カテゴリ「後期高齢」時代は75歳から、たった5年で終了することにした。この時代を振り返ってみると、洋楽カラオケを始めたことに尽きる。初めて洋カラに参加したものの、歌の上手い人ばかりの中で戸惑い、そしてモガイテいた。だがヤル気満々だった。
人目を気にしながら生きているのに、思わず我を忘れる。例えば、伴奏から大きく外れていれば、直るはずないのに直そうとして、滅茶苦茶になる。歌いたい気持ちが強すぎて、何もかも見えなくなってしまうのだ。しかし、これで好かったかも知れない。
この性格が幸いして、苦節4年後、無茶苦茶から下手へと進化した。そして、自分なりに面白くなりかけた。それなのに、舌癌に罹り、世の中もコロナ禍の時代に突入、カラオケは出来なくなってしまった。でも諦めてはいない。物心がついた10歳のころからの夢だから、歌ったら命はないぞ、と脅かされない限り止められない。
洋画が好きで10歳の頃から映画館通いをしていた。その影響でアメリカの歌が好きになった。歌の本を買ってきたら、歌詞が英語だった。中学で英語を習っている兄に、仮名を振ってくれと頼んだら、英語はカタカナにはならないと断られた。ペースボールでストライク、アウトとか言っているのに、歌がカタカナにならない筈がない。その時は意地悪な兄だと思った。
これが最初の挫折。その後も英語で歌を歌いたいと言う思いが頭から離れなかった。やりかけては出来ないので、そのたびに諦めの気持ちが強くなった。二十歳になると、洋楽は難しくて絶対に歌えないと諦めた。その代わり、英語の歌を凄くいい声で歌う友人ができた。私にとっては、叶わぬ夢を実現している友人に憧れた。
長い年月が過ぎて退職すると、幼児と老人は何をやっても許されると、自分本位の思いが、徐々に芽生えて来た。まことに身勝手な考えだが、それでも生きて行けるから有難い。65歳で音痴なのにカラオケを始めた。しかし、それだけでは収まらなかった。
そんなとき、最初で最後ののチャンスが訪れた。2015年の秋、Yowkaraの案内メールが流された。そこには「洋楽に興味のある方なら、どなたでも大歓迎」と書いてあった。大いにあるので参加した。音痴でも歓迎とは書いてなかったが、行間までは読めなかった。思わず、喜んで飛びついたのだ。
それから4年、音痴に加え、舌癌とコロナ禍の三重苦だ。残念ながらカラオケはお休み。そして80歳の誕生日を迎えた。既に、アルバイトやボランティア活動等からも徐々に手を引いていた。後期高齢時代は、動から静へと移行する時代となった。
私は無色無味無臭の水のような人間になりたい。あと一息だ。色を職に替えるだけでよい。依然として後期高齢者ではあるが、状況が変わったので80歳以降を切り分けることにした。積極的に活動していた「自由時代」、動から静に移行した「後期高齢」時代、そして、静かな「80歳以降」、これが最終カテゴリになると思う。あえてカテゴリを追加するなら「三桁時代」かな。