2016年08月01日

「中島パフェ」の歩みを振り返る 〜2003年3月25日からの思い出〜

只今更新中、2003年より2006年まで進む。記事本文は下です。 (´・ω・ ) 
                                                  
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2006年01月06日

北海道新聞の取材に協力

2006年1月6日「北海道新聞」の取材に協力
菖蒲池のカモは池が凍結すると、凍らない鴨々川に移動する。ところがある日突然、水の流れが細くなり川の表面がが凍結した。行き場を失ったカモたちが空や地上で右往左往した。その様子を撮ってサイト「中島パフェ」に掲載。記事を見た北海道新聞の記者が取材に訪れた。そのとき現場を案内して、求めに応じて2枚の写真を提供した。それが2006年1月6日「北海道新聞」朝刊に掲載された。

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キタラ近くの中州橋より撮った凍結した鴨々川。菖蒲池が凍結する冬期間、カモたちの居場所になっていた。水の流れが極端に減少すると川の表面は池と同じ様に凍結する。

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残された僅かの水場がある地下鉄幌平橋駅裏はカモで大賑わい。地下鉄の出入り口近くまでカモが登って来た。この辺りのカモは空腹になると人に近づく。

北海道新聞の記事 → 道新記事「鴨受難」
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2005年07月27日

雪まつりWSに市民委員として参加

2005年7月27日 雪まつりWSに市民委員として参加
5月17日から7月27日まで市民ワークショップに参加し、廃止される真駒内会場の代替会場について検討した。

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大規模ロードヒーティング設備のある中島公園を推薦したいと考えた。このような設備を持つ公園はここだけとと思う。新会場の目玉になると考えた。

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画像はクリックすれば拡大する。キタラを中心に敷設された豪華な設備。

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1990年〜1993年年の間は中島公園も雪まつり会場の一つだった。

その頃と2005年との大きな違いは札幌コンサートホール・キタラが建って園路にロードヒーティングが敷設され、夜の園路が照明で明るくなったことである。その他、この公園で開催するメリットは書ききれないほどある。雪像の大通り、氷像の薄野、自然の中で参加型の中島と言う位置づけを提案した。

その後、経費がかかるためロードヒーティングは使われなくなった。今(2017年)は中島公園で雪まつりをする意味はないと思う。ロードヒーティングがあってこその提案だった。(2017.11.6記)

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2005年04月08日

初めてのラジオ出演

2005年4月8日 初めてのラジオ出演
2001年9月に転居したときは中島公園周辺には友人はおろか知人も居なかった。転居して初めての春、町内会の鴨々川清掃に参加し、「まちづくりハウス」を訪ねてボランティアの申し込みをした。いずれも上手く行かずに直ぐに退散。代わりに中島公園のHP「中島パフェ」を2003年3月に開設した。開設して2年後、地元のラジオ「山鼻、今日もいい天気!」から声がかかった。山鼻地域にある中島公園の話をして、と言うことなので喜んでゲストとして出演した。4年たって初めて地元の方々と繋がりが出来たのである。

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ラジオカロス・サッポロのスタジオ。「山鼻、今日もいい天気!」放送中。

ラジオは初めてなので最初は緊張したけれど、終わって見れば案外簡単だなと思った。しかしこれは大きな勘違いであることが後になって分かった。全ては司会進行の役割を果たすパーソナリティーの腕によるものなのだ。30分程度打ち合わせをしただけで、私の知らないこと聞かないし、当たり前のことを言っても面白くしてくれる。最後には出て好かったと思わせてくれる。だから「案外簡単だな」と感じてしまったのだ。

「中島パフェ」を開設して2年だが少しずつ反響が出て来た。私のスタンスは言いたいことはサイトに書く、後は黙って反応を待つ。中島公園に関することで話すとか書くとか資料提供とか頼まれれば何でもOKする。出来るか出来ないかは考えないで引き受ける。そして全力投球する。もちろん失敗は多いが私自身の勉強にはなる。何も分からずにやっているので、心ならずもトラブルの種をまいてしまったことも2,3回はあったと思うが、これが一番勉強になった。ご迷惑をおかけした方々には申し訳ないと今でも思っている。
(2017.10.27記)
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2005年02月13日

すすきの氷の祭典に協賛

2005年2月7日〜13日 第25回すすきの氷の祭典
ホームページを開設して1年半くらいすると、ボチボチ反応が返ってきた。12月は札幌テレビのどさんこワイドで台風に関する取材を受けた。64年も生きて来たのにマスコミの取材は初めてだ。更に1月には読売新聞で中島公園菖蒲池に関するインタビューがあった。こうなると2月も何か欲しい。そうしたら北海道新聞に次のような記事が載っていた。

札幌雪まつり、ススキノ会場で昨年から初めて導入した個人スポンサーが低調で応募が1件しかないと言う。それなら2月はこれにしようと決めた。協賛金は1基12万円と私にとっては高額だが、酒タバコは飲まないし旅行とかお洒落とか金のかかる趣味もない。ケチとは言われたくないが使う機会もない。中島公園の隣街、ススキノの為になるなら好いかもしれないと考えた。それに「中島パフェ」のPRにもなる。

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氷像の制作は札幌パークホテルが担当した。協賛と書いた枠の中はスポンサーたる私が好きなように書ける。当初は「雪まつりを中島公園で!」と考えていたが、いろいろあって「頑張れ!ファイターズ」に変えた。下の方にゴチョゴチョ書いたが、気の利いたワンフレーズにすれば好かったとか少し後悔した。

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両側の女性は「すすきの氷の女王」プリズ・パレの光月なみえさんとクラブ・ノーブルの聖さん。もしお二人を指名して飲んだら協賛金とどちらが高いだろうかとか考えた。一生に一度と思えばこんな写真もいいかも知れない。感心する人は居ないと思うけどね。本当は人を笑わすのが大好きだが不器用でジョークを言えない。笑ってもらえれば幸いだ。
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2005年01月15日

2005年1月15日 インタビュー 読売新聞「水紀行-菖蒲池」

「珍しいわね。黙り込んだりして」と妻の花子(仮名)。
「マスコミがインタビューに来たら何を話そうか、考えています」
「来るわけないでしょ。ホームページ作ったくらいで」
ところが、読売新聞の記者が来てしまった。私は、中島公園の未来、現状、自然、環境、その他、あるだけの知識を一生懸命披露した。後で新聞を読むと「中島公園にほれ込んだ人」として紹介されていた。私の熱弁は記者の頭の中にインプットされると、「ほれ込んだ人」というホンの一言になって紙面に出力された。

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上の画像をクリックすると拡大し読めるようになる。
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2004年12月29日

2004年12月29日 初めてのテレビ出演

初めてテレビの出演依頼を受けた。とても嬉しくて何も考えずに快諾した。2004年9月8日に北海道を襲った未曾有の台風は中島公園にも大きな傷跡を残した。公園中の写真を撮り、多数の被害写真を「中島パフェ」に載せたのが記者の目に止まったのだ。
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本当はもっと凄い写真をいっぱい撮った→2004台風第18号(中島公園で最大級の被害)

番組名は「STVどさんこワイド 台風18号の猛威」。台風以前のポプラ並木と台風直後の3枚の写真が放映された。私は撮影者として簡単なコメントを付け加えた。

 
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ポプラ並木があった行啓通、地下鉄幌平橋駅前で撮影。

以下、詳細
台風18号で北海道中、大被害があったときのことである。風が治まると直ぐに近所の中島公園に被害状況の写真を撮りに行き、直ぐにホームページに載せた。 それがテレビ局の目に留まり、取材の申し入れがあった。

担当記者に、「今なお台風18号の爪痕を残しているところはないか?」とたずねられ、迷うことなく地下鉄幌平橋駅前のポプラ並木と答えた。念のため、他に傷跡を残している所はないかと公園中、探しまわったが、やはり特別に目立つ所はない。被害を受けた場所は沢山あるが、いったん片付けてしまうと、それが新しい風景になる。被害の程度は以前の風景と比べて見ないと分らないのだ。

数日後、中継車が来て、記者、技術スタッフと一緒に現場の下見をした。私は撮影場所である幌平橋駅あたりを記者と当日の打ち合わせをしながら、見て歩るいた。中継車と報道スタッフを見て、これはエライ大掛かりだなと緊張し、少し心配になって来た。

技術スタッフがいろいろ調べていたが、結論を言うと、「中継車が駐車する場所からは電波がとどかない」と聞かされ、この企画は中止だなと思った。何か肩の荷が降りた様な気がしながら撮影予定現場を後にした。大きな中継車を報道の為とはいえ、道路に駐車させるわけには行かないのだ。

翌日、記者から豊平館前を検討したいとの電話があったので、「台風被害の傷跡は雪などに覆われて、よく見えないと思う。」と答えたが、記者はとにかく現場に行って調べてみると言った。豊平館前の駐車場に中継車を置けるというのが撮影場所変更の理由である。彼はあくまでも中継車による放送にこだわっていた。それを入れるか入れないかで報道の格が違うのだろうか。

豊平館前では適当な被写体がないと思っていたので、これでこの話はお仕舞いと思っていた。しかし、数日たつと「29日のニュース番組に出演して欲しい。撮影場所は幌平橋駅前」との連絡があった。後で考えると規模を縮小してやることになったようだ。現場に中継車は来ていなかった。

残念な気持ちも少しはあったが、ホッとした気分の方が強かった。元々今回の予定は都心の台風被害というテーマで、道庁と中島公園をやる予定と聞いていた。道庁の方は中止になり、替わりにヘリコプターで空からの北大ポプラ並木放映になっていた。中島公園の方は短時間になりはしたが、予定通り幌平橋駅前で中継することになった。

別の取材で来ていた新聞記者が「中継車が来るとは豪勢な番組だな」と言っていたが、そのときは意味がよく分からなかった。しかし、来なくなった代わりに、ヘリコプターを飛ばしているのを見て、改めて年末特番は豪華だなと思った。中継方法に変更があった為、いろいろ勉強になった初めてのテレビ放送協力だった。


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レポーターが持っているパネル写真が倒壊前のポプラ並木。背景は倒壊したポプラ並木跡。下の写真はパネル写真を拡大したもの。この2枚はほぼ同じ場所で撮影。


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2004年11月18日

2004年11月18日 ヤフー・カテゴリに掲載

簡単に言えば「ヤフー・ジャパン」のリンク集に掲載されると言うこと。3回目の推薦でやっと登録された。もちろん自分でマイ・ホームページを推薦したのだ。「中島パフェ」開設より約一年半でヤフー・カテゴリに載せてもらうことができた。
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YAHOO!JAPAN(ヤフー)カテゴリより、 「趣味とスポーツ」のアウトドアより→「地域のアウトドア情報」→「北海道」→「公園」→順に進めば「中島パフェ」に到達する。残念ながら、ディレクトリ型検索サービス「Yahoo!カテゴリ」は、2018年3月29日をもってサービス終了の予定。今となってはこれも思い出の一つとなってしまった。

Yahoo!JAPANのサーファーが審査して、適当と認めればYahoo!カテゴリに掲載してくれる。2004年当時はアクセス・アップの為には大いに役に立った。北海道では約30の公園が掲載されていた。2004年当時はディレクトリ型検索とロボット型検索が二分していたが、徐々にロボット検索一本に収束して行った。

この時代は人が審査するヤフー・カテゴリの方がロボット検索より信用があった。ロボットは未完成で人のズルを見抜くことが出来なかったからだ。ロボット検索の精度が上がるに連れて人手に頼るディレクトリ型検索は衰退して行き、来春には消え去ることになった。ヤフー登録も今となっては些細なことだが当時は大喜びしていた。(2017年8月10日記)
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2003年03月25日

2003年3月25日 HP「中島パッフェ」開設

近所に知る人の一人もいない新築のマンション暮らしは、まるでホテル住まいのようだ。 地に足がついていない「永遠の旅人」。そんな感じの新生活のスタートだった。今まで職場中心の生活をしてきて、退職したからこれからは地域と思っても、そうは行かない。「まちづくりハウス」に行ったり、鴨々川清掃作業に参加したりしたが、知らない人の中でただウロウロするばかりで、何の役にも立たないありさまだ。

慣れないことを無理にやったところで何にもならない。地域の為に貢献したいなら自分の好きな方法でやるべきと思い直した。これが中島公園に関するホームページ開設の動機。目標は役に立つホームページと定め、その為の活動には惜しみなく時間を注ぐことにした。中島公園の近くに住み時間を沢山持っている。これが私のアドバンテージだ。

ホームページ・タイトルは「中島パッフェ」とした。ヨツバの小倉パッフェが大好きだから、中島パッフェがあっても良いのではないかと思った。最初から検索されることを意識してユニークなタイトルにすることに決めていた。「中島パッフェ」をキーワードにして検索してくれれば必ず1番目に出るだろうと考えたのだ。
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開設して数ヵ月すると、このタイトルは日本語として間違っていることに気が付いた。パッフェでなくパフェである。ヨツバで「小倉パッフェ下さい」というと間違いなく小倉パフェが出てきたのでパッフェと思い込んでいたのだ。修正はしたものの要らぬ恥をかいたものだ。
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