自分史のつもりでブログを書いていると、昔のことが芋づる式に思い出される。時には粉飾されてね。ひょんなことから、半世紀以上前の大切な手紙が見つかった。中学時代に川野さんから来たものだ。冒頭にこう書いてあった。「トンボって、真夏の暑い時は涼しい山に居て、里が涼しくなると、おりてくるのですね」。
川野さんにとって、学校も文芸クラブも熱いバトルの場と思う。涼しい下界に降りたい時もあるだろう。それが週一回の二人勉強会なら幸いだ。私に文章の書き方を教えることが、夕涼みになってくれれば有難い。昔なら思いもよらぬ考えが頭に浮かぶ。今は退職して自由の身だから、束縛するものが何もない。考えれば考えるほど、自分に都合の好い方向へとなびいてしまうのだ。
次にこう書いてあった。「病院まで一緒に行ってくれてありがとう。こんなお願いは貴方にしか言えません。私の甘えです」。
二人勉強会の時、突然川野さんが黙り込んで、苦しそうな顔をした。最初は、やる気のない私に気づいたかなと心配した。短い沈黙の後で、「病院に行かなければならないけど、少し心配なの。一緒に行ってもらえない?」と、かすれた声で言った。
道々、川野さんには持病があって通院していることを聞いた。待合室で診察に呼ばれるまで一緒に待っていた。やや長い診察が終わると、待合室に居る私を見て「あら、まだ居たの」と言った。何だか悪いことしたような気がしてドギマギした。私にとっては、忘れたい出来事だが手紙を読んだら思い出した。
手紙には、「神経衰弱(昔の表現)で我が儘な気持ちを抑えられないことがあるのですが、貴方は何時も冷静に受け止めてくれていました」と書いてある。今にして思えば心の病かも知れない。
文芸が好きなフリして教えてもらっていたけれど、私には化学の実験とかアマチュア無線とか、他に好きなことがある。興味のないことにはどうしても身が入らない。ただ川野さんのそばに居ることが、とても心地よかった。
今、手紙を読むと、甘えとかの表現、あるいは、我が儘を許す私への感謝の言葉が拡大されて心に届く。教える時は無駄話をしない川野さんとは大違いだ。そういえば手紙には「良き友を持つ幸せをいつも感じています」と書いてあった。
少年時代の私にとって、川野さんは教え魔のような不思議な人。一方、自分自身のことは、恥ずかしながら片思いの人と思っていた。だが、今は違う。長い年月で嫌な思いはそぎ落とされて、いつの間にか少年時代の淡い幸せな記憶に変わっている。老人力の成せる業と思う。
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