2018年02月03日

天国の百万円アパート

マンションはアメリカでは一戸建ての豪邸の意味だと言う。ビル型の共同住宅ならワンフロア占有の豪華なものでなければマンションとは呼ばないそうだ。それでは、私の住んでいるマンションは何と言うのだろう?

コンドミニアムだそうだ。愚かな私はその方が高級と思っていた。芸能人などが「休暇はハワイのコンドミニアムで過ごします」とか言うからだ。近所の「佐藤マンション」などは、ボロボロで倒れそうな木造モルタル作りだ。アパートとマンションの違いはどこにあるのだろうか。いろいろ考えていたら昔のことを思い出した。

1953年、渋谷の宮益坂に11階建ての宮益坂ビルディングが建ち、分譲価格は百万円の豪華マンションとして評判になった。日本初の分譲マンションには今では考えられない従業員が配置されていた。それは青い制服に白手袋をしたエレベーターガールである。当時は「天国の百万円アパート」と呼ばれていた。

実はその「天国」に入ったことがある。そこはアイドル歌手の住む部屋だった。アルバイトで「ふすま」の張替えに行ったのだ。中学生だった妹が弁当の差し入れに来た。こんなことは初めてだ。アイドルの部屋を覗きに来たに違いない。あまり自慢にはならないが、私が貼り替えたふすまが芸能雑誌「週間明星」の片隅に載った。

アイドルが「お母さん、このふすまの柄はよくないですね」と言っていた。母子の背景には私が心を込めて張り替えたふすまが写っていた。一生に一度の珍事である。「今は幸せかい」を歌うたびに思い出す。このビルが渋谷のマンションの走りで、その後に建った安アパートは何々マンションというような名前が多くなった。

我家の前にも木造モルタル2階建ての「金一マンション」と言うような名のアパートが建った。マンションと言う名がなぜ定着したのだろうか。語源である英語では豪邸と知ってからは、マンションに住んでいると言いにくくなった。「日本語ではアパートよりも大型の共同住宅を表す一般名詞」とされているのにね。

その豪華マンションのエレベーターだが、職人やアルバイトなどは乗れない。それなのに間取りは6畳と4畳半の和室の2DK。何ともアンバランスなことだ。今の私はこんな狭い所にお金持ちが住んでいたのかと、思わず笑ってしまうのだ。

渋谷区宮益坂に建った日本初のマンションは建て替えのため取り壊されるそうだ。私が13歳のときに誕生した「天国の百万円アパート」は一足お先に天国に行く。あのような豪華な建造物が、私の寿命より短い使い捨てとは驚きだ。

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タグ:渋谷
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2018年01月27日

空白の22年間

幼児の私はどんな顔、そして少年の時はどうだったのだろうか? 写真は無いし、見せてくれる人も居ない。ただ零歳時の母子写真1枚だけは大切に持っている。私の存在を示す唯一の物証である。年をとるにつれ、それに続く空白の22年間が気になって来た。

23歳の頃だがアルバムを含む荷物を東京の人に預けて、遥か彼方の北海道へと旅立って行った。預けられた人にとっては迷惑千万な話である。東京の小さな建具屋さんの家で、1階は仕事部屋と夫婦が住む部屋、2階は子供部屋と貸間という間取りだった。暮らし向きは貧しく6畳一間の家賃6000円を生活費のたしにしていたようだ。

やっと定職に就いたばかりの時だが兄と二人で借り、3000円ずつ負担していた。私の月給は1万円余りだから食うのに精いっぱいだった。それなのに兄は部屋を出た。何の前触れもなくある日突然いなくなり何の連絡もない。もちろん家賃も払って行かない。

にっちもさっちも行かなくなり6畳一間の同僚の部屋に転がり込んだ。狭いので生活の為の最小限の荷物しか持ち込めない。他の荷物は大家さんに一時預かりをお願いした。

大家さんにしてみれば間借人が二人そろって、何の価値もない荷物を置いて出て行ってしまったのだ。おまけに預けっぱなしで何十年も何の連絡もない。一方私は目の前の生活に追われて、昔預けた荷物のことなどすっかり忘れていた。

職に就いて20年もたつと生活も安定し昔を懐かしむ余裕がでてきた。そして大家さんに預けたアルバムのことを思い出した。しかし一言の連絡もしないで長い間放置していた。今更ノコノコと行ける訳がない。第一住所氏名も電話番号も知らない。一生懸命探して見つけたとしても、荷物は処分されたかも知れない。

その後もアルバムを見たい思いは募るばかりだ。しかし探して見つかったとしても三日くらい楽しむだけだろう。無い物は貴重に見えるが、手にした途端に普通の物に変わってしまう。あれこれ想像していた方が楽しいかも知れない。

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タグ:都内某所
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2017年11月18日

本当は凄いんだ

私は才能に溢れた人間だが、それは何処かに隠れていて未だに見つからない。仕事が苦手で苦労したし趣味は「下手の横好き一本鎗」。そんな人生だが振り返ってみた。1940年出生、3億といわれる精子の中で一番強くてたくましい個体として選ばれ、この世に生まれた。唯、それだけで素晴らしい。みんなそう言っている。家のトイレにも張り付けてあるので1日に何回も見ている。一応、生まれることに成功したと胸を張って言えると思う。
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1955年中学卒業に成功した。「世界では約7億8,100万人の成人が読み書きができない」と言われている。それなのに何の努力もしないで中学を卒業し、読み書きができて九九も暗唱できるのだ。もし読み書きと金勘定が出来なければ最低限の暮らしさえ維持できない。よく考えれば中学卒業とは素晴らしいことだ。

1963年定職に就くことに成功した。お陰で衣食足りて家族を作り家も建てた。電話も付けたし車も買った。これこそ子供の頃には予想もできなかった大成功! 2001年定年退職して年金をもらうことに成功、長年の夢が現実となった。

2017年喜寿まで生き延びることに成功、予想をはるかに超えて、還暦、古希はおろか喜寿に至る。極めて目出度い。これほど幸せな老後を迎えるとは夢にも思わなかった。このように成功街道まっしぐらの人生だったが、一つだけ失敗したことがある。

それは自分の才能を見つけ出せなかったこと。3億個の精子の中から選ばれて、この世に出てきたのだから何か優れた点があるはずだ。才能はあるのに見いだせない。こんな悔しいことはない。100歳まで生きるとしても残りは33%、しかも高齢、状況は極めて悪くなっている。探せば絶対にあるはずなのに諦めることにした。苦渋の決断である。

こうして才能と言う宝は体内に埋まったまま、私と一緒に墓場に行くことになった。あらゆる手を尽くして探したが見つからない。仕方がないから下手の横好きで歌っている。しかし、それは仮の姿。本当は私って凄いんだ。とか言っら信じてくれるかな?

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2017年11月04日

老人力がついた

赤瀬川先生が20年前に提唱した老人力が私にもついた。歳だ認知だと言われるより老人力がついたと言われた方が気分がいい。スポーツ、ゲーム、カラオケ、何をやっても劣っているのに、自分は頭がいいと思い込んでいる。老人力の成せる技だ。

そう思い込むにはそれなりの理由がある。高校も大学も行かなかったので頭のいい人と机を並べて競った経験がない。そのため勉強で人に負けたことがないのだ。もちろん勝ったこともないが、これでいいのだ。老人力の最強アイテムは良いとこ取りだから。

未だに勉強だけは「やれば出来る」と思い込んでいる。やらないからそう思い続けることが出来るのだ。実はホンの少しだが勉強したいと思う時期があった。安定した職について飯が食えるようになった24歳のときだった。

法律の勉強をしたくて通信教育を受けた。しかしレポートを提出しても添削もしないで「立派なレポートです」とか一行書いて送り返して来るだけだった。それに比べての話だが老人になってから2年ばかり新聞にコラムを書いていた。その時は修正・削除・訂正が山ほどあった。担当者に直してもらっていたのに原稿料はキチンと振り込まれた。

ところが通信教育ではお金を払っているのにレポートを読んだ形跡がない。闇の中だから何事も疎かにされる。一方、コラムの執筆は公開されるので疎かにはできない。同じように一生懸命書いても相手の都合でずいぶん差があるものだ。通信教育は1ヶ月で止めた。長い人生の中では一瞬の勉強体験だった。

教養が無いだけならいいけれど、運動・碁将棋麻雀、勝ち負け・順位等、客観評価を伴うものは全部ダメだ。とりあえず歌って楽しく暮らしたい。音痴だが老人力で恥を緩和させている。この力をパワーアップして更に高いステージを目指す計画がある。頭がいいから何でも考えられるのだ。自慢してゴメン。

百歳になったらのど自慢に出るのだ。高齢者には別枠があるらしい。昔なら80歳くらいでよかったが高齢化が進んだので三桁は必要と思う。百歳なら立って歌えれば充分だ。身体の方は自然に衰えるので、せめて老人力だけでも精一杯働かせて一段上のステージを狙いたい。生かされいることに感謝しつつ夢想している。

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2017年01月01日

2017年1月1日『空白の22年間』開設について

2017年1月1日『空白の22年間』開設について

もし私に親友がいれば、やりたいことがあります。
それは夢や希望を語り合って心を通わせることです。
家族はいても人生を語り合うことはありません。
腹いっぱい食べていますが心のビタミンは足りないのです。

衣食足りて60年たったら精神的にもビタミンが欲しくなりました。
その様な訳で、心の栄養を求めて55年の時空を超える旅に出ます。
と言っても仮想の旅、ブログを書きながら空白の22年をたどりたいと思います。
個人的な楽しみで書いていますが、ご一読下されば嬉しく思います。

毎週土曜更新で第1回は1月7日、タイトルは「生い立ち」です。
ご訪問をお待ちします。

中波三郎(仮名)
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