2023年03月04日

男はつらいよ

恋愛とはおかしな言葉だ、英語で恋はLove、そして、愛もLove。ならば、恋愛はラブラブか? それならば、片思いこそ真のラブである。ラブラブ−ラブ=ラブとなる。自分なりに解けた。こう考えれば世渡りは楽しい。

Aさんは、病気一つしたことのない力持ち。山に登るときも疲れている人の荷物を持ってやるほどだ。そのAさんが不治の病に犯されてしまった。男らしい寡黙な人だったが今はよく話し、内容も以前とはずいぶん違う。柄にもなくロマンチックなことを言うようになった。その反面、妙に現実的な部分も出てきた。

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「ガラスの城」1950年製作、ミッシェル・モルガン、ジャン・マレー

「恋をしてるんだ。Bさんのことが何故か頭から離れない。片想いだから都合がいいんだ。お金はかからないし、トラブルの心配もない。おまけに振られる心配もないんだよ」
「そんなもんですか。私も倹約は大好きです」
「Bさんのことを思うと何か暖かい気分になれるんだよ。片想いなんて思っただけで恥ずかしいけどね」
「好いじゃあないですか。お金もかからないし」

「病気になって吹っ切れたよ。いろいろとな」
「いろいろ何ですか? 聞かせてくださいよ」
「嫌だね。誤解するから」
「Bさんは、明朗活発、頭脳明晰、美しい方ですね」
「そうそう、素晴らしい方だな」
「片思いでもですかぁ」
「まぁ、な」
「トラブルの心配も振られる心配もないから最高ですね!」
「… …  ムカッ(-_-メ)」

それでもAさんは気を取り直して話し始めた。話題を少し変えて恋愛談となるが、Bさんへの想いからは離れられない。
「恋愛をを3つに分け順番をつけてみたんだ。一番は相思相愛、二番は片想い、そして三番が恋愛もどきかな」

「なんで、哀れな片思いが二番なのですか?」
「恋愛もどきの悪いところは嘘をつくことだ。相手にも自分にもな。それに、見栄を張るので金もかかる。いずれ別れるか、一生猫被るかどっちかだよ」
「我輩は猫である」
「分かってるよ。丸くおさまりゃ何でもいいんだろう。片想いは、妥協はしない、見栄張らない、しかも純粋だよ」

「どこが楽しいのですか?」
「古い映画の話になるが無法松は幸せだったと思うよ。俺も無法松を見習ってBさんの為に誠心誠意尽くしてきた。何気なく尽くしてきた。この何気なくが一番大切なことなんだよ。自分の感情の片鱗も見せたことないよ」

「あなたは私にも、とても親切ですね」
「Bさんにだけに親切では、何気なくにならんだろう」
「なーんだ、目くらましですか」
「すまん」
「男はつらいですねぇ」
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2023年01月14日

仲よき事は美しき哉?

「仲よき事は美しき哉」とは言うけれど、仲良くなるのは難しい。ところで、82歳のヒロシは一つ下のユウコと二人暮らし。私たちは絶滅危惧種、名前がこの世から無くなろうとしているのだ。約80年前にモダンな名前として、颯爽と登場したヒロシとユウコだが今まさに消え去ろうとしている。

博、弘,宏、裕子、優子、夕子など、数え上げれば切りがないほどのヒロシとユウコが年を追うごとに減って行く。余りにも寂しいではないか。
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「まるで絶滅危惧種ですね」
「全ては変わる。観念しろ」
「何とか保護する道はないでしょうか」
「甘えんじゃないよ」
「ヒロインがユウコでヒーローがヒロシの映画を作るとか」
「無理ムリ、絶対ダメ」
「そう決め付けずに気楽に行きましょ」
「売れると思うか? 大赤字、会社倒産!」

最近の名前をみてもヒロキはあるけれどヒロシはない。ユウはあるけれどユウコはない。ホンの少し違うだけで絶滅危惧名前になってしまうのだ。「滅び行く名前の二人」が喧嘩などしていて良いはずがない。

そう思って、仲良くしようと努力しているのは私(ヒロシ)だけ。ユウコはごく自然にあるがままの人生を送っている。私だけが気をもんで我慢している。ときどき意識的にガス抜きをする。これも工夫の一つだ。

「私に悪いところがあったら、遠慮なく言ってください」
ユウコはこんな質問に、ウッカリ返事をすると損だということを知らない。一生懸命考えてからこう言った。
「家の仕事より自分のやりたいことを優先するのが悪いよ」
「例えば、どんなことですか?」
この質問に答えれば、更に墓穴を掘ることを予想もしない。
「え〜と、ゴミを直ぐに出さないことかなぁ」
「今月の目標はゴミを早く出すことにします」

今月と言っても残りは3日だ。これでは私の仕事は増えないのに不満だけは消滅する。こうして、二人で仲良く暮らすため日夜努力を重ねている。ユウコは決して私を褒めてくれないのだから、自分で自分を褒めてあげたい。

「自分を褒めて虚しくないか」
「三方良し、と言う表現をご存知ですか」
「いきなり何だ?」
「売り手良し買い手良し世間良し、のことです」
「それがどうした」
「家ではユウコ良しヒロシ良しで、世間は無し v(^_^ v)
「そして、ヒロシはユウコを騙し放題」
「いえいえ、それはあんまりです」
「なんだと?」
「仲よき事は美しき哉、と思ってください」
「盗人にも三分の理、とも言うな」
タグ:楽しい我家
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2023年01月07日

ケチな夫婦

持病とコロナ禍で3年間の巣ごもり生活。最近少しは外出するようになったが、人に会うことは殆どない。これではネタがない。止むを得ず、自由に行動していた頃を思い出しては書いている。今回は15年くらい前の夏の話。あの頃の二人暮らしは薄暗く、楽しみも生き甲斐も外に求めていた。

Aさんに呼ばれていたので、病院の帰りに寄ってみた。心に傷を負っているので慰めてもらいたい気持もあった。
「精神的虐待を受けているのです。これってドメスティック・バイオレンスじゃあないですか」
「そう思うアンタが異常。早くお家に帰りなさい」
「用事があると言うから、来て上げたのですよ」
「草むしりでもしてもらおうと思ったけど、腰痛じゃあねぇ。亭主は膝がガクガクだというし。まったく情けない男ばかりだね。年は取りたくないものだ」
「お互い様でしょ。庭の草むしりぐらい自分でやってよ」
「公園の草むしりよ。皆でやろうと言ったでしょ」
「アレッ! 今日でしたか?」
「ヒマができたときパッとやらないと、いつまでたっても出来ないでしょ」

草むしりは体調不良ということで解放されたが、「帰って来なくていい」といわれているのに直ぐ帰るのも癪だ。中島公園をブラブラして、腹が減ったら「狼スープ」にラーメンでも食べに行き、その後で帰ることにした。

昨日は二人仲良く映画「相棒」を観に行ったのに、今日は「悪妻は百年の不作」と思い、顔も見たくない気分だ。本当に人の気持は移ろい易いものである。しかし、40年近くも一緒に暮らしていたら「仲良し」と言われても仕方がない。なぜ、仲良しなのだろうと考えてみた。答えは意外に簡単だった。二人ともケチだからだ。

妻の場合、「こんな家、出て行く!」と言っても、実家に帰るには旅費もいるし、手ぶらと言う訳にも行かないだろう。家の近くのホテルに泊まるにしても帰るまで、毎日お金がかかるのだ。

私だってマンガ「巨人の星」の星一徹のように叱りたい。「黙れ!」と一喝、ちゃぶ台ひっくり返したら、さぞかし気が晴れるだろう。その代わり、一食分の全てを失った上、お茶碗が割れるかもしれない。こんなことを考えているようでは派手なケンカなど思いもよらない。ケチケチしている間に40年もたってしまった。

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あれから更に15年以上たった。時の流れは早いものだ。最近は特に早い。振り返ってみれば、在職中は自己否定的人間だった。仕事が苦手で、趣味とスポーツが全然ダメだから肯定など思いもよらない。

退職したら思うがままに生きられるので、次第に自己肯定的人間になって行った。自由の身になったのだから、これも当たり前。なんでも見てやろう、やってみようと手の平返したように前向きになった。

その後、加齢による体調低下に応じて活動範囲を縮小、80代になったら家に引き籠り、静かに愉しく暮らしている。しかし、自分の生き方を肯定する気持ちは変わらない。状況が変わっても、これはこれで良いものだと思っている。
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2022年12月24日

演技上手はどっち?

60代から70代前半までは若者気分で元気よく、充実していたが不満も多かった。私はこの時代を「自由時代」と呼んでいる。思い起こせば、あの頃が懐かしい。とは言え、今の静かな生活も捨てたものではない。

「亭主、おん出してやったわ」
とAさんが、気炎をあげている。
「ホントですか」と、60代だった私。
「眠れないから、ラジオつけたり、本読んだりするでしょ」
「そうそう。私もそうです」
「そしたら、あのろくでなし、眠れないとか、あーだーこ〜だ〜いうのよ。眠れないのは私じゃあないの」
「ラジオはイヤフォンで聴きましょう」
と、思わずご主人の代弁。
るさいわねぇ! 部屋なんかいっぱいあるでしょ、好きなところに行って勝手に眠むんなさい!」

ご主人の代わりに叱られてしまった。そういえばAさんの家は大きい。グランドピアノを置いた居間の他、子ども部屋4室はすでに空き部屋、それに寝室、応接間、書斎まである。

「ご主人ビックリしたでしょう」
「出たっきり、帰ってこないのよ〜」
「家の中で寝ているのなら、いいじゃないですか」
「淋しくなったら、いつ帰ってもいいのよ。と言ってあげているのに、まだ帰ってこないのよ〜」
「優しいのですね。私なんか、もう帰って来なくていいと言われてしまいました」
「どこから?」
「病院からです」
「そう、病院から帰らないとすると焼き場に直行かな?」
「もっともっと酷いところがあるのですよ」

つい先日のことである。朝、病院に行こうとすると、お母さんの「服装チェック」。毎度のことだが、もうウンザリだ。出かけようとするとジロリと見てケチを付けるのだ。あぁ、叉か。と思いながらも、素直に「はいはい」と言っておく。朝から揉め事はゴメンだ。とりあえず、ズボンを脱いでステテコ姿でいた。

「何よ!その格好」
「ズボンを替える準備です」
「そんな、みっともない格好して、誰か来たらどうするの。時間がないから出かけるからね」
「はいはい、行ってらっしゃい」
続いて、小さな声で独り言「せいせいするわい」。これが聞こえてしまったようだ。厳しい言葉が返ってきた。
「病院に行ったら、もう帰って来なくていいからね!」

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病院に行ったきり帰れないとは如何なる場合だろうか。大学医学部の地下にある「ホルマリンプール」行きとか聞いたことがある。私の抜け殻も人体解剖用にプールに沈められるらしい。ひょんな調子で浮き上がると棒で突っつかれるそうだ。打ち所が悪いとバラバラに壊れてしまうとか?

ところで、80代の今から思うと60代はまだ若い。恥ずかしいことも含めて全てが懐かしい。既に男性の平均寿命を過ぎているのに、まだ生きている。楽しい二人暮らしだが口喧嘩は絶えない。そんなとき私は、直ぐに謝る。凄く喜ばれるからね。「この世は舞台、人はみな役者Shakespeare」だそうだ。二人のうち演技上手はどっちだろうか?
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2022年12月17日

ベンガル虎に会いに行こう!

とにかく謎の多い人だ。6年間の付き合いなのに話題が尽きない。今日もAさんの独演会。Bさん、Cさんも、なかなかな人物だが聞き役に終始している。私などはいうまでもなく「うなずきマン」だ。

「男でも度胸のないのはダメね。皆尻込みしているのよ」
「3週間も山歩きした後では仕事が忙しいのでは… … 」
「何が忙しいのよ! 怖いだけ。情けない男たちよ」

今ならベンガル虎に関する探索ツアーも旅行好きな人々には知られている。しかし、Aさんは「私がこの探検ツアーの最初の参加者」と言っていた。20年前のことだが、たった一人で行ったそうだ。旅行社の担当者自身さえ経験がなく、後で体験談を根掘り葉掘り聞かれたそうだ。

「誰も行ったことがないと言うのに、鈴木が待っているというのよ。なぁんだ日本人がいるじゃないの、と思ったらガッカリして気が抜けちゃったわ」
「好かったですね。ホッとしたでしょ」
「行ってみたら、言葉もろくに通じない現地人がいただけ。ジープ型の車に乗せられてジャングルに行ったのよ。その車がスズキなんだって」
「初めての日本人になれて良かったですね」
「何がよかったのよ!」
私の頷きは気に入らなかったょうだが、聞いた話を自分なりにまとめると次の様な次第だ。

船で川を渡り、ジャングル内のコテージに入る。食事中に突然呼び出された。何事かな? と思ったが、ガイドに促されるまま暗いジャングルを通り抜け、着いたところは真っ暗な小屋。明かりと言えば、時々つける懐中電灯だけ。小屋には外に向けて穴がいくつも付いていた。

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不安になって何か聞こうとしても、ガイドは指を口に当てて「シー」と言うだけだ。とにかく、この穴から外を見ろということらしい。同行の外国人4人も皆そうしていたのでAさんも穴に目をあてたそうだ。ガサガサと音がすると投光機が一斉に明かりを放ち、付近一帯は真昼のようになった。

そこには、杭に繋がれた羊のような動物と、それに食いついたベンガル虎の凶暴な姿があった。ようやくAさんも事態が飲み込めた。これがこのツアーの目玉。だから食事中にも関わらず呼び出されたのだ。 

虎は一旦獲物に食いついたら、光を浴びても逃げたりしない習性があるそうだ。暗い小屋も、しゃべるなという指示も、覗き穴も全てはこの一瞬のためにある。ガイドは「あなた方は非常に運が良い」と言った。ベリー・ラッキーを連発していたのでAさんも理解できたそうだ。それに参加者の全員が興奮して凄く喜んでいた。 

翌日はゾウに乗って更に奥地に進んだが、言葉の通じない「ゾウ使い」と二人だけの旅だった。道がないからゾウに乗るのだが、それよりも重要なのは安全保障。ジャングルには凶暴な野生動物がうようよしているので、ゾウの上が一番安全だという。ジャングルの景観、音、におい、風、すべてが素晴らしい。少し怖くて、だいぶお尻が痛くなったけれど、十分堪能したインド奥地ジャングルの旅だったそうだ。

話を聞いたのは2008年のことだが、凄く面白かったので書き留めて置いた。一応、事実確認のため最近の状況を検索してみた。
下のURLをクリックするとグーグルの関連情報表示。
 ↓
ゾウに乗ってのトラ探し?
もう一つ、バンダウガルに来たら是非体験して頂きたいことが一つあります。 公園内でのゲームドライブは通常、ジープで行いますが、 運がよければ、車の入れない薮の中をゾウに乗ってトラを見に行く (=タイガーショー)と呼ばれるオプショナルも体験していただけます。 ゾウの背中に乗って、道なき道を行きますので、激しく揺れることもあります! その為、ちょっとお尻が痛くなりますがトラを間近で観察できる人気のオプショナルです。 現地判断でのオプショナルとなりますが、是非機会があれば体験してみて下さい。
(『インドへトラに会いに行こう!!』のツボよりコピー)
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2022年12月10日

流れた歓迎カラオケ

水に恵まれた札幌で、まさかの断水。カラオケ店員はマニュアルに書いていない事態に遭遇して右往左往していた。準備中と言ったまま1時間も待たされた。

「一体どうなっているの、開店時間はとっくに過ぎてるよ」
「断水ですから飲み物料理などの提供はできません。トイレも使えません。カラオケだけはできます」
「そうゆうことは、もっと早く言ってよ」とAさん。

「腹減ったから近くのラーメン屋にでも行こうか」と、仲間4人で相談していると、
「この辺一帯、全部断水です」と店員の声。
「それも早く言ってよ〜。聞かなきゃ何も教えてくれないの!」と思わず切れてしまった。

飲食はともかく、トイレが使えないのは致命的だ。みんなそろってAさんのお宅にお邪魔をすることにした。飲んだり食べりしながらAさんは何時もの様に面白い話をいっぱいしてくれた。特にベンガル虎に会いに行こう!という探索ツアーの話が、聞いていて痛快だった。話に夢中になって、気が付けばご主人がいない。

「アレッ、ご主人様が見えませんが、どちらへ?」
「趣味やってんのよ。見たい?」
「何ですか?」
「煙がもうもうよ」
「見たい見たい」3人そろって見たいを連発した。 

Aさんはご主人と連絡をとりに行った。どんなことをやっているのだろう。私たちは期待に胸を膨らませた。
「煙がもうもうだって、ワクワクするね」
「マジックかもしれないよ」
「ダンナさん、口から火を吹いたりしてね」
「だから、煙でもうもうなんだよ」

案内されて2階に上がるや否や、煙の正体を知ってガッカリした。そこにはタバコをくわえ熱心に仏像を組み立てるご主人の姿があった。灰皿の上には吸殻がいっぱいで、それを完全に消してないせいか煙を立てていた。

傍には「五重塔の70分の1スケール銘木製模型キット」や、陽明門等の完成作品が置いてある。部屋の中には置き切れず、作品の置いてある別の部屋にも案内された。この家には部屋が10以上もある。しかも住人は二人だけ。作品は立派だし、ご主人のスキルもたいしたものだ。しかし、それ以上に重要な役目を果たしているのは大きな家である。 

狭いマンション住まいの私には思いもよらない趣味だ。人間は環境によって行動が左右される。私も大きな家に住んでいたら、別な人生を歩んでいたかもしれない。

「断水も終わったようだから、そろそろカラオケに行かない?」とCさんが言った。
「せっかくだから、ここでゆっくりして行ってよ」
と言いながらAさんはワインを持って来た。
「地下鉄駅近くに来たのに、戻るのはねぇ」
とワインをチラリと見ながら私。
「もう充分歓迎されたから結構よ」とBさん。

アッ!そうだ。今日は東京から3か月ぶりに帰って来たBさんの「歓迎カラオケパーテー」だった。どうやら皆さん思い出したようだ。
「歓迎カラオケ、流れちゃったね」
「断水なのに?」

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懐かしの画像、昔通った映画館は今ではカラオケ。
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2022年11月19日

チンピラと熟年

男と言えば若いころは渡哲也だった。彼は「裕次郎二世」として期待されていたが、日活のアクション映画ではチンビラ役がピッタリだった。そして極めつけは実在のヤクザ石川力夫の生涯を描いた、第一回東映作品「仁義の墓場」。この映画のキャッチコピーは「おれが死ぬ時はカラスだけが泣く」。なんて格好いいのだろう。昔の映画はね。

石川は29歳で刑務所の屋上から身を投げて死んだ。独房に残された日記帳にはこう書いてあった、「大笑い30年のバカ騒ぎ」。昭和29年1月29日、自ら幕を引いた破滅の人生を彼らしく結んだつもりかも知れない。この映画は渡哲也の病気療養後の第一作。「病み上がりで本調子ではなかったが、それがかえって幸いして石川の不気味な迫力をいやが上にも増大した(Wikipedia)」。

ひたむきで哀れなチンピラ役がよく似合う渡哲也も、いい歳になったらどうなるのか心配だった。それが刑事役として大成功。テレビドラマ「大都会シリーズ」「西部警察シリーズ」とヒットは続いた。それでも「この先は?」と心配は尽きない。しかし、テレビドラマ「熟年離婚」をみて、何をやっても似合う人だなと、認識を新たにした。

ところで、渡哲也主演のテレビドラマ「熟年離婚」とは、仕事一筋で生きてきた男がが定年退職を迎えると、長年連れ添ってきた妻から突然離婚を言い渡されてしまう。そんなシーンから始まる夫婦の物語。男は戸惑うが妻は自立した女性として、第二の人生を歩みたいと考えている。

離婚届という紙切れ1枚で35年もの結婚生活が消えるのかと、困惑する夫は妻を全く理解していなかった。心を開いて徹底的に話し合うこともなかったからだ。

我が家の場合は状況は違うが、お互いの無理解については同様だ。妻のP子は私に不満をもっているようだが、私だって同じである。ドラマと違って心の中で離婚をしたいと考えたのは私の方だった。
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しかし、解決しなければならない問題が山ほどあった。離婚に伴う膨大な手続き、住居をどうするか、少ない収入、資産を二つに分けて生活ができるのか等、いろいろだ。こんな時にテレビドラマ「熟年離婚」が放映された。比べてみればテレビの夫は、経済的にも家庭的にも恵まれている。それでもあれ程の問題がある。

我が家の喧嘩原因は双方が我を通そうとすることにある。しかし、P子は絶対に我を折らない。そこから導かれる結論は、ただ一つ。私が折れれば済むことだ。そもそも、離婚して一人で気楽に暮らせる筈がない。

こう考えて、絶対服従3年間でP子を優しい「お母さん」に作り変えてしまった。過ぎ去った3年は凄く短い。相手を変えたければ自分が変わればいいのか。あまりにも簡単に解決したので、破綻も早いのではないかと心配になった。こんな時には若いころ流行ったあの歌が聞こえてくる。いいじゃないの幸せならば・今が良けりゃ・楽しければ。
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2022年11月12日

お喋りラジオ体操

私はハッピーリタイアメント以後の61歳から74歳までを自由時代と思っている。82歳の今になって振り返れば、恥ずかしいことばかりだが楽しい思い出も多い。

毎朝、中島公園でラジオ体操していた。ダラダラとお喋りしながら体操する、高齢者グループが目障りだった。彼らは元気いっぱい休むことなく体操を続けている。皮肉なことに、力いっぱい体操していた私が腰痛で入院してしまった。

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未曾有の台風にも負けなかった 2004年9月8日、台風18号で中島公園は被害甚大。それでもラジオ体操は休まず、倒木の中でも続けられた。 

退院後のラジオ体操は、家で妻のP子と一緒に楽しみながらやることにした。成功のコツは成功者の真似から始めよ、と言う。不真面目な高齢者グループを見習い、P子と向かい合って話しながら体操をすることにした。

今朝の話題はニュースで聴いたばかりの死亡事故。小学生が天窓の上に乗ったらガラスが壊れ、落ちて亡くなったそうだ。そんな所に乗る子が悪いと、P子が得意の自己責任論。私は管理する学校にも責任があると考えた。体操をやりながらだから、イチ、ニイ、サン、シ、の合間に短い言葉で言わなければばならない。誤解の生じ易い状況である。

施設は利用状態に応じた強度で造らなければならない。もし、不可能なら立入禁止など必要な制限をつけるべきだ。しかし、P子は作った人が悪いと受け止めたらしい。それを自分の料理へと連想させ、いきなりかみ付いてきた。

「私が作った料理が多いと言って残すでしょ。それなら自分で作ればいいのよ」
どうして、このような展開になるのか理解できない。
「それとこれとは別でしょう」
「同じことよ、あんたの兄弟はみんなそうなのよ。お兄さんも理屈っぽいしね!」
こんなことを長々としゃぺっていては体操にならない。

「ホラホラ体操が音楽に合っていませんよ」
「後ろ向いてよ!」
厳しい注文だ。顔も見たくないということだろう。 
「料理と事故は別でしょう」
「その話はもう終わったの!」

小学生の自己責任と言われても、はい、そうですねとは頷けない。造った者の責任も指導者の注意義務もあるのではないか。断じて同意できない。しかし、黙ってしまった。 

何か言えば「しつっこいね!」と返されて、それでお仕舞いだ。ラジオ体操は型どおり終了した。勝ったP子は朝食の支度にかかった。負けた私は、いつもの「紅茶サービス」をする気も失い、自室にこもってしまった。

しばらくして、P子が呼びに来た。
「紅茶番いないから、コーヒーにしたよ」
紅茶番とは私のことである。
「インスタントですね」
「当たり前よ。部屋で何していたの?」
「これからの人生について考えていました」
「どうして?」
「文句ばっかり言われているでしょう」
「そうかなぁ? 7割くらい嫌いだから言ってるかもね」
残り3割、まあいいか。野球なら打率3割で超一流だ。
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2022年11月05日

カラオケごっこ

退職して寂しいという人も居る。一方、退職して自由になり、趣味やスポーツを満喫できると楽しみにしている人も居る。ところで私は、スポーツはできないし趣味もない。それでも退職して楽しかった。仕事が凄く苦手だったので解放された奴隷のようにルンルン気分だった。

自由は楽しい、好きなことが出来るからだ。カラオケ、ダンス、マージャンにゴルフと、楽しんでいる人も多い。できれば私も楽しみたいが、それは無理。人には得手不得手がある。若いころなら「やればできるから、頑張りなさい」と言われればその気になる。しかし、この歳になると、生まれつきそうなのだから仕方がないと諦める。そもそも楽しむ為に頑張るなんて矛盾している。

そこで私が選んだ遊びは「記者ごっこ」。子供の遊びみたいなものだ。遊びだから自ら進んで取材などはしない。そのかわり、誘われればどこにでも行ってしまう。今日は苦手な大カラオケ会だ。果たしてどうなることやら。万一、歌えと言われたら逃げてやろう。
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道新コラム「朝の食卓」2010年6月23日投稿。画像クリック=拡大

大カラオケ会には50人くらい集まったが、いつもと違う華やかさがある。特に女性が美しい。同じシニアネットの仲間なのになぜこうも違うのだろうか? 少し考えてみた。ヒントは17年前のノートパソコンはかなり大きかったこと。

パソコンを背負っていないからお洒落ができるのだ。勉強会の後でも、皆んなそろってホテルへランチに行くことがある。重そうなリュックサックを背負った集団を、ホテルマンは何者に見ただろうか。登山でもない。旅行者でもなさそうだ。さては新手の行商人グループか? 

カラオケクラブ例会は新任のO部長の引き語りで始まった。実にうまい。うまいはずだ。往年の人気テレビ番組「ザ・ヒットパレード」で歌っていた経歴があるのだ。私が担当する地元のラジオ番組「山鼻、あしたもいい天気!」に、Oさんにゲストとして出演をお願いした。

その頃の私は記者ごっこだけでなく、放送ごっこもしていた。放送の前にOさんの歌も、ぜひお聴きしたいとの思いもあって、このカラオケ例会に参加させてもらった。ラジオでの話題は「音楽と中島公園」とした。Oさんがドン・ホーの歌を4曲選んでくれた。ハワイ公演、テレビ出演などの思い出話なども話してくれた。

ところで、カラオケ会で歌ってしまった。なんとなく歌わされるような雰囲気を感じたので、トイレに逃げ込んで時間をつぶして出てくると、なぜか私の番になっていて舞台に連れて行かれた。遅蒔きながらカラオケごっこもしてしまった。

「記者ごっこに放送ごっこにカラオケごっこか? なんでも『ごっこ』と付ければ済むもんじゃないよ」
「もの書きとはそうゆうものです」
「ほっ〜、もの書きと来たか。後光がさしてるよ、先生」
「よして下さい。拙い真似事ですよ」
「後ろが光ってるぞ〜」
 ムカッ(-_-メ)
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2022年10月29日

私たちの定年騒動

主婦に定年はない。それでいいのだろうか? 私はそうは思わない。それで思い切って「主婦の定年宣言」、結果は上々。しかし、そこまで行くのに紆余曲折はあった。

私の定年退職後しばらくして、妻のP子にも定年を言い渡した。妻にも定年があっていい筈だという、彼女の要望に応えたつもりだ。

「ご苦労さまでした。今日から貴女も定年です」
「じゃあ、アンタが家事をやってくれるんだね」
「やりません。私はすでに定年の身です」

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彼女は定年になって家事から解放される意味を理解していないようだ。共に家事から自由になることである。決して嫌な仕事を押し付け合うことではない。「じゃあ、誰がやるのさ!」と態度急変、えらい剣幕だ。私は何とか話し合いの糸口を見いだそうとした。

「我慢できなくなった方がやるというのはどうでしょう」
「… … 」
ふくれっ面の沈黙。話し合う気もないらしい。
「例えば、腹が空いた方がご飯をつくるとか…」
「ダメダメ、そんなの絶対だめ」
妥協点を探ろうとする私の努力は徒労に終わった。
「共同生活ですよ。貴女の思いどおりにはなりません!」
「… … … … … …  」
長い沈黙が怖いのでトーンを下げて反応を待つ。
「イコール・パートナーとして協力し合いましょう」
「協力協力って、一体アンタに何ができるの。何も出来ないくせに何がイコールよ。一人前のこと言うんじゃない!」

やはりキレてしまった。私がなだめ役になるより仕方がない。少し考えてみたらこんなことを思い出した。犬は序列の生き方をする動物で、上下関係により動くそうだ。人間だって動物には違いない。この線で説得することにした。

「いい方法を考えたので聞いてください」
「コンビニとか、コインランドリーの話なら聞かないよ」
「私があなたの家来になりましょう」
「家来?」
「何でも言うこと聞きますから気軽に命じてください」

P子は正直で単純な人だ。誰もが自分のような表裏のない人だと信じている。そして、自分が正しい主張をしたから私が分かってくれたと思ったようだ。表情が柔和になった。

それに彼女は「命じないと動かない部下」をもった経験がない。これがどんなにシンドイか分かってない。こうして「敗者なきウインウインの関係」が我が家の中で成立した。

「奥さんの命令をなんでも聞く? ヨボヨボになるまでこき使われてもいいのか」と、先輩は余計な心配。
「こき使いやしませんよ」
「それは甘い、家来になると言ったじゃないか」
「敵を知り己を知れば百戦危うからず……」
「どっちが皿を洗うかくらいのことで大げさだぞ」

在職中に、私は仕事P子は家事という習慣がで出来上がってしまった。P子の家事は身に付いた習慣だ。私に家事をさせようとしても、それは頭で考えたことに過ぎない。身体で覚えた習慣の方が頭で考えたことより強いのだ。一方、家でゴロゴロは私の身に付いた強い習慣、これも侮りがたい。

何でも気軽に命じてくださいと言ったところで、しばらくすれば頼むのが面倒になり、彼女が自分でやるに決まっている。こうして私はP子の家来になったが、殿様としての彼女は正直で情け深く、しかも自分で働く癖がついている。ズボラな家来としてはこんなに有難い殿様はいない。 

「主婦の定年はどうした?」
「あれは止めました」
「無責任だな。定年を言い渡したはずだろう」
「家来は殿様に従うだけです」
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2022年10月08日

代行さん

定年退職8年後、シルバー人材センターの紹介で近くの小学校で休日の日直アルバイトをすることになった。小学校の玄関は鍵が掛かっていたのでインターフォンを押した。

「はい、職員室です」
「学校管理で働くことになった中波です」
「はっ?」と言ったきり少し沈黙、周囲の人に何か聞いている気配がする。
「代行さんですね。どうぞ」

なるほど代行さんか、自分の仕事が現場で何と呼ばれているか分からせてもらった。シルバーセンターの仕事分野には学校管理と書いてあったので、そう告げたが通じなかった。その後、センターでの呼称は「学校日直」と改められた。
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日直代行の仕事はインターフォンで玄関の出入をチェックしたり、校内を巡回したり、休日の警備員みたいな役目もある。テレビドラマなら警備員が殺される場面から始まるが、私が体験したのはホンの小さな誤解から生じた極めて小さな出来事。それでも心に傷がついた。

「代行さん。変な音がするでしょ、調べてくれない」
年配の先生はイライラしている。短い曲の繰り返しのような音だ。先生はインターフォンを指差しながら言っている。常勤の先生が分からないことを日直代行に分かる筈がない。

「はい、分かりました」と、言ったところで、何を調べるか検討もつかない。それでも、じっと座っているより、その場を離れた方が気が楽だ。しばらく散歩してから職員室に帰り、「変ですね〜。後で教頭先生に報告します」と言って、一件落着のつもりだった。

パソコンで作業している年配先生の机に携帯が置いてあるのが目に入った。ふと、あることが気になったが、まさかそんなことがあるまいと心の中で打ち消した。しばらくすると、先ほどと同じ「着メロ」のような音が、また聞こえてきた。

年配先生は誰に言うでもなく「また、変な音がしてる。いやになっちゃうね。忙しいのに」。大きな声でつぶやくが、顔がこっちを向いている。暗に、もう一度調べろと促している。少々うんざりしたが、先ほどと違って、今度は若い先生も職員室にいた。忙しいのか、休日でも次々にやってくる。

若先生は「パソコンではないですか」と言いながら年配先生の机に近づくと「アラ!携帯じゃない。着メロですよ」と言った。それは私が言いたくても言えなかった一言だった。当たり前すぎて口には出せなかったのだ。

年配先生は携帯を取ると「ごめんなさい。気がつかなくて」と見えない相手に向って、ぺこぺこしながら、電話に出なかったことを詫びていた。「変な音」が鳴るたびに、調べてと促した年配先生だが、原因が自分の携帯と分かると、とたんに「代行さん」が見えなくなったようだ。
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2022年09月10日

不思議な入院

コロナ禍は入院生活を大きく変えた。面会と外出は禁止、そして4人部屋だが、同室者とは一言も口をきかないで1ヶ月間過ごした。私だけでなく他の患者も同様だ。お陰でとても静かな入院生活だった。

一方、13年前に近所の病院に入院した時は大違いだった。病室は雑談で賑やかだし、食事はテーブルを並べて喋りながら食べていた。押し並べて楽しい入院生活と思うが、入院初日は大変だった。しかも、不思議な入院でもあった。

「今すぐ入院ですか。ラジオがあるので明日にして下さい 」
「直ぐに入院しなさい。ラジオは出てもいいですよ」

即入院の緊急性と「ラジオは出てもいいですよ」というおおらかさ。この落差は一体なんだろう。私にはピンとこなかった。ともかく、スタジオには行けることになったのでホッとした。

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2008年2月ラジオカロス札幌「山鼻あしたもいい天気」

病室は6人部屋だった。ともかく、隣の人に挨拶、よろしくお願いしますと簡単にすますと、「山田太郎です。84歳です」と、丁寧に応じられたのでやり直した。

「中波三郎、67歳です。風邪をひいてこの病院に来たら検査して、即入院となりました」
「そうですかぁ。お客さん少ないからねぇ」

先ほどの院長先生のセリフ、「直ぐに入院。ラジオはいいよ」を思い出した。まさか、肺炎と診断して見せてくれたあのCT画像の白い影は「消しゴムツール」で加工したのではないかと、一瞬疑った。おじいさんとの話は延々と続きそうだが、ラジオの準備をしなければならない。「進行表」と「台本」をチェックしようとしたら看護師さんが点滴に来た。

「もうですか?」
「ラジオがあるから早くしてと言ったでしょ」
「すみません。お願いします」

もうクタクタのヘトヘトだ。点滴しながら眠ってしまった。目が覚めると17時。泥縄だが、点滴しながら放送をイメージしてみた。点滴の落ちる速度がやけに遅い。20時からの放送に遅れそうな気がしてイライラした。胸もムカムカした。点滴が終わると18時になってしまった。食欲はまったくないが、少しだけ食べて食後の薬を飲んだ。

大急ぎで円山のスタジオに向った。途中、地下鉄中島公園駅ででカロリーメイトをほおばったが、いつもと違って口の中がパサパサして食べにくい。スタジオに着き何とか1時間の番組を終了。タクシーを拾って家に着いたのが21時20分だった。病院の消灯が21時なので予め外泊許可をもらっていた。

家に帰ってもやることが山ほどある。メールはネットが使える今夜の内にしなければならない。とにかく破らなければならない約束がいっぱいあった。何となく気になったが、疲れて寝入ってしまう。

一眠りすると目が覚めた。夜中の3時だが、目が冴えて眠気がない。なにぶん突然の入院だ。誰に何を知らせるかが難しい。困り果てて、所属するシニアネット全員宛のメーリングリストに流してしまった。こうして長い長い一日が終わった。

この3年で3回入院したが、いずれも面会・外出禁止。一方、13年前の入院は面会はもちろん、外出さえ自由だ。糖尿病だから運動も治療の内とか言って、毎晩ダンスに通う患者もいた。私も徒歩10分の家に帰り風呂に入ったりパソコンしたりしていた。この新旧二つの入院を比べてみれば、面会・外出禁止の方が良いと思った。入院した以上、治療に専念して1日でも早く退院した方が良い。少なくとも1ヶ月以内の短期入院なら、この方がいいと思った。

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)