2021年02月06日

カテゴリ「後期高齢」

カテゴリ「後期高齢」時代は75歳から、たった5年で終了することにした。この時代を振り返ってみると、洋楽カラオケを始めたことに尽きる。初めて洋カラに参加したものの、歌の上手い人ばかりの中で戸惑い、そしてモガイテいた。だがヤル気満々だった。

人目を気にしながら生きているのに、思わず我を忘れる。例えば、伴奏から大きく外れていれば、直るはずないのに直そうとして、滅茶苦茶になる。歌いたい気持ちが強すぎて、何もかも見えなくなってしまうのだ。しかし、これで好かったかも知れない。

この性格が幸いして、苦節4年後、無茶苦茶から下手へと進化した。そして、自分なりに面白くなりかけた。それなのに、舌癌に罹り、世の中もコロナ禍の時代に突入、カラオケは出来なくなってしまった。でも諦めてはいない。物心がついた10歳のころからの夢だから、歌ったら命はないぞ、と脅かされない限り止められない。

洋画が好きで10歳の頃から映画館通いをしていた。その影響でアメリカの歌が好きになった。歌の本を買ってきたら、歌詞が英語だった。中学で英語を習っている兄に、仮名を振ってくれと頼んだら、英語はカタカナにはならないと断られた。ペースボールでストライク、アウトとか言っているのに、歌がカタカナにならない筈がない。その時は意地悪な兄だと思った。

これが最初の挫折。その後も英語で歌を歌いたいと言う思いが頭から離れなかった。やりかけては出来ないので、そのたびに諦めの気持ちが強くなった。二十歳になると、洋楽は難しくて絶対に歌えないと諦めた。その代わり、英語の歌を凄くいい声で歌う友人ができた。私にとっては、叶わぬ夢を実現している友人に憧れた。

長い年月が過ぎて退職すると、幼児と老人は何をやっても許されると、自分本位の思いが、徐々に芽生えて来た。まことに身勝手な考えだが、それでも生きて行けるから有難い。65歳で音痴なのにカラオケを始めた。しかし、それだけでは収まらなかった。

そんなとき、最初で最後ののチャンスが訪れた。2015年の秋、Yowkaraの案内メールが流された。そこには「洋楽に興味のある方なら、どなたでも大歓迎」と書いてあった。大いにあるので参加した。音痴でも歓迎とは書いてなかったが、行間までは読めなかった。思わず、喜んで飛びついたのだ。

それから4年、音痴に加え、舌癌とコロナ禍の三重苦だ。残念ながらカラオケはお休み。そして80歳の誕生日を迎えた。既に、アルバイトやボランティア活動等からも徐々に手を引いていた。後期高齢時代は、動から静へと移行する時代となった。

私は無色無味無臭の水のような人間になりたい。あと一息だ。色を職に替えるだけでよい。依然として後期高齢者ではあるが、状況が変わったので80歳以降を切り分けることにした。積極的に活動していた「自由時代」、動から静に移行した「後期高齢」時代、そして、静かな「80歳以降」、これが最終カテゴリになると思う。あえてカテゴリを追加するなら「三桁時代」かな。
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2020年07月18日

七つの子ファミリー

今年は親子鴨が少ない。6月18日に9羽を連れた親子が居たそうだが見ていない。結局6月中に出会えたのは7羽の子を持つ親子だけ。寂しいけれど良いこともあった。それは親子の行動について知ることができたこと。僅かだが私にとっては新発見だ。

2020年6月4日 今年始めた見た親子鴨
地下鉄幌平橋駅近くの行啓通に沿って歩いていると、鴨々川岸辺の草むらの中に動くものが見えた。親子鴨だ。
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可愛い子が7羽居た。巣立ったばかりと思う。並んで泳ぐところを撮りたかったが、移動するときもバラバラに動き、一度も並んでくれない。親子と言ってもいろいろあるものだ。

6月6日 一昨日見たときと寝場所が同じだ
13時14分、以前見た同じ場所に親子が寝ていた。ここを寝場所と決めているらしい。20分くらい静かに見ていたら動き出した。先ず、母鴨が鴨々川に入り、子鴨が次々と川に入る。
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子等はエサを食べながら、母は子を見守りながら中洲を一周し、鴨々川本流に出て行った。時刻は13時54分、見つけてから40分の観察。ノンビリと親子と一緒に歩いて楽しかった。

6月7日 親子鴨は白鶴橋の下流までやって来た
この時期に鴨々川を見ている人がいれば、大抵は視線の先に親子鴨が居る。画像は自由広場の公衆トイレ裏あたり。
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昨日、この親子は幌平橋駅裏の鴨々川から護国神社参道方面に向かった。次は南14条橋から白鶴橋へと向かうと予想し、その辺りを歩いていたら見かけた。親子は白鶴橋の下流まで泳いで行った。ここは自由広場南側を流れる鴨々川分流。

6月8日 親子鴨は寝場所に帰っていった
地下鉄幌平橋駅横をスピードを上げて、行啓通方面に泳いで行く親子を見た。
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寝場所に着くと直ぐに寝てしまった。そこは一昨日寝ていた場所と同じだった。ここからエサを求めて鴨々川をブラブラして、ここに戻って寝たのかも知れない。

6月11日 水門に阻まれ菖蒲池行きを断念
今日も、白鶴橋下流まで来ていた。ここから中洲を挟んで二つに分かれる。鴨々川本流は中洲2号橋へ、そして分流は中洲3号橋下を流れ菖蒲池に向かう。

中洲3号橋下には水門がある。母鴨は子等を菖蒲池方面に誘導しようとしたが、子等にとって水門は高すぎた。先ず、母鴨が板を乗り越えて子等を呼ぶ。1羽も板を乗り越えることが出来なかった。この日は菖蒲池に行くことは断念した。
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水量が増えれば、相対的に水門は低くなり子等も越えることができる。母鴨は、この先に池があることを知っているのだろうか?

6月13日 戦う母鴨
ついに親子は菖蒲池にたどり着いた。そこから豊平館前の池に向かう。橋を抜け豊平館前の池に出た途端に雄鴨に遭遇、母鴨は威嚇して追い払う行動に出る。猛然と雄鴨に襲い掛かる。逃げる雄鴨、追う母鴨、子等も母について行こうと全速力で追う。
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6月14日 寝姿
13時17分、藤棚近くの橋下近くで寝ていた。皆さん静かに見守っていた。私も静かに見守ることにした。
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6月19日 人に近づく鴨の子等
豊平館前の池にいた馴染みの子等7羽の親子鴨。なぜか1羽が陸に上がる。次々に上がる子を見守る母鴨。母鴨が子等について行く。ベンチに座る足元に群がる5羽、少し離れて1羽、母親のそばに1羽、子等にもそれぞれの個性がある。
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6月22日 カモメもハトも鴨の子等に無関心
寝場所をいろいろ変えている。最初は幌平橋近くの鴨々川の草むらに身を隠すようにして寝ていた。次は中島公園の藤棚近くの橋下の草むら。今度は隠れずに寝ている。近くにはオオセグロカモメも、ハトも居たのに気にすることなくスヤスヤと寝ていた。
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目を覚ました1羽の鴨の子がベンチによって来た。ハトを気にしない鴨の子。カモメは少し離れた所に居続けたが寄ってこない。

例年の6月なら親子鴨が次から次へと現れるが、今年は一組だけしか見ることができなかった。お陰で親子鴨について、行動の片鱗を知ることができた。

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2020年06月27日

夜の街、新宿

最近、テレビを観ていると「宿主」という言葉を時々聞く。新型コロナウイルスに関する番組で、よく耳にするのだ。ウイルスを泊まらせる、宿の主人のことだろうか?

辞書には次のように書いてあった。「宿主(しゅくしゅ、英語:host)あるいは寄主(きしゅ)とは、寄生虫や菌類等が寄生、又は共生する相手の生物。口語では「やどぬし」と訓読されるが、学術用語としては「しゅくしゅ」読みが正式である」。

なるほど、英語ではhostか。思わず、話題の新宿、ホストクラブを思い出す。何となく華やかで、妖しげなムードを漂わす空間。もちろん、行ったことがないから空想を膨らませているだけだが。

あるサイトに、事実らしきことが、いろいろ書いてあって、とても参考になった。例えばこんなこと。「東京都は対策として店舗側にPCR検査に応じるよう協力を求めていた」。PCR検査は実施件数が少ないのに、なぜホストの感染者が多いか分かった。クラスターが発生すると店内に居た全員が検査対象となるからだ。

「新宿区内には238店舗のホストクラブがあり、ホストの人数はざっと数千人に上る」。以下、都福祉保健局の担当者談「新たに感染がわかった人のほとんどが無症状です。それも20代ばかりでした」。対照的なのが札幌の昼カラ、昼食込みで千円と格安、感染者は60歳以上だった。高齢者の殆どが巣ごもり中と思っていたが、そうでもない人も少なくなかった。

「シャンパンを仲間同士で回し飲み、同じマドラーを使い回し、一気飲みの際は大声を出してはやし立てる」。どういうことをすれば感染し易いか、具体的に書いてあり、やってはいけないこととして参考になった。「ホストたちは狭い店の寮で共同生活」という。優雅なマンション暮らしと思っていたが、意外に地味な暮らしだ。

「新宿には約250店ほどの性風俗店があり、風俗嬢がホストクラブの客というケースは非常に多い」。お客は高給取りや金持ちの奥様とか思っていたが、これは大間違い。同様な仕事仲間なら情報交換も必要。横のつながりも大切だ。ホストも風俗嬢も24時間働くモーレツ社員のようなものだろうか。

思い出すのが、「24時間戦えますか」との、栄養ドリンクのCM。それこそ、1年365日、聞かない日はなかった。イメージとして浮かんだのが、仕事一筋で働くホストと風俗嬢の姿。それとも何も考えていないのか。あるいは、人それぞれ。ある人は真剣、ある人は遊び半分。何も知らない世界に思いを馳せて興味津々、心臓ドキドキ。それでも今年で80歳。うかうかしてはいられない。

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2020年06月13日

ダメな親ほど子は育つ

孫が居ないから、お爺さんと呼ばれたことがない。もし何方かに「ちょっと、お爺さん」とか呼ばれても、自分のこととは思わないだろう。明らかに変だが、変なことはこれだけではない。

結婚前に「あなたの夢はなんですか?」と聞いたら「お嫁さん」と言った。それなのに夢が叶っても幸せそうではない。一方、私の夢は楽をすること。これだけは子供の頃から一貫して変わらない。よそ様から見ればこれも変だろう。

こうして、夢の無い二人が結婚をして子供が生まれた。お母さんは子供を可愛がり幸せそうだった。私は責任の重さを感じ、何があっても定年まで勤める覚悟をした。

仕事はチームワークだから、不安を抱かずに自信を持って仕事をしていることを、態度で示す必要があった。しかし、エラーを繰り返せば同僚の信頼を失う。私には、全ての同僚が落ち着いて自信をもって、仕事をしているように見えた。

定年退職して、10年以上たってから、かっての同僚と本音で仕事の話ができるようになった。彼は今でも仕事をしていてエラーをした夢を見ると言った。このとき初めて不安を抱きながら仕事をしていたのは、私だけでないことを知った。

苦手な仕事だが、努力と工夫で何とか切り抜けた。こんな状態だから妻子のことは、何も考えずに、定年まで無事に働ける方法だけを考えていた。それなのに息子は、私のことを良く思っていてくれたことを知って驚いた。

最近、お母さんが私にこう言った。息子がA子さん(息子の妻)に、「僕は両親に可愛がられていた。僕たちも両親のような夫婦になりたい」と言っていたそうだ。お母さんはすごく嬉しそうだった。両親とは私も含む、どうしてだろうかと不思議に思った。

退職後のことだが、息子が私にこう言ったことを思い出した。「他所の親はね、子供を旅行に連れて行ったり、プレゼントしてくれたりするんだよ」。思い起こせば、そんなことは考えたこともなかった。今頃になって苦情かと嫌な気分になったが、続きがあった。

「その代わり、いろいろ干渉して煩いんだって。僕はなにも言われたことないからね。お父さんで好かったよ」。今さら、それは誤解だ。何も考えてなかったとは言えない。親と言う自覚はなく、扶養の義務を果たすことだけを考えていた。ダメな親ほど子は育つとも言われている。これでいいのだ!

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2020年06月06日

穏やかな心

表面は穏やかに見えても心の内は複雑だ。今日も苦情を言われた。一体いつまで続くのだろうか。つくづく嫌になる。

「また浄水のままにしている。使い終わったら原水にしなければダメだよ」と、叱られた。去年の今頃、”浄水器内蔵シングルレバー混合水栓”に変えた。レバー、ひとつで「原水」「シャワー」「浄水」と切り替えて使える優れものである。
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便利にはなったが、毎日のように浄水のままだと叱られる。マニュアルには「レバーを切り替えて使う」と書いてある。どれを使うかは使う人の判断だ。当然のことだが、終わり方は書いてない。

しかし私は「使うとき切り替えればいいでしょ」とは言わない。自分は正しいと信じる人に、間違いを指摘するのは危険だ。とりあえず、リスクを回避する。もちろん、叱る当人も浄水のままにしていることは、度々あるが私は言わない。悪いことではないからね。

「何回言ったら分かるの。使った後で振り返らなければダメ」とも言われた。それでもゴメンナサイと謝る。「あんたは何も考えないから間違えるんだよ」とたたみかける。私は決して、「貴女だって間違えるでしょ」とは言わない。ドッチでもいいことだから。

もう1年も言われ続けている。そろそろ厭きてもいい頃だが、言い続けている。だから私はゴメンナサイと謝り続けなければならない。本人自身が気づくまで気長に待つつもりだ。別に意地になっている訳でもない。なんとなく心地よいからだ。

昔のことだが、喧嘩ばかりしている頃があった。しばらくしたら、静かになったが、大袈裟に言うと冷たい戦争の始りだった。これは長い闘いになった。続けるのもバカらしいので降参したら、手のひら返すように優しくなった。ホンの少しの我慢が幸せを呼び寄せた。

それからは、嫌われている感じがまったくしなくなった。あれこれ小うるさいけれど、好かれていると思うと気にならない。この自信は一体どこから来るのだろう。原因はトイレの書だ。一日に何回も小便をする。その度に便器を挟んで、この書と向き合っている。
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敵もさるもの、これで懐柔されたのかも知れない。ハンコまで押してあるから本心と思う。信じる者は幸いだ。決して、紙一枚で操られているとは思っていない。
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2020年05月09日

我慢一筋

ハッキリ言うけど、命を懸けず金もかけず、我慢もしないで成功する道はない。そして、何らかの成功をした人は幸せと思う。実は私も最近は、幸せだなぁと感じている。

中卒以来、職を転々として定職についたのは24歳の頃だった。ところで、100mを10秒で走ったり、100Kgの荷物を担いだりすることは、普通の人には出来ない。転職時代に分かったことは、普通の人が出来る肉体労働が、どうしても出来ないことだった。

努力して肉体労働でない職に就いた。そして、頭の回転も人並み外れて悪いと分かったが、辞められない。健康に自信がないから健康保険のある職を辞めたら、病気の時に困る。

工夫と我慢で乗り切るしかなないが、工夫できるチャンスは5年に1度くらいしかない。日常的には我慢の連続だった。いくら我慢を重ねても慣れることはない。辛い日々が続くだけだ。

在職中は、自分は何のために生まれて来たのだろうと考えていた。楽しく遊んでいても、終わって暫くすれば、憂鬱な気分に戻る。ひたすら、退職後を楽しみにして定年まで働いた。もちろん再就職はすべて断った。

待ちに待った退職だったが、二人暮らしは思いのほか悲惨だった。先ず同居人は、私が家に居ることを好まないことが分かった。その為、何やかやと私のやること、話すことに反発した。

これを乗り越えるのは容易なことではないが、我慢我慢の在職中に比べれば楽だった。3年で不幸な生活にも慣れ、10年以上かかったが、完全に乗り越えることができた。二人暮らしの我慢は単純で楽だ。相手の言うことを聞いて反対しないだけでいい。こんな方便が通用するから面白い。

10年以上と言う歳月はかかったものの、思いがけない大成功を収めた。同居人の態度が少しずつ変わって来て、私の喜ぶことをしたがり、話したりするようになった。私も喜んで従っている。我慢はどこかに飛び去って行った。

私は母の愛というものを全く知らない。だからドラマに出るような優しい母に会ってみたいと夢見ていた。いつの間にか同居人が、そのような優しい母になっていた。

今ではお母さんと呼びスッカリなついている。お母さんは相変わらず小言ばかり言ってるが、以前と違って目が笑っている。私を出来損ないの子供のように思っている様だ。辛い過去が、今を凄く幸せに見せかける。もう空想と現実の違いが分からなくなった。 知らぬが仏。
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2020年05月02日

動くな!

新型コロナウイルス問題は日を追うごと厳しくなっている。特に札幌が厳しい。医学のことを全く知らない私でも、コロナだけは気になって来た。何と言ったって、私の全てである札幌シニアネットの会合が休止になったのだからエライことだ。

パチンコ問題は全店休業と言うことで解決の模様だが、来店者の的外れな言い訳が気になった。「俺は覚悟している」とか、感染の仲介者になる可能性など、無視して粋がっていた。それは違うぞ、と言いたいが、好く分からないので一生懸命考えた。

やはり食べ物がヒントになった。感染の仕組みは毎朝食べている「黄粉ヨーグルト」のようなものではないだろうか。ヨーグルトに黄粉をかけると、ヨーグルトの池に黄粉の浮島ができる。

これをコロナ感染に例えると、かき混ぜない限り黄粉とヨーグルトの接触は限定的だから、感染も限られている。しかし、かき混ぜてしまうと、接触面も膨大になり感染爆発が起こる。
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さて、黄粉の一粒が人間一人とすると、入れ物を小さくすればするほど感染拡散リスクは低下する。例えば、世界より日本、それよりも都道府県、更に家の中、という風にである。コロナ対策は「そこを動くな!」の一言で十分だ。全く動かないのは無理だから行動範囲を家の中に限定。そして、感染はいずれ収束に向かう。

ところで、暇になると私の悪い癖が出てくる。それは想像の翼を限りなく広げることである。今回は想像どころか空想の世界に入り込んでしまった。恐れ多くもコロナ退治を指揮する総理大臣になったのである。あの小さなマスクの方です。

恐れを知らぬ首相は「動くな! 2週間でコロナに勝つ」と言い切った。更に「医療や生活を支える為に働く人たちに感謝し、最大限の敬意を払え」と命じ、最後に「人間が動かなければコロナは滅亡する」と締めくくった。空想の中の首相は現実の私と違ってテキパキしている。

「動くな!」は当面の手段、いわゆる戦術である。動けば感染増で医療従事者を苦しめ、結果として医療は崩壊する。戦術的な勝利を重ねつつ次を考えることが大切だ。短期的にはPCR検査体制の整備、中長期的には抗体検査で現状を把握して、制限解除の時期を探る。決め手はワクチンと特効薬の開発である。

中長期的にはシッカリした戦略を立てること。そして、今やるべきことは、「動くな!」という戦術を徹底することである。三密、80%減、ステイホーム、ソーシャル・ディスタンス等、大切なことを繰り返して伝えるのは良いことだ。気になるのは、テレビで戦略的なことと戦術的なことをゴチャ混ぜにして、たれ流していることである。

現時点では、ウイルスへの対抗手段は動かないことに尽きる。生意気にもコロナウイルスは、人間と言う名の車に乗って走り回っている。乗せて上げなければ何も出来ないくせに、只で乗って暴虐の限りを尽くしている。なぜ人間をそんなに苦しめるのだ。

億単位の集団をつくり世界に君臨する人間が、そんなに憎いのか。それとも、行き過ぎた文明を調整する自然現象か。以上、空想の総理大臣は考えた。力も金も知恵もないから本物の足元にも及ばないけど、一生懸命考えた。

なぜ動く! 貴方はコロナの運搬車
気づいていても気づかなくても
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2020年04月25日

ゴメンナサイは万能薬

お母さん が怖いから出来ません」と言えば、恐妻家と思われるかも知れない。ところが、実際にはノンビリと幸せに暮らしている。在職時代は怖い人もいたし、怖いこともあった。

仕事を辞めたらお母さんが怖くなった。私は何時の間にか、怖い人が居ないと落ち着かない人になっていた。細かいことについて、繰り返して文句を言われて怖くなった。ご飯をこぼすな、爪を切れとか、トイレの電気が点けっ放しだとか、やたらに煩い。

言われるたびに腹を立てていたが、ある日試しに「ごめんなさい。これから気を付けます」とか言ってみたら、意外な反応があった。凄く嬉しそうな顔をしたので驚いた。今までは、無暗に謝ったりするのは、人をバカにすることだと思い、控えていた。

ところが違うのだ。人を喜ばす力があるとは知らなかった。そういうことならドシドシ使って、喜ばして笑顔になってもらいたい。

ところで、ご飯を食べる時以外は、それぞれ別々に暮らしている。お母さんは台所、居間、自分の寝室を自由に使えるのに、私は8畳一間に閉じ込められている。その代わり、家事一切をやってくれるのだから当然と思う。私はホテル住まいのようなものだ。

いつも寝る前に私の部屋に挨拶に来てくれる。15分程度、一緒にニュース観るのが習慣になっている。ある夜、ノックをし、ドアを開けて「寝るから」と、行ったきり帰ろうとした。「ニュースみないの?」と聞くと、「トイレが臭くて腹が立ったから寝る」と言った。

心当たりが全くないので、この時ばかりは「ごめんなさい。気を付けます」との言葉が出なかった。思わず口答えをしてしまった。
「ウンコしてません。臭くないはずですよ」
「二人しか居ないんだから、アンタのが臭いに決まってるの!」

これ以上の反抗は許されない感じなので、振り返って考えてみたら、全てを思い出した。
「ごめんなさい。オナラだけなんですが臭かったですか?」
「まるで毒ガス! ムッーと来たわ」
それでも顔は笑っていた。いつも通りで嬉しそう。ゴメンナサイは万能だ。正しかろうと、間違っていようと、何にでも効く万能薬。
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2020年03月28日

ローハイド

私は何を歌っても似合わない人。ローハイド(Rawhide)はメチャクチャ似合わない。意味も分からず、ローリン・ローリン、ロンハーイと、声を振り絞って叫んだら、皆さんに笑われる前に、自分が笑ってしまう。だから一生懸命意味を調べたが、いつものように分からない。仕方がないので空想と借用で補うことにした。

私の想像では、ローハイドとはカウボーイ。彼らに鞭とズボンカバーは欠かせない。ズボンの上に革製のズボンカバーを着用して、馬上で鞭を振る姿こそカウボーイである。

西部英語に詳しいEさんに聞くと「raw(生の)とhide(皮)で生皮(きかわ)だそうだ。水分を含んだ鞭は痛いと言う。rawhideには生皮のムチで打つという動詞としての意味もある。そこから派生してズボンカバーのことを指す言葉でもあるそうだ」。だが私は、ローハイドと聞けば鞭もズボンカバーも飛び越して、いきなりカウボーイ。根拠はないが、脳裏にカウボーイ姿が浮かぶのでだ。昔観たテレビドラマの影響と思う。

次はローリン(rollin')だが、冒頭で12回も繰り返される。Eさんの話ではrollという動詞には、31通りの意味があるそうだ。「進め進め進め」とか、いろいろ訳はあるが、ここは何も考えないでローリン・ローリン・ローリン、そのままでいいことにした。

真偽不明だが、作詞者がrawlinsの発音を聴き違えて rollin' としたと言う説もある。カウボーイには詳しくない人が作詞したとかも。色々あって本当のことは分からない。

ローハイドのサビの部分だが、ライブダムのカラオケ画面でのカタカナがフランキー・レーンの歌とかけ離れている。カタカナが違うのは仕方がないが、英文まで違っている。歌う人も少ないから適当にカナを振っているのかも知れない。
(ライブダム:の英語とカラオケの表記)
Move them on hit them up 
ムーブ ゼム オン ヒット ゼム アップ
Cut them out ride them in 
カット ゼム アウト ライドゼム イン

英語をカタカナで表現出来ないことは分かる。しかし、歌詞では head 'em upなのにカラオケではhit them upになってる。そして、どの歌詞でも 'emと書き、thは省略されている。それなのにカラオケではthemのまま、サビの部分だけでも12ヵ所もある。カタカナ振った人でもリズムに合わせてムーブゼムオン ヒットゼムアップとは歌えないと思う。合計1秒以下だからね。

音痴で口もまわらない、おまけに英語もよく分からない。それなのにローハイドは大好きなので歌おうとしたら全然歌えない。変だなと思ってフランキー・レーンの歌を何百回も聴いたら、Move them on hit them upとは歌っていないことが分かった。

ここだけでなくその他もろもろ。皆さんが既に御存知のことを、今頃になって分かったのだから情けない。そもそも75歳にもなって洋楽カラオケを始めるのは間違っている。と言われれば、返す言葉もない。
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2020年03月21日

お母さん

ブログについて読まれたら困るとか、いろいろな事情があって妻を家内とか、愚妻とか書くのを嫌っていた。それで、QPとかWF、D子とか書いていたが、今になればどれもしっくりしない。現実を踏まえれば「お母さん」と呼ぶのが一番いいと思った。

都合がいいことに、息子がとっくの昔に社会人になっているのに、妻の気分は「お母さん」のままだ。ズーっとそうなのだ。遠い昔、私は妻にこう提案したことがあった。

「これから二人暮らしになるので、お母さん、お父さんは止めましょう。サブちゃんと呼んでください。ねぇハナちゃん」
「いい年して冗談じゃない、あんたはショウちゃんのお父さんだからお父さんでいいの。分かった!」と一蹴された。

ガッカリしたが、そういうことならお母さんでよい。私自身は何と呼ばれようと「お父さん」は止めた。密かに子供になる決心をした。お母さんは子供に甘いから、その方が得だ。こんな場合、二人暮らしは凄く便利。三人以上いたら、やりたくても出来ない。さっそく子供になったら、とても快適だった。

子供は楽だ、凄く楽だ。子供の義務はお母さんの言うことを聞くだけでいい。自室にこもって大人しく勉強していればいいのだ。勉強は運動のように動きを伴わないので、いくらでも、やってるフリができる。こんな駄文を書くことさえ勉強と思わせている。

本物の子供なら、その時代特有の苦労があると思う。ところが私は、今年80のおジイさん、しかも無職だ。受験は無いしスマホも知らない。モバイル時代の落ちこぼれだが、まだ大丈夫?

こんな訳で、このブログで書くお母さんは母ではなく、ほぼ同年配の配偶者。やはり普段使っている言葉が一番しっくりする。

終わりに母子生活のエピソードを一つ紹介する。原則として別室生活で、食事の時は呼ばれたら食べに行く。普通、お母さんはノックもしないで入って来るが、ある日突然ノックをしてから開けるようになった。理由を聞くと「ご飯だよ」と声をかけると、私がビクッと肩を震わすのが気持ち悪いと言った。

確かに私は突然声を掛けられて驚いていたが、身体が動いているとは知らなかった。私は音痴なのに一生懸命歌う。それと同じように、誰にも読んでもらえないような駄文を書くのに集中している。そのとき声を掛けられると、突然現実に戻されて驚くのだ。

そのことを知ってからは、ご飯の時間が近くなるとドアを開けっぱなしにしている。遠くから「ご飯だよ〜」と聞こえたら「は〜い」と返事する。そんな疑似母子暮らしが気に入っている。一人で勝手にね。お母さんはジイさんが子供に変わっていることに気が付かない。小さな嘘は見破られても大きな嘘はバレない。(^-^;) ゴメン
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2020年03月14日

『妻のトリセツ』批判

『妻のトリセツ』批判、と言っても、ただ格好いいタイトルにしたかっただけ。何となくエラそうに思えたからだ。人前で見栄を張る度胸がないので、陰でコソコソ見栄を張ってしもうた。(^-^;) ゴメン

しかし、私にとっては、読む必要のない本だ。既に妻D子の取り扱いをマスターして、今ではノンビリ楽ちん生活を送っている。だからと言って自慢している訳ではない。マスターするのに10年以上かかってしまった。その本を読めば一週間だったかも知れない。

もし妻がアルコール・ギャンブル依存症、あるいは浮気者だとしても、その対処法が書いてあるのだろうか。もし書いてないとすると、本にするほどのことではない。妻の取り扱いは極めて簡単だ。言うこと聞いて反抗しないだけで充分。私はこの方法でD子の取り扱いに成功した。しかし、10年以上かかってしまった。もし『妻のトリセツ』を読んでいれば、一ヶ月でマスターしたかもしれない。

言うこと聞いて反抗しないだけで良いと、口で言うのは簡単だが、実行となると相当の忍耐力が必要だ。間違ったこと、理不尽なことを言われてもジッと耐えなければならない。これに慣れるのに3年ぐらいかかった。やはり『妻のトリセツ』は凄いと思う。これを読めば余分な苦労をしなくて好かったのだ。

気が付いてみれば、10年以上かかって変わったのは私かも知れない。いつの間にかD子の子供の様になってしまった。彼女をお母さんと呼び、それが大そう気に入っている。私も今年で80歳、ままごと遊びをする年より一桁多い。しかしままごとは楽しい。

D子を優しいお母さん役にして、良い子を演じるのが大好きだ。こんな心理は異常かも知れない。それでも母子二人暮らしを幸せに思い、楽しんでいたい。子供の時は苦しかった。それ以来半世紀以上「楽をしたい」と夢見ていた。そして、曲りなりに実現した。

人生は芝居、この世は舞台、人は皆役者。これでいいのだ。やっと生まれて好かったと思えるようになった。世の中にはそんな思いを一度もしないで、あの世に行く人も少なくないと思う。
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2020年03月07日

ジャンバラヤ

何時だったか忘れたが気楽で楽しい四人会でハンク・ウィリアムズの「ジャンバラヤ」歌った。
「この歌どういう意味なの」とBさんに聞かれた。
「何だか分からないんですよ」
「そう」
「調子いいから好きです」
「そうだね」

四人会では意味不明でも会話になるから有難い。一年前から一人来なくなっているが、今でも「四人会」。認知症気味なので会名変えると自分たちが混乱する。

ジャンバラヤは、分かり難い英単語でいっぱいだ。例えば、bayou.Thibodaux, Fontaineaux,gumboとか。それに分かり難い表現もある。"Son of a gun"って何だろう。一つ一つは分かっても、四つ並べると分からない。

英和辞典で調べると、「(親しみをこめて)君、お前、(驚き・失望などを表わして)おやおや, しまった, ちぇっ」だそうだ。歌って楽しければ意味は分からなくていいかな?

洋楽に詳しい人に聞くと「嫁さんをもらって故郷に連れて行き、皆に紹介する若者の喜びを歌にした。歌詞の中に地元の言葉や風物が混ざっている」そうだ。余計分からなくなってしまったが、食べたり飲んだり騒いだり、楽しい歌のように思っている。

分からなくても、歌っていて一番好きなのがここ。
Thibodaux, Fontaineaux, the place is buzzin',
kinfolk come to see Yvonne by the dozen.
Dress in style and go hog wild, me oh my oh.
Son of a gun, we'll have big fun on the bayou.
(1952年7月 作詞・作曲ハンク・ウィリアムズ)

ジャンバラヤとはクリオール 料理だそうだ。「クレオール料理 アメリカ合衆国のルイジアナ州ニューオーリンズを中心に食べられている、フランス、スペイン、西アフリカ、ドイツ、イタリア、アイルランドなど、様々な国や地域の食文化の影響を受けた料理。 またはそのスタイル」。
(クレオール料理 世界の食べ物用語辞典より抜粋)
posted by 中波三郎 at 20:20| Comment(0) | 後期高齢(75-79歳)