2019年09月14日

ゴミ捨ては辛いよ

25年間も全く別の世界で暮らしていた二人が偶然の出会いで結婚する。それが当然と思って何も考えずに年を取る。退職して家でゴロゴロ二人暮らし。そして、些細なことでも喧嘩するようにになる。それでは人生は楽しくない。平等とか思うからいけないのだ。そんなことは有り得ない。今まで主人だった私は家来になる決心をした。

二人居る以上は上下関係が必要だ。一番いい上下関係は親子と思う。それで私は子供になることにした。子供は凄く楽だ、お母さんにご飯とか家事一切やってもらって勉強してればよい。私はもう18年もやっている。子供の唯一の仕事はお母さんの言いつけを守ること。そうすれば叱られることもない。お母さんの尻の下で何不自由なく暮らせる。

ここで呼び方について少し説明、子供が家を出て二人暮らしになった時、お母さんと呼ぶことに違和感を感じた。それで名前で呼び合うことを提案したら一蹴された。しかし、今は喜んでいる。子供役の私にピッタリの呼び方である。

私がお母さんに言いつけられている仕事は朝のゴミ出しである。ゴミ出しは凄く厳しい仕事だ。他に何もやってないからね(笑)。共同住宅に住んでいるから、やたらに知ってるような知らない様な人に会うのだ。挨拶するのがもの凄く難しい。

昔は好かったとか言っても始まらない。今は挨拶するかしないか、顔を合わせるごとに判断を迫られる。これは案外つらい。この辛さから逃れるのは簡単だ。人に会わなければいいのだ。人に会わないテクニックを身に付けることにした。

我室は4階にある。先ず、乗るべきエレベーターが1階にあることを確認する。90%以上の確率で箱はカラである。問題は4階を通過する場合、人が乗っていれば好いのだが、カラの場合は上に行った箱は誰かを乗せて4階に降りてくる。そんな場合はゴミを持って階段を歩いて行く。こんなことを一瞬のうちに判断して行動に移すのである。

廊下で遭遇したら仕方ない。軽く頭を下げる、そして相手が「おはようございます」とか言ったら口頭の挨拶を付け加える。これが一番無難なやり方である。

上るときはエレベーターが1階に止まっていれば幸運だ。降下中の場合は階数を読む。もし8階ならば、玄関の反対に向かって、イチニーサンシーとハチまで数えながら歩き、それからエレベーターに向かって歩く。これで万全、カラの箱が待っててくれる。

家に帰るとお母さんが「今日は誰かに会ったかい」と聞いてくれる。私の苦労を知っていて労ってくれるのだ。そして「ごくろうさん、明日から連休だね」。そうなんだ。今日は金曜日でプラスチック、土曜日曜はゴミ捨てはない。
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2019年09月07日

笑うな

穂村弘のエッセイが好きだから、ときどき彼の現代短歌に触れることがある。NHKラジオ深夜便で彼が話すのを楽しみにしていた。午前4時からだが最初は楽しく聴いていた。その内インタビュアーの笑い声が気になって来た。更に頻繁に笑うようになると邪魔に感じるようになった。穂村さんの話はとても面白いのだが、クスクスするだけで、ケラケラ笑うほどのものではない。それに冗談は時々しか言わない。それなのに彼女は頻繁に笑う。

彼の話を聴こうとすればするほど、彼女の笑い声が邪魔になる。しまいには彼女が笑いを止めても、今に笑うのではないかと恐ろしくなる、そんなときに笑われると、嫌という気持ちを飛び越えて腹が立ってくる。ついに聴くのを止めてしまった。

ところが突然、変なのは彼女ではなく私だと気付いた。インタビュアーはアナウンサーと思う。そうでないとしても話のプロか、それに近い方と思う。話のプロがリスナーの嫌がることをする筈がない。そんなことをすれば仕事を失う。現に彼女は仕事をしている。どう考えても変なのは私だ。年を取って笑い声を嫌がる変人になったのである。あ〜ぁ、嫌になっちゃうね。ついに、偏屈老人になってしまった。私こそ世の中の邪魔者だ!

ラジオ深夜便を聴き始めてから20年以上たつ。深夜に静かに語られる深夜便が大好きだった。1時間のタイマーをかけて聞いていると、何時の間に寝てしまう。その感じも好きだった。まさに寝て良し起きて良しのラジオ深夜便。それが数年前から笑い声が増えて来た。笑い声は次第に増え、ついに違和感を感じる程にまでなったのである。

実際に笑い声が増えたのか、どうかは分からない。私だけが気に障るようになったのかも知れない。とにかく話すプロはリスナーを意識するから、わざと笑おうとするのはリスナーが歓迎する場合に限られる。笑いが人々に好感を与える。それを不快に感じる私は知らぬ間に変人になってしまったのだ。気づいても元に返れない。

年を重ねるに従って、だんだん変人になったのか、世の中が静かな時代から笑い声の時代に変わっのか、未だに分かりかねている。もう世の中の変化についていく気力もない。穏やかに静かに生きているつもりだが、いつの間にか頑固な変人になってしもうた(笑)。まあいいか。人生いろいろ人もいろいろ。いいじゃないの幸せならば。
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2019年08月31日

挨拶はつらいよ

18年前に郊外の戸建てから都心近くのマンションに転居した。そして家事一切を仕切る、長年の同居人B子から、ゴミ捨て係を命ぜられた。私は真面目に実行した。ある日、B子は「朝の買い物に行くからゴミは持って行ってあげる」と言った。有り難くお言葉に甘えた。

次の日もそう言ってゴミを捨ててくれた、有難い。B子がゴミ捨てする日が次第に多くなり、私はゴミ係から解放されたような気分になってしまった。そして、いつの間にかB子から頼まれた時だけゴミを捨てに行くようになった。

こうしてゴミを捨てに行かない習慣が身についた。それから15年たったある日突然、「アンタは何でゴミ捨てに行かないの。アンタの仕事でしょ」と叱られた。一瞬、何のことかと耳を疑った。考えてみれば私はゴミ係だったのだ。15年も昔のことで忘れていたが確かにそうだ。こうして久しぶりにゴミ捨てを再開することになってしまった。

お安い御用と思っていたのに戸惑った。長い間にゴミ捨て環境は様変わりしていた。昔は顔を合わす皆が挨拶を交わす爽やかで清々しい朝だった。お父さんも、お母さんも、お子さんも例外なし。今は挨拶するか、しないか、顔を合わせるごとに判断を迫られる。これは案外つらい。何の悩みもない静かな生活をしていると、たかが挨拶でも悩みとなる。

15年の年月が住人を変えただけではない。実は、新築のマンションで遭った盗難事件をきっかけにして、住民同士が挨拶を励行するようになったのである。謳い文句は「不審者は挨拶が嫌い」だった。挨拶でお互いに不審者でないことを確認していたのかも知れない。だから事件の影が薄くなるに従って挨拶をしない人が徐々に増えたのだろう。

およそ18年前のことだが、私たちの住んでいる建物は危ないマンションとして知られていた。数か月の間に泥棒に3回も入られ、玄関を飾る大きな額と、ロビーのソファーと豪華すぎるゴミステーションの扉が盗まれた。まるで豪邸の門のような感じの扉だった。もちろん、数年たってからカラスが入れない実用的なものに替えられた。

窃盗事件は雑誌の記事にもなった。その後、防犯対策のための管理組合臨時総会も開いた。そこで生々しい窃盗体験談も聞きいた。不審者は作業服を着て車に乗って来る。掃除用具など持ち、一見運送屋風、堂々と盗むので手遅れになってから窃盗犯と知る。

防犯対策については、監視カメラを設置し、警察の見回りも実施されれることになった。不審者は挨拶が嫌いだから、住民どおしで挨拶を交わすことが大切と再認識した。そのような背景もあって、私がゴミ捨てをしていた当初は挨拶が励行されたが、15年の時の流れで不審者対策の挨拶はすたれ、知人同士の挨拶に変わったのだと思う。愚かな私は転居当時、皆が挨拶してくれるのを無邪気に喜んでいたのである。

家庭の躾のせいか、子供たちが積極的に挨拶し、朝のゴミ捨ても気分よくできた。今では雰囲気もずいぶん変わって戸惑っている。挨拶する人、しない人が入り混じっていると本当に気疲れする。今ではゴミ捨てに行って誰にも会わないと、思わずラッキーとつぶやいている。

●お知らせ:北海道新聞「さっぽろ10区」に「中島公園便り」執筆
管理人は「さっぽろ10区(トーク)」に連載される「中島公園便り」を担当します。
トークは毎週火・金に配達されます。1ヶ月半に一度の予定で書きます。
初回掲載は9月3日(火)です。是非お読み下さい。
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2019年06月15日

取り越し苦労の種は尽きない

人には言えない私の自慢、身体は弱いが、ひとつだけ強い所がある。それは何処かは言えない。拷問するぞ、と脅かされば、土下座して「すみません。嘘をつきました。許してください」と言う。お前に強い所などある筈ないと納得してもらえるだろう。

だけど私には人並み外れて強い箇所があるのは事実だ。しかし口には出せない。もちろん書くこともできない。黙って一緒に墓場に入るつもりだ。私自身のことだからね。

言えば聞いた人が気味が悪いと思うから言わない。だけど本当は、とても良いことなので自慢したい。言いたくてウズウズしているけれど、沈黙は金。毎日のように迷っているけど結論は沈黙。老後をのんびり暮らしたいなら、言わぬが花。

誰もが持っている、人には言えない自慢話、誰も言わないから、決して表に出ることもない。こんな話をしても共感してもらえないし、嫌悪感を与えてしまうかも知れないと心配する。こうして、決して明かすことができない密かな自慢が、個々の身体の中で育って行く。

こんな自慢話が心の中から溢れ出たのが小説と思っている。私は教養も知識もないのに考えることが大好きだ。世の中のすべてを自分が分かる範囲で一生懸命、しかも面白半分で考える。小説やドラマにに出てくる、強い人も勇気ある人も、立派な人も純粋な人も、情け深い人も極悪人も、すべては著者の自慢のような気がする。

自分の代わりに架空の人物に自慢させているのだ。それなのに私は、テレビドラマを観て感動のあまり泣いている。同時に目薬を差したばかりなのに涙と一緒に流して勿体ないと嘆き、もう一度指し直すべきかと思案している。昔に遡れば、こんな私にも心の底から好きな人がいた。口が裂けても言えない自慢話である。

たまに、からかい半分で「中波さんでも好きな人居たでしょ」とか聞かれる。「ハゲで音痴なのに居るわけないでしょ」と言うと、不本意ながら納得されてしまう。生まれつきハゲでもないし、音痴なんか歌わなければ分からないのに、なんでアッサリ納得するのだ!

そんなに素直に頷いて欲しくないという気持ちと、話さなずに済んで良かったという気持が、私の心の中で対立して争っている。だから何も言えない。沈黙は金、私の心の中で金がドンドン溜まって行く。溜まりに溜まって暴発したら大変だ。そこらじゅう金だらけになってしまい、後の掃除が大変だ。幾つになっても取り越し苦労の種は尽きない。
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2019年05月25日

水に流して欲しいのに

午後の散歩から帰ると、二人の見知らぬ作業員が来ていた。下の階で水漏れがしたので調べに来ていると言った。管理人から事前連絡がないので、テレビ報道でよくある不要工事詐欺かと思った。水漏れ調査は壁の中を観るカメラまで使って入念に行われた。

結局、漏水箇所は不明で調査は翌日まで続くことになった。その日は私が所属するシニア団体の交流会があり出席する予定だ。調査に立ち会う必要もないだろうと思ったが、これが大間違い。この問題はかなり複雑だった。

家では調査中だが全てを忘れて交流会を楽しむことにした。しかし気になって仕方がない。話題はなぜか漏水事故になってしまう。交流会に相応しくないから口にしない方がいいだろう。そうは思っても階下の水漏れが気になり上の空。

何時の間にか回転テーブルから料理をとるためのフォーrクを使って食べていた。気が付いてフォークを取りに行ったのはいいのだが、懐かしい人に会ったので少し話し込んでしまった。皆さんをお待たせして申し訳ないことをした。心ここにあらずの状態は続く。

水漏れ調査が気になる。壁に穴をあけて中の写真を胃カメラみたいのを使って調べていた。10時間もかかっても水漏れ箇所は不明。今頃二日目の調査に入っているはずだ。そう思うとビールを飲んだ赤い顔しては帰れない。オレンジジュースに切り替えた。

会場では何時も面白い話をしてくれるゲストの先生が、要請に応じて、為になる話をしてくれている。私たちは生まれただけで奇跡と話していた。そう思うと隣の人も奇跡の人に見えて来た。とにかく、さまざまなタイミングが重なり合った「奇跡」の結果だそうだ。人間は奇跡で始まり、終わったら鬼籍なんだ。覚えがないのに起こる水漏れも奇跡かも知れない。

話を聞いていても、水漏れが気にかかる。調査は延々と続きそうだが、費用は誰が払うのだろうか。調査員の人数は延べ6名、しかも残業付きだ。半端じゃないと思う。普通、依頼した人が費用を持つのだが、私から依頼はしていない。調査すると言うので協力しただけ。水漏れ箇所は10時間調べても分からない。延々と続くかも知れない。

会場ではビンゴが始まり番号の照合に専念した。しばらくするとビンゴになり賞品を取りにいった。係りの人がそれぞれ紙袋を持って立っていて、好きなものを取って下さいと言った。適当な紙袋を取ろうとすると、この中から取ってと言われて見ると沢山の小袋が入っていた。やっとその中の一つと理解した。今日は何をやっても上の空。水漏れ問題は何処にいても頭から離れない。いい加減に水に流したいのに。
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2019年05月18日

Dさんがうるさい

不思議なことに、子供の時の方が死を身近に感じ怖かった。高齢になったら余り考えなくなった。この傾向は年を重ねるにしたがって強くなった。今は何事も起こらないような気がして呑気に暮らしている。だから何の覚悟もしていない。子供どころか幼児と同じだ。そう思うと、何だか国からオッパイをもらって生きているような気がしてきた。

家では誰かさん(以下、Dさん)の尻の下でぬくぬくと、何不自由なく暮らしている。こんなことで良い筈がない。何時かとんでもない試練に遭うだろう。そういえば最近は水を飲みそこなって息がつまり、呼吸ができなくなったことがある。

このままでは死んでしまうと大騒ぎ、先ず咳き込む真似をしたが上手く行かないので、大声を出して怒鳴ったりしてみた。空気を通すつもりだったが、Dさんがビックリした飛び込んできた。のたうち回ったら息が出来てホッとした。時間薬が効いたのかも知れない。

これで一安心だが、病院で診てもらえとDさんがうるさい。念のため耳鼻咽喉科で検査したら、異常なし。「息が出来ないと思ったら、鼻で少しずつ吸い込んでみなさい」と助言してくれた。次に息が出来なくなった時やってみると、息が少しずつ通った。大成功!

また食事中に突然、息が出来なくなった。Dさんは背中を叩こうとする。それを制して、ジッとして静かに鼻で空気を吸う、しばらくすると正常に戻った。非常時の対処法が分かったので、一件落着。しかし、Dさんは病院に行って診てもらえと言う。

何回も言われて面倒なので、以前に行った病院とは違う耳鼻咽喉科に行った。セカンドオピニオンで、この問題を打ち止めにしてもらうためである。予想通りここでも検査は合格、「フラツキがあるようなら神経内科で診てもらいなさい」と言ってくれた。黙っていればよかったのに、バカな私はそのまま報告。今度は神経内科に行けと、Dさんがうるさい。

私は78歳と6ヵ月、体は少しずつ壊れて行くものと思っている。少しずつがいいのだ。急に壊れて欲しくない。壊れるに従い、少しずつ寝る時間が多くなり、目が覚めなくなったらお仕舞と考えている。しかし、Dさんは病院に行って治してもらえと言う。治ればいいのだが難しいと思う。こんな私を治すには不老長寿の薬が必要だから。

「Dさんって誰?」
「誰かさんです」
「誰かさんって誰?」
「Dさんです」
「そりゃそうだよね」
Dさんは大抵のことには頷いてくれるのに、病院に行けとうるさい。

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2019年03月16日

コロコロからソーセージへ

最近、自分はウンコを作る機械ではないかと思うことがある。口から材料を入れて機械本体である身体を適当に動かし、良いウンコ作ることに専念しているような気がするのだ。中島公園に関するウェブサイトを更新するのも、歌うのも良いウンコを作るためだ。公園の取材では機械を動かすように足を動かしているし、歌っては内臓も動かしている。

在職中は毎日のように下痢をを繰り返していたが退職したら何時の間にか治っていた。一方、楽しみにしていた二人暮らしは、期待に反してギクシャクしたものだった。何故だろうと問題点を整理したら、WFは家庭という職場の大先輩で自分は新人だからと理解した。

そこで大先輩をたてる新人になる決心をした。凝り性の私はその程度では満足せず、絶対服従の家来になってしまった。ただし、命令を聞くだけで忖度はしない。ここが肝心である。気を利かせて二人の為に良い事をしようと思えば、新たな争いの種になる。

予想通り命令は実に少ない。仕事チョッピリで自由時間がイッパイ、毎日好きなことして暮らしていて嬉しくないはずがない。私の笑顔はWFにも伝染した。感謝の言葉が自然に口から出るようになると笑顔の好循環が始まり、穏やかな暮らしが続いている。

外交問題が解決すると、内政が気になって来た。つまりWFと上手く行っていると、自分自身の内臓が気になって来たのだ。在職中の慢性下痢症が治ったが、便秘とコロコロウンチが気になって来た。下痢は20年以上続き、その後の便秘とコロコロは10年以上続いていた。しかし、慢性だから仕方がないと、その都度売薬で対応し放置していた。

1年くらい前のことだが、WFが薬を飲んでいたので、何の薬か聞くと「良いウンコが出る薬だよ」と言うので私も飲んでみた。1ヶ月飲んだらコロコロウンチは治ったが、柔らかいのが1日に何回も出るので止めた。そして一週間くらいたったら意外にも、太くて長いソーセージの様なのが出たのだ。まるで絵に描いた様な立派なウンコを見て思わず感涙!

1ヶ月間、薬を飲んだだけでコロコロが長いソーセージに変わったのである。いつも完璧とは行かないが、コロコロウンチだけは出なくなった。これは大きな収穫だ。いろいろ試行錯誤が続いたが、毎朝、コーヒー、ヨーグルトに黄粉とオリゴ糖と果物、そしてパンを欠かさない。いつの間にか私は、良いウンコを作る機械の気持ちになってしまった。

終戦直後に流行った、明るい感じの「リンゴの唄」を御存じだろうか? リンゴのところをウンコに変えて歌えば私の気持ちがよく分かると思う。

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2018年10月27日

豊平館探検

心に小さな傷を受けたものの豊平館探検は大過なく終了した。先日、レクチャーと見学を繰り返す豊平館特別観覧講座を受講した。どこが特別かと言うと、普段は立ち入り禁止の屋根裏、地下室を見学出来ること。事前の説明で「館内見学の際、急勾配の階段の昇り降りもあるので注意してください」とあり緊張した。恐れながらも興味津々だった。

先生の話は分かりやすく興味深い。それでも「百聞は一見に如かず」と言うことで外に出て豊平館の外観を見せながら説明をしてくれた。円弧形の「ペディメント」、和風意匠の「懸魚」とか難しい話は横に置いて、ビックリしたのは玄関の扉である。開かずの扉として知られる扉が何故か開いた。開けようとすると一旦は拒否するようにギーっと音をたてたが、嫌々ながら開いたのだ。
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修復工事完了後、豊平館玄関の扉が開いたのを初めて見た。

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もちろん玄関から豊平館に入るのも初めてだ。来賓になった気分である。

玄関から中に入ると改めて、その場から外を眺めた。しばらくは普段見られない風景に見とれていた。振り返ると受講者一行は見学のため会食所室内に入るところだった。何故か館内説明の先生は女性に変わっていた。そして30名の受講者が半分くらいに減っている。しかも高齢の男性ばかりだ。

一体若い人たちは何処に行ったのだろうか? 女性は仲良し同士で自由に行動をすることがある。真面目に説明を聴いているのは高齢の男性ばかりだ。先生は半分になってしまった受講者のことを気にする風でもなく淡々と説明をしている。そして次の見学先である2階の大広間に行くためゾロゾロと階段を上った。

そのとき男性高齢者たちは「段差は高いぞ」「若いから大丈夫」とか冗談を言い合ったりしていた。いつの間にこんなに仲良くなったのだろうか。何か違和感を覚えた。レクチャーを受ける前とは様変わりだ。受講者の中で私だけがのけ者にされたような気がして気分が悪くなった。楽しみにしていた特別観覧講座だが我慢も限界に達した。

不本意だが講座は止めて公園の紅葉を見に行くことにした。とりあえず最初にレクチャーを受けた部屋に置いて来た帽子を取りに行った。窓のない昔の扉が閉まっている。何と言ってもここは138年前に建造された豊平館、全てが重厚だ。ノブを回して開けようとしたが開かない。反対に回すとやっと開いた。

開けてビックリ、部屋は受講者で満席、と言うか私の席だけがポッカリと空いていて帽子がチョコンと乗っていた。一瞬で全てを理解した。愚かにも誤って講座とは別の見学者グループに合流してしまったのだ。結局10分ばかり席を外すことになった。その後は説明を聴き地下室も行ったし屋根裏にも上って特別観覧講座を無事終了した。

豊平館の歴史だけではなくいろいろと勉強になった。先ず、自分は正しい、世の中は間違っていると思う癖を直さなければならない。違和感を持った時点で近くの人に「失礼ですが特別観覧講座参加の方ですか?」と聞けば済む話だった。その他l確認法はいくらでもあるのに何もしなかった。思い込みが強くなるのも認知症の症状だろうか。危ない危ない。

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解体した木材等が地下室に保管されている。138年以上前の木材か?

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創建時の豊平館中央のてっぺんにあった開拓使建物のシンボルか?

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屋根裏にも興味深い品々が保管されていた。中島公園には豊平館の他にもう一つの国指定重要文化財がある。それは日本庭園内にある茶室八窓庵、築四百年と言われているが創建当時の建材を使っている部分は少ないように見える。豊平館と同じように解体された建材も何処かに保管されているのだろうか。当時の建築技術を知る上で大切と思う。

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9月5日の台風第21号で一時通行止めになった鴨々川沿い遊歩道。
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2018年10月20日

若者言葉とてもすてき

子供の書いた文章を読むと、こんな考えもあったのかとハッとさせられることがある。それが楽しみで小中高生が書く北海道新聞の「ぶんぶんタイム」を好んで読んでいる。最近のビックリは高校三年生の投稿、タイトルは「若者言葉とてもすてき」だった。

高校3年といえば18歳くらい。そのころの私が全く考えられなかったことを書いている。世の中は確実に進化していると思った。それとも私が時代遅れ過ぎるのか。ともかく感心したので後段の部分を抜粋させてもらった。

「私は若者言葉を形のないアルバムのようだと思った。若者言葉の更新はとても早い。だから、はやった言葉は、その時に使った人だけが楽しみ、後から懐かしむことができる。私は10年後『ああ、こんな言葉使ったね』と友人と話せることを今から楽しみにしている」。(10月8日付け北海道新聞より)

時の流れとともに消え仲間内でしか通じない若者言葉を、「形のないアルバム」と表現していることに心惹かれた。しかも10年後も続く友情を信じて、共に懐かしむことを楽しみにしていると言う。とても素晴らしい!

遅まきながら私もやっている。共通の時代をを過ごした人たちと、形のないアルバムを懐かしむような気分で、カラオケを楽しんでいる。始めたのは13年前のことで、65歳になっていた。それ以来カラオケ初心者4人で懐メロを楽しんでいる。昔の暮らしは苦しかったので絶対に戻りたくないけれど懐かしい。昔の苦労は今の幸せ感の親かも知れない。

高3の投稿者が10年後に「ああ、こんな言葉使ったね」と友人と話して懐かしむように、高齢者4人でこんな曲もあったねと話しながら歌っている。10年と50年の違いはあるけれど過去は切り捨てるべきものではないと言う思いは一致している。私が65で気付いたことを18で予測できるとは素晴らしい。

歌も若者言葉の様にはやりすたりがある。その時はやった歌を聴いたり歌ったりした人たちだけが、後になっても楽しみを共有することができる。18歳当時の私は後になって、こんな楽しみ方があるとは夢にも思わなかった。今の若い人は私の知らないことを知っていて、私には考えられないことを考えている。 

ところで、若者言葉で「わかりみ」とは「とても分かるということ」だそうだ。これは私なりに分かるが、卍(まんじ)とは何だろう。ネット情報によると「意味がない若者言葉」と思えばいいそうだ。私が経験したことのないスマホについて考えてみた。話している人が怒ったり笑ったり表情が変わるように、スマホ上に表情を加えたようなものかな??
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2018年10月06日

趣味のカラオケ

「音痴、音痴と鬱陶しい」と言われたが私は音痴とは言っていない、書いているだけである。これはいわゆる「ご飯論法」とは違う。「朝ごはん食べたか」と聞かれ「ご飯は食べていません(パンはたべたけど)」と言う話とは違うのだ。

未知の人にも読んで欲しいと願っている。無名だから書き手がどんな人か伝えなければいけないと思う。又リピーターになって欲しいという願いも抱いている。無理かも知れないが、発信すると言うことは宝くじを買ったようなもの。可能性さえあればいいのだ。

中島公園や夫婦喧嘩とか身近な話題を書くのが好きだ。今はカラオケについて書きたい。普通はその道の達人が書くが、私は音痴だから工夫が必要だ。音痴のままカラオケを楽しむ方法とか考えている。上手く歌う方法ならネット上にも山ほどあるからね。何でもいいから誰も手を付けてないことをしたい。運が良ければば当たるかも知れない?

ところで本庶佑さんのノーベル医学・生理学賞の受賞が決まった。頭の良い人は何をやっても上手い。本庶さんはゴルフもマージャンも得意だそうだ。一方私は何も出来ない人。考えてみれば素晴らしいことだ。得意なものは無いから私を縛るものもない。サーフィンでもカラオケでも好きなことを自由に選んで趣味とすればよい。下手の横好きだけどね。

話は戻るが、以上はこのブログを初めて読む人の為に書いた。タイトルと中身が違うではないかと叱られるかもしれない。それを恐れて書き手が音痴であることをそれとなく知らせたつもりだ。毎回知らせるのも面倒なので、5ヵ月前にタイトルを「オンチのカラオケ」としたブログを新規開設した。タイトルにすれば本文に書く必要がない。

しかし空しくなってここに帰ってきた。この「空白の22年間」の記憶も厳しいものがある。幼いころの記憶をたどると1945年5月に襲った史上最悪の「山の手空襲」は避けて通れない。残虐な無差別攻撃で多くの命と共に、渋谷区の77%が焼き尽くされた。本当はこのことを書くつもりだったがテーマが重すぎて心が潰れてしまい予定を変更した。
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2018年09月29日

もうちょい待ってくれ

「働かないアリに意義がある」と言う本がある。働き者として知られる働きアリでも二割程度は働かないと書いてある。なぜか嬉しい。ちなみにアリの成虫は役割に応じて女王アリ、働きアリ、兵隊アリとか分かれているらしい。

ならば音痴のカラオケもアリかなと考えた。つまり歌う会の中にも二割程度なら、歌えない人が居ることにも意義があるとか思えるのだ。一方私は人並みに歌える様になることを夢見ている。同時に夢は夢として横に置くのもいいかなと迷う。普通になる為の努力はモチベーションの維持が難しいのだ。多くの人が三日で諦める。三日坊主とかね。

それでも私は歌い続けている。洋カラ会でただ一人の音痴だが嫌がられたり、疎んじられたりしているような気がしない。私は空気を読む力が弱いのか、なぜか居心地が良い。「這えば立て立てば歩めの親心」で優しく励まされているような気がするのだ。老人力がついてきたのかも知れない。

1曲でも普通に歌える様になりたい(最大30曲が目標だけどね)。暇つぶしと思ったら大間違い。それならドラマを観たり、音楽を聴いたり、小説を読んでいる方が楽しい。私は一日中そうしていても厭きることはない危ない人だ。筋肉が無くなり健康を蝕んでしまう。

毎日が楽しく幸せに暮らしている。これを持続するためには工夫が必要だ。いろいろあると思うが、私の場合は書くとこと歌うこと。両方とも認知症防止になると思っている。それとラジオ体操と散歩。これだけは毎日欠かさずやるつもりだ。

なぜ英語の歌かと言えば好きだからだが他の理由もある。音痴だから普通の人の様に歌うことは凄く難しい。英語の歌は口が回っただけでも一歩踏み出せたような気がするから有難い。ところで楽しいだけでは長続きしない。しかし楽しくて健康にも良ければ話は別である。私はこの世でゆっくりしたい。帰らぬ人よ、もうちょい待ってくれ。
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2018年09月15日

二日間も停電で断水

夜中の三時ごろ地震で起こされた。さっそくラジオをつけたが映像がないと全体像が掴みにくい。道内全域停電とは聞き違いかな? 復旧に1週間と聞いて更にビックリ。情報化の世の中ではあり得ないことだ。「ブラックアウト」と言うそうだ。

我が家の場合電気がないと水道も止まるし電話も使えない。携帯はカバンの中で電池切れになっている始末だ。いろいろあるが問題は水。「中島公園に水飲み場があるよ」とか言ったら、水汲み担当にさせられた。

トイレを流すにはバケツ一杯の水が要る。エレベーターは停止だから4階で好かった。15階だったら大変だ。それでも私にとってはキツイ仕事だ。上から降りる人の気配を感じると踊場で待つ。笑顔で有難うと言ってくれる。疲れたから休んでいるだけなのにね。

試行錯誤の末、2リットルのペットボトルを何本かリュックに入れて背負うのが一番楽なことが分かった。用事を済ませて帰りに水汲みをすることにした。公園でホテルマンに声をかけられた。「手稲から自転車で来たが、この格好では接客は出来ないので裏の仕事をしていた」とかいろいろ話してくれた。顔見知りだが世間話をするのは初めてだ。

こんな日はいろいろな人と会う。今度は同じマンションの住人だ。「一人暮らしでラジオも無い。停電で何も分からず不安だった」と言っていた。今日中に停電も復旧する見込みとか教えて上げた。「いろいろ話を聞いてホッとしました。これから街に行きます」と言うので、地下鉄も市電もありませんと伝えると、タクシーを拾うと言って別れた。

帰りがけに水飲み場に寄った。水は重いので自転車で来る人も多かった。70年前の焼け跡の共同水道を思い出す。こんな時は皆さんの口も軽くなる。焼け跡時代の井戸端会議がよみがえった感じだ。同じ状況に陥った人どうしで愚痴とか言い合った。公園と言う川で水を汲み、マンションと言う山の階段を上る。水道は健在なのに水難民とは電化時代の落とし子だろうか?

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近所の公園の水飲み場には汲みに来る人が次々と。

夜になると、東隣のマンションも南隣のマンションも明かりが点いているのに我が家だけは停電のままだ。何かの間違いと思い外に調べに行った。不運なことに我がマンションは広大な暗闇地帯の角地に位置していたのだ。

暗闇の中に数人ずつの若者グループがアチコチで彷徨うように歩いていた。アジア系の外国人のようだ。ホテルでの連泊を断られた人達と思う。後で知ったことだが中島体育センターでは約170人が7日朝まで一夜を過ごしたと言う。北海道観光を楽しみに来ていたのに気の毒だ。ひょっとして英語なら通じるかも知れないと思い声をかけてみた。

「グラフトヌーン・ハオユ?」
「…………」
暗い夜道で緊張しているようだ。
「テイケリーズィ」
うん、全然通じない。昔からそうだった。

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