ってい人さえいるほどだ。私は薄毛時代を含めるとハゲ歴50年のベテランだ。

にもかかわらず、20年前くらいからハゲも音痴も全く気にならなくなった。この二つは周囲の雰囲気次第で気にならなくなるものだ。決め手は周囲の環境であって自分の意思ではない。雰囲気さえ良ければハゲも音痴も気にならないものだ。懇親会もカラオケも気にせず楽しめる。

1968年のアメリカ映画『サルの惑星』を観ていて気付いたことがある。時間が経つにつれ猿の世界に慣れ、猿が普通で人間が動物の一種に見えてきたのだ。こんな試みはどうだろうか。ハゲばかり集めて映画を作る。3人ほど髪の毛のある人を出演させたら、同じような現象が起こるかも知れない。髪がフサフサな人を悪役にすれば効果抜群と思う。

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ところで、明治政府一番の失敗は明治4年発布の「断髪令」だと思いう。長い間続いた良き習慣を、欧米諸国に合わせて、あっさりと禁止してしまった。全く困った政府である。今さら髪型は自由だといわれても、一度失った習慣を元に戻すのは不可能に近い。まったく惜しいことをしたものだ。

古い話で恐縮だが「首都圏の女子大生に対して『髪の薄い男性は好きですか?』とのアンケート調査を行ったところ、『はい』が0%だった(道新2007年6月25日)」。好きといってくれた女子学生は、一人もいなかったのだ。善良な市民が何の落ち度もないのに、これほどの仕打ちを受けるとは驚きだ。明治政府の高官は「断髪令」を発令したとき、果たしてこのような事態を想定しただろか。

ローマ皇帝のシーザーはハゲを隠すため月桂冠を発明したそうだ。日本では武士から商人にに至るまで全員がチョンマゲを結える公平な習慣があったのだ。長い間続いたチョンマゲを止めるなんて、何と言う愚かなことをしたものだ。明治政府最大の失政である。チョンマゲをしていれば、髪が薄いか濃いかは問題にならなかったはずだ。ハゲだからといって女子大生に嫌われる必要はなかったのである。 

それだけではない。チョンマゲがもたらす経済効果は巨大だ。世界中の政治家が日本のチョンマゲを見て羨ましがり、世界各国で「チョンマゲ令」を発令されるかも知れない。ある調査によると、日本のハゲ人口は26%に対して、欧米は40%くらい占めると言う。政治家だけに限定すれば、更に跳ね上がるだろう。彼らが黙っているはずがない! 

そうなれば「髪結産業」は引っ張りだこだ。日本の髪結が世界中に進出して、景気回復の機関車の役目を果たすことも夢ではない。ハゲをカツラで隠すのではなく、全ての男性が頭を丸く剃ってしまうのだ。稀に見る逆転の発想、チョンマゲが疲弊した日本経済を救うかも知れない。

「馬鹿馬鹿しいけどジョークのつもりかい」
「夢です」
「実現性ゼロだね」
「夢は正夢、チョンマゲ時代にイギリスの洋服が世界中に普及すると誰が予想したでしょうか」
「チョンマゲは絶対無理」
「例えば、ドレスコードでチョンマゲとか」
「めんどくさいからダメ!」
「そこを老人力で何とか」
「メンドクサイことが大嫌い。それが老人なのだ!!」
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2023年05月06日

ユックリが大好き

私はユックリが大好きだから定年退職はとても嬉しかった。ただ自由になると、何もかも楽しくなるから大変だ。いろいろやって、いろいろ出会いがあって、楽しくてハシャギ過ぎて体調を崩した。そして、10年経ったら入退院を繰り返す羽目になり、心を入れ替えて静かにノンビリ暮らすことにした。この方が性に合っているような気がする。

ほとんど家事はしないが、朝食の紅茶は私がいれている。我が家の台所は狭いのでお母さん(妻)に「狭くないですか」と聞くと、キッパリと否定された。しばしば、ぶつかりそうになるが、私がいつもよけているので、お母さんは狭く感じないのだろう。私の台所滞在時間は一日10分程度だが、この狭さは気になって仕方がない。

夕べ、市内で夫婦で暮らしている息子が家に来て、そのまま泊まることになった。今朝は3人分の紅茶をいれなければならない。食器棚を見たがいつも使っている紅茶カップが見当たらない。

「ティーカップはどこですか」 
「食器棚に入っているよ」
「よく見たのですが、ありませんよ」
「どこ、見てんのよ! ここにあるじゃない」 
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「これは全部コーヒーカップですよ」
「そんなメンドウなこと言うから、何でも遅いんだよ!」 
「……」
「あんたみたいにノロマだったら、主婦は務まらないね」

在職中はノロマだから仕事はとても辛かった。チームワークだがノロマと思われたら誰もが一緒に働くのを嫌がる。だから機敏なフリをした。バレていなかったと思う。私よりもっと鈍そうな人がノロマと非難されていたから間違いない。本当は私の方が鈍いのだが機敏なフリが上手かったのだ。

現場では特に安全迅速な業務処理が求められていた。ノロマな私が逃れる唯一の解決法は現場から離れること。なんやかやと10年以上は現場を離れて事務室勤務等をしていたが、完全に現場を離れる道はない。8年間も職を転々とした半失業期の苦労を思うと退職する気にはなれない。不本意ながら定年退職まで偽りの人生を歩み続けた。

退職したらマイペースが夢だった。夢は実現したが、お母さんにまでノロマと非難される様になってしまった。しかし、ノロノロやるのはとても楽しい。同じことをしても急かされて早くやるのは苦しいが、ゆっくりやればとても楽しい。もう早いフリをしなくていいんだと思ったら、とても気分が楽になった。退職時の、この思いは一生わすれない。
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2023年04月29日

人生相談承ります

独りよがりの駄文を書くのが大好きだ。駄文のネタは難しい本から拾ってくる。今回は心理学である。「生存者バイアスは認知バイアスの一つ。特に、生き残らなかったサンプルを除外してしまうことを指す」。これをヒントに私が作った造語が「成功者バイアス」である。

テレビや新聞の人生相談は的外れの回答が多い。原因は回答者に成功者バイアスがかかっているからだ。いくら相談者の悩みを汲み取ろうと努力しても成功者バイアスが邪魔して理解を妨げる。つまり、成功者は過去の苦労が現在の成功に繋がっている。ところが相談者は苦労の真っ只中、前途の希望が全くない。お先真っ暗だ。これでは話が噛み合わない。

ということで、成功者バイアスが全く無い私が人生相談を承ることにした。あるネットの掲示板で相談を呼びかけたが、反応は一人だけだった。しかも昔の職場の後輩だ。優しくて義理堅い人だから私を励ます為の相談かも知れない。しかし、そんなことは気にしない。初めてのお客さんとはそんなものだ。記念すべき一人目の相談者である。

どうも長年連れ添った奥さんとうまく行ってないらしい。私にも経験がある。今は楽しく暮らしている私として、いろいろ助言をしてあげたい。先ずは話を聞いてあげることにした。これが人生相談の第一歩だ。

「皮肉なことに奴隷の僕は、主人と呼ばれているんですよ」
「いいじゃないか。主人なんて夫の蔑称(別称)だ」
「二人暮らしは、どうしても主人対奴隷の関係になってしまうのです」
「と、言うと?」
「リーダーは一人じゃないとダメなのです」
「主人なんだろう。しっかししろよ」

「なりそこなったから、今は奴隷です」
「そうかい。思いつめない方がいいよ」
「恋の奴隷と言う歌があるでしょ。意味が分かります?」
「ノーコメント」

「モテる人は得ですね。私なんて奴隷です」
「恋の奴隷だろう」
「いえいえ、ただの奴隷です。ヒラです」
「無職なんだろう。役職にこだわるんじゃないよ」
「利口な奴隷になって主人を操ろうと思うんですよ」
「ずいぶん奴隷にこだわるね。勝手にしな」

「ところで、柳で暮らせと言う言葉がありますね」
「柳の下のホームレスかい?」
「風に逆らわずに受け流している柳は強風にも折れないでしょう。肩肘はらず、気楽に行こうと思います」
「中島公園では台風で一番よく折れて倒れたのが柳だよ」
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菖蒲池、鴨々川 沿いのヤナギが台風で次々と倒れた。

結局は雑談になってしまった。最初はこんなもんだろう。経験を重ねるうちに良い回答者になっていくものだ。そう思って待ち続けたが、3年後にもう一件相談があっただけだった。これについては以前のブログに載せたのでここでは省略。不本意ながら、これが私の人生相談の全てだ。

「俺も成功者だから人生相談には向かないね」
「先輩が成功者?」
「楽をしたいという長年の夢を叶えたからな」
「夢はそれだけですか?」
「他に何があるんだ」
「いろいろあるでしょ」
「俺に出来ることを教えてくれ」
「う〜ん… … (>_<;)コマッタ
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2023年03月25日

ただの子供じゃないんだよ

私の定年退職時、息子はすでに独立していたのでD子(妻)と二人暮らしになってしまった。退職当初は二人の間に、争いも摩擦もあったが、いつの間にか収まってしまった。特に話し合った訳ではなく少し工夫をしただけだった。

不機嫌な顔はあまり見たくないので、自室にこもり問題点を整理してみたら、一つのことが分かった。それはD子は家庭という職場の大先輩で自分は新人だということである。

私が外で働いている間に、D子は我が家に根を張ってしまったのだ。30年以上かけて張った根は深く隅々まで行き渡っている。根無しの私に勝てる見込みはない。

そこで大先輩をたてる新人になる決心をした。凝り性の私はその程度では満足せず、絶対服従の家来になった。家来だから自分の意見は口にしないで、命令を聞くだけである。

D子の命令は実に少ない。何もない日もあるので、私の仕事は一日平均30分くらいだ。お陰で自由時間はタップリある。毎日、心置きなく好きなことが出来るのだ。

家事のほとんどを自分の仕事として引受けてくれるので、感謝の言葉も自然に私の口から出る。これが笑顔の好循環の始まりとなり、穏やかで楽しい暮らしが続いている。

それでも会話がある以上は、行き違いもあり喧嘩になりそうなこともある。そんな時は直ちに謝る。これが「負けるが勝ち」の戦術。短期決戦は苦手なので出来るだけ早く手を挙げて損害を最小限に止める作戦である。

長い間一緒に暮らして分かったのはD子が裏表が無い正直な人であること。正直な人は自分も正直と思っている。そして、正直こそ一番大切と思っているのだから始末が悪い。正直なD子は自分が間違っていても気付かない。悪いのは自分ではなく私と決めつける。これが厄介なのだ。凄く強情で手が付けられない。

一方、私には人並みの裏表があるからD子には信頼されていない様だ。私が家来になったのはこの疑いを晴らす為だ。家来は何でも殿様の言う通りに実行する。これを繰り返すことにより信頼を得ることにした。しかし、家来と言っても何となくしっくりしない。働きが少なすぎて違和感を拭えないのだ。こんなことでは胸を張って家来とは言えない。

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ピッタシの関係を思いついた、それは母子である。D子がお母さんで私は子、年齢を除けばこの関係が一番自然で心地よい。それに、私だって中学生並みの手伝いはしている。そして、子供の仕事は勉強である。

このブログを書くのは国語の勉強。洋楽カラオケは音楽と英語の二刀流、毎日の散歩と週一のリハビリは保健体育だ。勉強の目的は認知症対策、80代を生き抜くためには重要な課題である。こんな風に大義名分も見つけた。ただの子供じゃないんだよ。エッヘン(・`ω´・)
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2023年02月18日

故郷の渋谷を想う

懐かしい故郷というけれど、故郷のない人は増えていると思う。私もその一人だ。生まれたのは1940年横浜の貸家、しかも幼児だったので記憶も殆ど無い。一応、小中学校時代を過ごした渋谷を故郷と感じているが、人手に渡ってしまったので帰れる場所ではない。故郷は知らぬ間に失われた。

60歳の秋、中島公園の近くに転居した。近くを散歩してみると、少年時代に見た渋谷の風景にそっくりな場所があり、とても懐かしく思った。

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遠くに見えるのが転居した私の住居。この道路は砂利道、真っ直ぐな筈なのに道路にはみ出た家がある。幼少期の暮らしを思い出した。今でもこんな所があるのかと驚いた。そして、懐かしさが胸に込み上げてきた。

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こんな家がポツンと一軒だけある。子供の頃に住んだバラックを思い出し、とても懐かしい。ところで隠していたことがある。キーワードは生活保護、中卒、自衛隊である。この家との出会いが隠し事を書く切っ掛けとなった。恥じて隠そうとする思いより、懐かしく想う気持ちの方が強くなったのだ。これらを抜きにして自分の人生は語れない。

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転居した初めての冬に撮った市電電停「行啓通」は住居より徒歩2分の場所にあった。昔住んでいた家も都電電停「青山車庫前」より2分程度の所にあった。写真を見るとタイムスリップして70年前の都電電停に立っているように感じる。傾いた小屋を中心に広がる雑然とした風景が、そう思わせる。私にとっては懐かしい風景でる。

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空襲で焼き尽くされた渋谷区では、焼け残った神社が子供達の遊び場だった。当時の家から近い順に金王八幡神社、氷川神社、明治神宮等にはよく遊びに行った。転居先のマンションの近くに弥彦神社、護国神社、水天宮があり懐かしく思った。ただ昔の渋谷とは違って神社で遊ぶ子等は少ない。

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小学4年のとき洋画を観るのが大好きになった。それから5年間、古い洋画専門のテアトルSSに通い続けた。入場料が40円と格安なのが取り柄だ。家から20分程度歩いたと思う。歩いて映画に行くことが長い間の夢だった。中島公園を出て15分くらい歩けば映画館東宝公楽があると喜んだのは束の間、多くの映画館と同じように閉館した。

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地下鉄の階段は電車が来るごとに風がきて涼しい。夏は兄弟3人で涼みに行った。焼けトタンのバラックは茹だるような暑さだから青山6丁目駅に避暑に行くのだ。地下鉄の利用者は階段に黙って座ってる3人を見て浮浪者と思ったかも知れない。地下鉄は乗らなくても生活の一部だった。

あばら家、砂利道、電停、神社、映画館、地下鉄駅、どれも幼少期の思い出に繋がる。21年前に転居した山鼻地区の風景は、私が故郷と思っている昔の渋谷の片隅に似ている部分があって懐かしい。渋谷で暮らして10年、その後帯広、岩沼、福岡等20回以上の転居、そして、現住所に落ち着いて21年、ここを故郷と定めるに不足はない。残念ながら地元から浮いている。いつも根無草(^-^;) ゴメン
タグ:札幌 渋谷
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2022年12月03日

口と心は元気

60代のとき見知らぬ人からお爺ちゃんと呼ばれて気を悪くした。80代の今はどうだろう。何故か比べてみたくなった。身体が衰えたのは言うまでもないが心はどうだろうか。

およそ15年くらい前だろうか、先輩とこの様な話をした。
「ショックですね」
「何が?」
「私のことお爺ちゃんと呼ぶのですよ」
「誰が?」
「最近、コイのことが気になるので、池を見ていると、後ろから声をかけられたのです」
「何て?」
「お爺ちゃん、池の中に何かいるの? と聞くのです」
「あんたはお爺ちゃんなんだから当たり前だろう」
と先輩は断定。相変わらず大雑把な人だ。

「先輩もお爺ちゃんですよ。それでいいんですか?」
「俺はお爺ちゃんだよ。孫がいるからね。だけど他人からお爺ちゃんとは呼ばれたことないね」
「子供はともかくお婆さんから言われたくないですよね」
「おや!お婆ちゃんだったのか。お気の毒様」
「いえ、お婆ちゃんは歓迎ですが、お互いにお爺お婆と呼び合わなくてもいいと思うのですよ」
「じゃあ、なんと呼べばいいんだ」

「普通でいいですよ」
「ふつうって何だ?」
「例えば、青年が池を見ていたとします。青年さん、池の中で泳いでいるのは何ですかと聞きますか?」
「ちょと、すみません。とか、失礼ですが、とか呼びかけるよ。見知らぬ人には丁寧にな」
「そうでしょう。少年少女、青年、爺とか区別する必要はないのです。池を見ているのは私ひとりなのです」
「そんなこと気にするなんて、ホントにあんたはお爺ちゃんだね。だから言われるんだよ」

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このような訳で私は60代で太鼓判付きのお爺ちゃんとなった。あれから15年以上たった80代の私はどう見えるだろうか。自慢じゃないけど、この間に入院5回、癌関連手術3回、放射線治療1ヶ月半、そして最近3年間はほぼ巣ごもり状態だ。さぞかしヨボヨボと思われることだろう。

とこれがそれは大間違い。人に会うことは滅多にないが、会った人からは必ず「元気そうだね」と言われる。お世辞でも慰めでもない正直な印象と思う。外見はそう見えるらしい。事実、口と心は今までにないくらい元気なのだ。

人は生きている限り悩みから解放されることはない。しかし、今まで生きてきた中で一番悩みが少なくなっているから不思議だ。選択の余地が少なくなったせいかも知れない。

タグ:コロナ禍
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2022年10月15日

トイレの神様

早いもので結婚して56年、夫婦二人暮らしになり25年、家の中で幸せを見つけて5年たった。長い間、幸せは外にあると思っていたが、内にもあることに気づいた。

もちろん、仕事の中で幸せを見つけられれば最高だが、仕事は苦手だった。だから、仕事以外で幸せを見つけようと出歩いていたが、何も見つからなかった。こんな風に、幸・不幸について考えていたら、30年ほど前のことを思い出した。

福岡で勤務していた頃だが、同僚の元気がない。ボソボソと次のように話してくれた。奥さんが亡くなった、調理師をしている娘さんが職場で大火傷をした。数日後、猫が車に轢かれて死んだと言って涙ぐんでいた。奥さんの死、娘さんの事故については淡々と話していたが、猫が死んだのが一番辛かったと嘆いていた。慰める言葉も見つからなかった。

妻への愛、娘への愛、猫への愛、それぞれの愛は深さが違うようだ。ところで、我が家の愛は意外な所にあった。トイレが近いので溢れるほどの愛を注いでもらっている。

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便座を開けて立って用を足す。毎回「愛」を見ながら放水している。ところが、書いてくれた人は後ろ向きに座って用を足す。見えるのはドアだけだ。私だけの為に飾ったのだろうか。いずれにしろ有難い話だ。

コロナ禍と癌の手術と治療で巣ごもり3年になると、こんなことでも幸せを感じるようになる。これはホンの一例で、自分の生き方を変えたのが幸せ感の土台になったと考える。と言っても誉められた話ではない、自分の身体が弱ってきて人に頼るようになったのだ。

幸せは感謝する心から始まった。感謝は相手に伝わって私に返ってくることを知った。私は仕事が苦手だから家の仕事(家事)も苦手だ。自分が苦手なことをしてくれる人に感謝した。喜んでやってくれれば更に感謝は深まる。

二人企業の社長の気分になって、仕事(家事)をする人に感謝して褒める。そして、苦情を言ってくれるように促す。その仕事が大変ならば、私が代わりましょうとも言った。自分は凄くズルイと思う。仕事を代われとは言われないことを知りながら、代わると言っている。

小さな用を足すごとに、目の前の書が目に入る。トイレの「愛」を私への愛と思っている。気がつけば、自分に都合のいい方に思い込む人になっていた。神が私を生き易い人に変えてくれたのかも知れない。
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2022年03月19日

パソコン落ちこぼれ

私にとってパソコンとは小うるさい古女房のようなものだ。その心は、自分は正しいと文句ばかり言って動こうとしない。初めて買ったのは1980年と早い。当時は「マイコンを使えこなせないサラリーマンは失格」とか雑誌等で盛んに煽っていた。しかし、その割に普及はしていなかった。マイコンとは マイクロコンピュタの略で、気持ちとしては「私のコンピュータ」である。ただ、NEC等、パーソナルコンピュータとして売り出したメーカーも少なくなかった。

買ったのはシャープMZK2E RAM領域32KB(MBの間違いではない)、本体とテープレコーダー(HDの代用)とキーボードが一体となっていた。凄く重かったので外装は鉄製と思う。別売りのプリンタも買ったので25万円もした。その時の月給は14万だった。苦しい家計をやりくりしている妻子の手前、一生懸命勉強したが何の役にも立たなかった。しかし、酒を止めることに成功した。その後、富士通、アップルと、時流に合わせて次々と買い換えた。

1995年に颯爽と登場したのがウィンドウズ95。マック・ファンとしては洟も引っ掛けなかった。それがコロリとウィンドウズに変えた理由は、エクセル98バージョンアップに、マックが直ぐに対応しなかったからだ。エクセル98のVBA(Visual Basic for Applications)を使うため、長年の友、マックを捨てたのである。正確にはMicrosoft Officeに搭載したVBAだが、エクセルしか使ったことのない私は、このように理解していた。VBAは私が初期に必死に勉強した、素人向けプロブラミングの知識を生かせるソフトだった。

職場で電卓を使って三日もかかる1ヶ月分の統計作業をVBAを使って5分で処理して、周囲をアッと言わせた。この快感は忘れられない。しかし、それも束の間、私の「計算処理プログラム」は、作るのに半年もかかり、他の仕事には全く応用できない代物だった。だけど面白かった。お陰で酒も止められた。暇な時間を全てプログラミングに注いだからね。

最近、20年間はパソコンの勉強は嫌々やっている。やらなければ、ホームページやブログの更新が出来ないから仕方がない。この10年間は、パソコンの勉強は全くやらなくなった。分からないことはオンライン.サポートに頼っているが、上手くは行かない。トラブル続きで何も分からなくなってしまったし、やる気も湧かない。それでも情報発信したい気持ちが残っているので更新し続けている。

「パソコン役に立った?」と聞かれれば、酒やめられたとしか答えようがない。お陰で81歳まで生き延びられた。きっかけを作ってくれたパソコンに感謝!
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