2017年12月02日

大ちゃん〜幻の決闘〜

中学3年の頃だが忘れられない同級生がいた。大ちゃんと呼ばれた親分肌の生徒である。友人と言うよりも親分子分の関係に近い。彼の呼び掛けで10人くらいの子分が集まる。15歳の大ちゃんは体格がよく大人並だった。

中学時代当時も虐めが多かった。大ちゃんは「虐める奴がいたら俺に言え、片をつけてやる」と頼もしい。彼はアルバイトでトラックの助手をしていた。運転手が生意気だからぶん殴ってやったとか武勇伝を面白可笑しく聞かせてくれる。

ある日、意地悪なA君に呼び付けられた。毎度のことだが放課後氷川神社に来いと言うのだ。大ちゃんに相談すると、一緒に行くから心配するなと言った。A君は神社の近くの林の中で空気銃を持って立っていた。彼が無理難題を押し付けるときは必ず空気銃を持ってくる。私はそれを見ただけでビビッてしまうのだ。

気が弱いので空想の中で仕返しをする。A君をメタメタにやっつけて「ゴメンナサイ。もう決して虐めません」と泣かせて謝らせる夢を見る。今回は空想でなく大ちゃんが付いている。夢は正夢となるだろう。「お前はここで待ってろ」と言い捨てて大ちゃんはA君に向かって行った。いよいよ始まるぞとワクワクした。大ちゃんにとって同学年のA君なんか朝飯前だ。何しろ大人のトラック運転手だって叩きのめすのだから。

期待に胸を膨らませて二人を見ていると。あれれ、まるで仲良しだ。A君も大ちゃんも笑っている。まさか二人で私を笑い者にしているのではないだろうな。一体どうなっているんだ。疑念がわいてきた。しばらくすると大ちゃんは意気揚々と引き上げてきた。「話しつけて来たからな。もうAはお前に手出しはしない」と厳かに言った。その後虐めはなくなった。

安心はしたがガッカリもした。解決はしたものの大ちゃんはA君を懲らしめてはくれなかった。私を虐め尽くしたことは、無かったことになったのだ。助けてくれた大ちゃんに感謝したのは大人になってからである。

A君は空気銃、大ちゃんは腕力、お互いに強力な武器を持っているが、話し合いで解決をした。「子分」のもめ事でいちいち喧嘩をしていたら「親分」をやって行けないだろう。大ちゃんの様な生徒は今も居るに違いない。事件にならないから報道されないが。そして私の様な愚かで恩知らずの生徒もいるだろう。助けてもらったのにお礼も言わない。自分の思い込みが強すぎて助けられたことに気付かないのだ。その代り今でも時々思い出す。

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2017年11月11日

天才ユガワ君

中学時代に同級生だったユガワ君は学校で一番の秀才で後に東大に入った。彼は学校の勉強を全くしていないようにみえた。ユガワ君の家に遊びに行っても本棚には教科書とか参考書の類を見かけない。目立つのは「無線と実験」とか「ラジオ技術」などの無線関係の本、それに落語全集と言うありさまだ。

ユカワ君は落語が得意で自習時間によく話してくれた。頭がいいから尊敬されているし落語で笑わしてくれるので人気もあった。それなのに何故か孤独な感じがする。私も一対一では近寄りがたいので遊びに行くときはいつも三人一緒だ。メンバーはコメヤ(米屋の息子)、オパーリン(唐辛子屋の息子)、そして私である。

ユカワ君は1級アマチュア無線技士の資格を持っていた。当時の中学生が取得できる最高の資格だ。無線通信は最先端の技術でユガワ君の部屋は科学の匂いがプンプンしていた。アマチュア無線をやっているコメヤに連れられて行ったのだ。

部屋にはラジオとか送受信機や、その部品などでいっぱいだ。アチコチに噛んだガムを張り付けていた。「これはなに?」と聞くと絶縁に使うと言っていた。噛んで捨てるだけのガムが再利用されている。さすがに天才はやることが違うと感心した。

4人の共通点は学校の勉強をしないことだった。ユカワ君はしなくても学校一の秀才だ。オパーリンは、背伸びして『生命の起源』の勉強を熱心にしていた。コメヤは遊んでいても私立の高校に行ける身分だ。私は高校には行かないので勉強する必要がない。実験と称して理科室に入りびたって遊んでいた。今では考えられないが、ちょっと危ない化学の実験などを自由にさせてくれるのだ。

不思議なことにオパーリンの家に行ってもコメヤに行っても家族に会ったことがない。ユガワ君の家では優しそうなお母さんが紅茶とお菓子を持ってきてくれる。私が行く中で唯一の家庭を感じる家だった。我が家は6人家族で6畳一間のあばら家だから友達など呼べない。とりとめのないことを書いてしまったが、私にとっては唯一の楽しい思い出なので、ぜひ記憶に残してして置きたかった。

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2017年10月28日

米屋の息子が探偵?

悪戯三人組の中になぜ米屋の息子(以下コメヤ)が入っていたのか未だに分からない。オパーリンと私は変わり者同士だがコメヤは普通だ。それなのにオパーリンと一緒に何かするときは、いつも彼が居る。ロケット発射実験?の時も化学実験の時も居た。

コメヤは卒業後、私立高校から私立大学へと進んだが、勉強する代わりに社交ダンスと恋愛ごっこに熱中した。私が中学を卒業して就職した後も折に触れて会っていた。こうして二十歳くらいまで何となく付き合っていた。

後で知ったことだがコメヤの父親は裏の仕事を持っていた。それは金貸しだった。母は米屋を高橋さんと呼び何かと頼りにしていた。どうやら土地を担保に金を借りていたらしい。彼が玄関先でお茶を飲んでいるのを見た記憶が幾度かある。しかしコメヤの父親とは知らなかった。浅黒いギョロ目の丸顔でハンチングを被っていた。

コメヤは住宅難の当時としては珍しく自由に使える部屋を持っていた。遊びに行っても家族の姿を見たことがない。時には寝転びながら先生や同級生の悪口を言い、意味もない雑談をすることもある。ところで母は金に困ると高橋さんに借りているようだった。母は貧乏なのに金遣いは荒い。困れば高橋さんが助けてくれるからだろう。

気になるのはコメヤが私と付き合った期間だ。母が高橋さんから金を借りて土地を取られるまでの期間とほぼ一致していた。土地を売り清算が済むと同時にコメヤとの付き合いはなくなった。コメヤは遊んでいるように見えたが父親を助けていたのかも知れない。

副業としての金貸しは、かなりシンドイ仕事だ。貸金を踏み倒される危険もある。担保を取って契約書に印鑑を押させても万全ではない。暴力団が介入する余地は残っている。コメヤは私を通じて何気ない会話の中から我が家の様子を探っていたのかもしれない。

誰もが家の仕事を手伝う時代だった。酒屋の息子が御用聞きや配達をするように、金貸しの息子が家業の手伝いとして探偵をしていたとしても不思議ではない。考え過ぎだろうか。それともこんな私だから友が去るのかな。

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2017年10月21日

オパーリンの化学実験?

それほど気が合うわけでもないのに何となく付き合っている友がいた。考えててみると二人とも友達が居ないからだ。私と唐辛子屋はそういう仲だった。彼のあだ名はオパーリン、これからはそう呼ぶことにする。オパーリンは比較的裕福な家庭に育ち、一見優男風だが桁外れの変わり者である。ソヴィエト連邦の生化学者オパーリン博士の「生命の起源」を信奉し誰彼構わずその話をするのだ。

「オパーリンは偉大。オパーリンは生命を作る。オパーリンはダーウィンの再来だ」と熱っぽく話しても誰も聞かない。その代りにオパーリンと言うあだ名が付いた。「生命の起源」など普通の中学生には難しすぎる。先生でも理解できないかも知れない。

オパーリンの提案で無届の化学部ができた。メンバーは三人だけだが放課後に理科室で実験をした。彼は「最終目標は生命を作ることだが、先ず簡単な無機質から始めよう」と言って硫酸と亜鉛から水素を作る実験をした。細かいことは忘れたが、オパーリンが「化学では証明が大切だ」と言って水素らしき気体に火を付けたら爆発した。

突然パーン、パン、チャリン、ガチャンと理科室内が騒がしくなり、異変に気付いた先生が血相変えて駆け付けた。陸軍士官学校出身で痛いビンタを張ることで恐れられた先生だ。身体がブルブル震えてきたが、意外にも先生は怒らなかった。「栓が抜けてよかったな。フラスコが爆発したら今ごろ失明だ」と言いながら安全な実験方法を教えてくれた。

挨拶しない、廊下を走る、遅刻したとか細かいことでは、よく叱られたが不思議なことに大失敗ではお咎め無し。工事現場でのロケット?爆発の時もそうだった。子供の責任では負い切れない程の大失敗をすると、大人は人身事故にならなかったことに安堵する。そして叱るのを忘れるのだ。もちろん私は深く反省したがオパーリンはどうかな? 心の内が見えない人だった。

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2017年10月14日

謎の宇宙旅行協会

愚か者だが中学生の頃はもっと愚かだった。月世界征服(米1950年)という映画に感動して宇宙への旅を夢想した。その第一歩として宇宙旅行協会に入会。月一回発行されるガリ版刷りの会誌にはロケットの作り方が書いてある。簡単そうなので作ろうと思った。

心細いので唐辛子屋の息子と米屋の息子を誘った。この三人は小学校も一緒の悪戯仲間だが、どんな人物かは朗らか先生と真面目先生に書いたので省略する。三人寄れば文殊の知恵で何とか全長30cmのロケットを作り上げた。先ずは試したかったのだ。

人口密集地の渋谷でロケットを発射する場所は大きな道路の工事現場しかない。調べると12時から1時間は昼休みの為、工事現場が無人になることが分かった。準備に30分はかかるとして12時29分にカウントダウンと決めた。「スリー、ツー、ワン、発射!」と映画のようにカウントして導火線に火をつけたが、ロケットまで届かないうちに消えてしまった。予備の導火線に付け替えたりいろいろ試したが、どうしても点火しない。

想定外のトラブルであせった。1時には作業員が戻ってくるので時間がない。万策尽きてロケットを上に向けて立て、その周りで焚き火をした。最低限、点火だけはしたかった。だがどっちに飛ぶか分からない。20mほど離れた物陰に隠れ首だけを出して見守った。

突然の大音響にビックリしてロケットを見るのも忘れた。どこに飛んだかも分からない。慌てて火を消し辺りを見渡すと、休憩所から作業員が飛び出すのが見えた。恐怖におののいたのはつかの間だった。遠くから「おーい大丈夫か〜」と心配そうな声が聞こえる。どうやら逃げなくてもいいらしい。見つかったら叱られる。ただじゃすまないと思っていたのにお咎め無し。なぜだろう? 宇宙旅行協会って何だろう? 当時の住所は枚方市だった。

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2017年08月12日

料理の材料

食材とは料理の材料となる食品だが、ときには意外なものも食材となる。中学一年の頃だが闇屋と間違われて警察に捕まった。歩く姿が堂に入ってたので腕利きの闇屋と間違えられたのだ。渋谷駅を降りて宮益坂を上がり切った所に交番があった。警官は身体の二倍もある大きなリュックを軽々と背負って坂を上る姿を見て疑ったらしい。「中身は何だ?」といきなり聞かれ狼狽えた。この態度が警官の疑いを更に深めた。

リュックの中身を知られたら大変だ。母が一番知られたくない物が詰まっていたからだ。私は警官よりも、怒ると火箸を投げつける母の方が怖い。見栄っ張りだから、貧乏で食えないことをひた隠しにしていた。中身を知られれば怒りは私に向かって爆発するだろう。

品川駅に集まってくる客車の清掃を手伝うと、親方が食べられる物を持ち帰ることを見逃してくれる。操車場には数えきれないほどの客車が全国から入ってくる。膨大なゴミの中には僅かながら食えるものもある。その中から弁当箱を見つけて、ある程度の重さがあればリュックに詰める。ゴミ山は食料の宝庫だ。一家6人が食べるには十分な量を集められる。

「素直に話さないから悪いんだよ」と警官は言った。
「捕まったことは家に言わないでください」
「事情を聞いただけだよ」
「母には絶対に言わないでください」
「誰にも何も言わないから心配するな」

警官は私の年恰好とリュックの中身で全ての事情を飲み込んだ。リュックは大きいが中身は食べ残しが入ったスカスカの弁当箱だ。これが家族6人の夕食に化ける。蒸かして食べるのだが経木で出来た弁当箱は好く燃える。食材と燃料が一挙に手に入るのだから有難い。餓死者がいる一方で弁当を残す人がいる。この格差を埋める作業に意義を感じていた。何処から持ってこようと食品は料理の材料である。徹底的に困れば知恵が出る。

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2017年06月17日

朗らか先生と真面目先生

中学に入るとリセットされて新しい人間関係が生じる。楽しみにしていたが、期待に反して又もや小学校と同じ悪戯三人組になってしまった。類は類を呼ぶといわれているが、三人三様性格もバラバラの寄せ集めだ。共通点はただ一つ、中学生にしては異常に背伸びしていることである。

米屋の息子はませている、中学生の知らない大人の世界を知っている。唐辛子屋の息子は自己顕示欲が強すぎる。「生命の起源」を書いたソビエト連邦の生化学者、オパーリン博士を尊敬する一方、物事が上手く行かないとトンデモナイ悪戯をしでかす。この二人は、息子を省略して「米屋」「唐辛子屋」と呼ぶことにする。私自身は1日でも早く職について大人になりたいと背伸びしていた。

私は貧し過ぎた。不本意ながら行動は不良生徒と同じになってしまう。木工所で働いていたが、そこには遊ぶ金が欲しい中学生も沢山来ていた。米屋もその一人だ。そんなことだからアルバイト=不良というイメージを先生方に印象付けてしまうのだ。

実際、アルバイト中学生は遊ぶことばかり考えている。米屋は仕事の手を休めて年上の女工さんにモーションかけたりしているのだ。中学生、しかも1年の分際でホントに腹が立つ。こちらは働かなければ食って行けないのだ。学校の隣はパン屋だが、弁当を持って来ない不良生徒と私はパンを買って昼食にしていた。私だけは文字通りパンを得る為に働いていたが、彼らは買い食いが好きなだけだった。

話は変わるが、中学には若くて美しい女の先生が二人いた。一人は明るく朗らかな音楽の先生。 もう一人は正直で生真面目な国語の先生である。便宜上、朗らか先生、真面目先生と呼ぶことにする。これから書くのは両先生と悪戯生徒の話である。

その日は校外学習だった。電車での往復だが帰りは先生方も疲れてくる。しかし先生は決して座らない。先生にとっては厳しい校外学習である。生徒を優先的に座らせるのが中学の方針らしい。多分先生に生徒の状態を把握させる為と思う。 座席に座って辺りを見ていると朗らか先生が、こちらに向って歩いてくる。私の前で立ち止まると「ああ疲れた。座らせてね」と、言うが早いか私の膝の上に「ドッコイショ」と座ってしまった。

最初はビックリしたが、じわじわと先生の暖かさが伝わって来た。先生は私の事情を理解しているのだ。日頃の行動は不良生徒と同じだが、そうしなければならない事情を理解して、それとなく伝えに来てくれたのだ。”分ってるよ先生は味方だからね”と言われたような気がして心が和む。禁止されているアルバイトに行くのは昼食や学用品を買う為、休んだり無断早退するのはアルバイトの為だ。しかし、表面的に見れば、遊ぶ金欲しさにアルバイトしたり、遊びたいから休む不良中学生と一緒なのだ。 

ところで朗らか先生のことは横に置いて、後に真面目先生が遭遇する、不幸な事件の話をしよう。唐辛子屋が企てた授業妨害の話である。真面目先生の国語は大好きだ。朗読などは聴き惚れてしまう。その日もいつもの様に先生の授業に集中していたが、なにか後ろの方がザワザワして来た。ハクション・クションとアチコチでクシャミが聞こえる。その内に私の鼻もツンツンしだした。

振り返ると一番後ろの席に座った唐辛子屋が下敷きをバタバタさせている。父親の工場から持ち出した大量の胡椒を蒔いて下敷きで扇いでいるのだ。もう教室中で席を立ったり窓を開けたりの大騒ぎ。明らかに授業妨害だ。

騒ぎが収まると先生は唐辛子屋を前に呼びつけて叱ったが、先生の顔が青ざめている。唐辛子屋の方は先生の前に立ち、なぜかニヤニヤしている。ちょっとした実験のつもりかもしれない。彼は化学が大好きな実験マニアだが今回は違うだろう。 

先生はかっとなって手を上げた。上げたというよりも平手打ちをする構えだ。振り上げた手は唐辛子屋のホッペを叩きに行った。まさにその瞬間、唐辛子屋はボクサーの様に体をかわした。可哀想に先生の平手は空を切ってしまった。面子を失った真面目先生は、生徒たちの前であることも忘れ、両手で顔を覆い泣きだした。こうして唐辛子屋は不良生徒のレッテルを貼られることになった。当然のことだ。

東京の学校では郊外学習でよく電車を使う。また同じような状況になった。生徒が優先的に座り、先生が立っているのだ。ありゃりゃ? 唐辛子屋の膝に朗らか先生が座っているではないか。なんと言うことだ! 信じていたものが音をたてて崩れていくような気がした。唐辛子屋の悪質な悪戯は学校中に知られている。だとすれば?

「優しい先生と信じていたのにカイジュウなんですよ」
「先生が怪獣?」
「懐柔なんですよっ! うまく手なずけ従わせようと企んでいるのです
「そうか問題児に対する懐柔策か。それでお前の膝にもドッコイショ」
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2017年06月15日

渋谷区立鉢山中学校の思い出

渋谷区立鉢山中学校に入った頃は戦後の新教育制度に変わって数年しかたっていなかった。当時は何年生と聞かれると「新制中学1年です」と答えるのが普通だった。戦争で瓦礫の街と化した渋谷の復興は校舎を建てることから始まった。中学も新しく校歌も新しかった。1番から4番まであった校歌の中で4番が一番好きだったのでここに抜粋。

「鳴りひびく自由の鐘よ 打ちたてん久遠の平和 大いなる使命にふるう 鉢山のわが学び舎に ああ若き命はあふる」。キーワードは自由、平和、若き命、言い換えれば大戦で失った最も大切なものである。作詞は国語担当の本間丸平先生。貫禄があって凄く厳しい先生だが個人を叱ることはなかった。物凄くドスの利いた声でクラス全体を叱った。心当たりがある時はブルブル震えるほど怖かった。

三年生になったら本間先生から将来の進路について書くように求められた。私の進路は就職、それについて計画を詳細に書いて提出した。この就職試験がダメならコレを受けコレがダメならアレと言う様に3年分書いたのだ。卒業して数ヶ月後、東京から遥か離れた就職先に先生から手紙が来たのでビックリした。凄く褒めてくれたのでとても感激。ほとんど口も聞いたことない怖い先生に褒めちぎられたのだ。私はチャンとした職に就かないと飯が食えないと毎日のように考えていた。そのことをダラダラ書いただけなのに、「君を誤解していたようだ」と謝罪文付だったからたまげた。
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