2019年06月01日

インタビューの思い出

最近の新聞を読むと、JR札幌駅周辺の再開発が進み、北側が発展して南側が停滞しているように見える。ものは考えようで、札幌を南北に分けると、未来の北、歴史ある南が見えて来る。南側には古い建物も残されているし、多くの神社、寺がある。200万都市札幌が未来の街と歴史の街として、それぞれの特徴を生かして発展することを願っている。

ところで、在職中は真面目と思われていた。職場ではノロマで口の回らない人は嫌われる。チームワークだから当然だ。一方、仕事には決まりごとが山ほどあるから、よく知っている人も必要である。コロコロ変わる方式・規定類を覚えるのは大変なのだ。

ノロマの私は、規定類を真面目に覚えることで存在感を示そうとした。勉強と言っても、その場その場に必要なもので、将来役立つわけでもない。ホントに真面目は楽じゃない。だが9年間も職を転々として、やっと見つけた職は辞められない。ひたすら定年退職だけを楽しみにして懸命に働いた。退職して自由になると街を歩いているだけでも楽しかった。

「面白い所ありますよ」と若者が声をかけてくれた。
「買い物に行くところですから」
「〇〇〇、買いませんか?」
「牛乳を買いに行くんです」
「お乳も出ますよ」
幸せになった私は客引きにも真面目に応えた。実は近くに格安牛乳を売る店がある。

2003年にホームページ「中島パフェ」を開設した。その後、引っ込み思案の私が、「オレがオレが」に変わって行った。私は自由、もう引っ込む必要も思案することも無いのだ。そんな時代が10年続き、そこを頂点にしてホームページも自分も下り坂となる。

頂点気分で収録したのが札幌人図鑑、改めて聴くと恥ずかしいけれど懐かしい。滑舌も悪く口も回らないのに、臆面もなくよく喋ったものだ。当時は「中島公園教信者」の気持ちになっていた。喋れば喋るほど功徳になると信じていたのだ。愚かなりわが心。
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1.変遷を重ねた中島公園 2.中島パフェ物語 3.札幌市を縦軸と横軸で

インタビュアーの福津京子さんは冒頭で次のように紹介してくれた。「札幌人図鑑第200回で上田市長が話す『札幌の1年を大通公園で紹介できる・・』エピソードを聞き、札幌の街並を縦軸でも見て欲しいと語ります」。私が日頃から考えていることなので感謝!

収録の最初に札幌人図鑑の歌を福津さんと一緒に歌うのだが、短いとはいえ音痴の私が何とか歌えたのは所属するカラオケクラブのお陰と、これも感謝!

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2019年05月11日

私の一番長い日(後編)

私の入院第一夜は素晴らしい個室で始まった。酸素吸入の可能性があると言うことで個室が割り当てられたのだ。病状は特に息苦しくもないので嬉しかった。午前の点滴が終わると、妻に持ってこさせたパソコン等の荷物を使いやすいようにセッティングした。

身体はきつかったが、こうしていると夢がドンドン膨らんできて楽しい。まるでホテルにカンヅメにされた締め切り前の人気作家のような気分だ。すっかり空想モードに入ってしまった。ドアをノックする音が聞こえる。「おやっ、編集者かな?」と、一瞬の勘違い。

先ほどの看護師さんだ。言いにくそうに、アレコレ話していたが、けっきょくは「酸素が必要な人が来たので、直ぐに出て欲しい」と、いうことだ。何たることだ! 太鼓判を押したばかりではないか。しかし、命に関わることに変更はあり得ない。諦めるより仕方がなかった。

夢はあえなく萎み、忙しさに拍車がかかった。とにかく移動準備だ。広い個室に散らばった荷物を一ヶ所にまとめると、昼食の時間もない。食欲もないけれど、なんとも忙しくてやりきれない。大急ぎで6人部屋へ移ったが疲れ切ってヘトヘトだ。

増えてしまった荷物でベッドのまわりは足の踏み場もない。ともかく、隣の人に挨拶をした、「はじめまして、よろしくお願いします」と簡単にすますと、
「宍戸譲二です。84歳です」と、丁寧に応じられたのでやり直し。
「中波三郎。67歳です。風邪をひいてこの病院に来たら検査して、即入院となりました」
「そうですかぁ。お客さん少ないからね〜」
「……?」

昨日の院長先生のセリフ、「直ぐに入院。外出はいいよ」を思い出した。肺炎と言って見せてくれたあのCT写真の白い影は、加工したのだろうか。画像処理ソフトの「ぼかしツール」を使えば私でも出来る。一瞬、こんな疑問が頭をよぎった。

もうクタクタのヘトヘトだ。午後の点滴をしながら眠ってしまった。目が覚めると17時。入院しても忙しいのに、点滴の落ちる速度がやけに遅い。20時からは地元のFMラジオに出なければならない。時間が気になってイライラした。

胸もムカムカした。点滴が終わると18時になってしまった。食欲が全くないのだ。食後の薬の為、少しだけ食べてみたが味が無い。砂を噛むよなとは、こんなことかと思った。とにかく、地下鉄中島公園駅から地下鉄に乗って、放送30分前の19時30分までに円山のスタジオに行かなければならない。ケチな私はタクシーの利用を思いつかなかった。

やっとの思いで受け持ちの放送を終わらせて家に着くと22時、やることがいっぱいある。電話連絡は病院に帰ってからでも出来るが、メールはネットが使える今夜の内にしなければならない。とにかく破らなければならない約束が山ほどある。外出許可を受けているのに、時間がないと焦っている。判断力が鈍っているのだ。「入院するから行けない」とだけ書いて送るのが精一杯と思った。いろいろ気にはなるのだが疲れて寝込んでしまった。

目が覚めたら夜中の3時、とにかくメールを出さなければならない。なにぶん前触れ無しの入院だから簡単な説明が必要だろう。しかし、どこの誰に何を書くかがまとまらない。考える時間はないので、所属している団体500人宛てのメーリングリストに流してしまった。こうして長い長い一日が、日にちをまたいで終わった。

役目があって毎日のように出番と締め切りがある暮らしは有意義で楽しい。体内には義務感の虫とハシャギ過ぎの虫が同居している。普段は別々に動いているからいいのだが、義務感虫とハシャギ虫が一緒になって動くと大変だ。ハシャギ虫には理性がない。こんな時は倒れる。今はノンビリと穏やかに暮らすように心がけている。朝起きると気分は良好、幸せ感いっぱいだ。ただし腰と頭が痛くなくて咳が出なければね。
posted by 中波三郎 at 16:53| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2019年05月04日

私の一番長い日(前編)

今はノンビリ暮らしているが、60代はいろいろあった。ああ、くたびれた。2008年2月14日は波乱万丈。「短編ドラマ」のような一日だった。なんでこんなことになってしまったのだろう。13日夕方、中島公園近くの病院での話である。

「今すぐ入院ですか。それは困ります。明後日ではダメですか?」
「直ぐ入院して下さい。外出はしてもいいですよ」
即入院の緊急性と、「外出はしてもですよ」というおおらかさ。この落差は一体なんだろう。私にはピンとこなかった。

ともかく、パソコンや電話で連絡しなければいけないことが山ほどある。外出できれば家に帰れるので全てを処理できるのでホッとした。この時は、明日が私にとって「いちばん長い日」になるとは夢にも思わなかった。

運命の2月14日の朝はバス・トイレ付きの個室で始まった。まるでホテルのシングルルームのようだ。広さも調度品も充分である。うるさい同居人の居る我家より快適だ。

当時は退職して自由の身になったばかりだったので張り切っていた。恥ずかしいから書かないが何でも手を出した。つまり毎日のように出番と締め切りがあったのだ。ジッとはしていられない。突然の入院について多数の関係者に知らせなければならない。メールの下書きを手帳に書いていると何か音がする。ドアがノックされているようだ。

「おはようございます。担当のA(看護師)です。酸素吸入の可能性があるので個室に入ってもらいました。何か心配なことはありませんか?」
「吸入が必要でなくなったら、この部屋追い出されるのですか?」 
一番気になることを聞いた。
「どうぞ退院まで使って下さい。部屋割りは私の責任でやっています」
頼もしい看護師さんだ。

太鼓判を押されて一挙に夢が膨らんだ。「よ〜し、ここを書斎にしてバンバン書いたるぞ」。病気で入院していることなど忘れて、気分も上々だった。さっそく、妻に電話してパソコンとか持ってきて欲しい物をアレコレお願いした。ブツブツ言っていたが、何とか説得する。

朝の9時から11時までの2時間は点滴中だった。妻が来て頼んだ荷物を置くと「寂しくなければ帰るからね」と言うなり私の返事を待つことなく、さっさと出て行ってしまった。まもなくデパートの開店時間である。なるほどと思ったが、これが「一番長い日」の始まりになるとは夢にも思わなかった。

後編へ続く、更新は5月11日(土)、よろしくお願いします!
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2019年04月20日

幸せは外にある

2007年10月の中島公園は「サクラマス遡上騒動」で大喜びだった。こんな話は聞いたことがないし、二度と起こらないだろう。現にあれから12年たつのに起こる気配もない。遡上なら川を上るはずなのに下ってきている。それでも皆喜んでいた。
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中島公園に現れたサクラマス。

しかし、サクラマスの死骸をカラスが突っつくのを見かけるようになってからは人々の反応は変わってきた。このまま放置してはまずいのではないかと。
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10月に入るとサクラマスの死骸があちこちで見られるようになった。

滅多にない珍事なので「鴨々川に迷い込んだサクラマス」について一部始終をウェブサイトに記録した。それはさておき、取材中に悔しいこと楽しいこと、いろいろあった。

サクラマスを驚かさないように、そおっと写真を撮っていると、後ろから声がする。
「あ〜、だめだめ。 もっと姿勢を低くしないと」
振り向くと年配だが、かなりお洒落な女性が立っている。二コリともしないで見ず知らずの私に上から目線で指示するのだ。文字通り上からね。

「私、写真屋に勤めていたのよ。カメラ持ってこなくて残念だわ。低くしないと水面が反射して写らないよ。腰が高すぎるよ、もっと低く!」
こちらはモニターを見ながら撮っているので、反射しているかどうかは言われなくても分かるのだ。それでも彼女は指示を連発する。もしかして私は奴隷オーラを発散させていたのかも知れない。だから人様は私の動作を見ると何か命じたくなるのだ。

「もっと低く、水面ギリギリで撮るのよ」
無茶を言っちゃー困る。そんなことできる訳がない。身体は固いし腰痛持ちだ。しょうがない。終わったフリして立ち上がることにした。

「あら、もう帰るの?」
”あなたがいたのでは落ち着いて写真も撮れません”と言いたいのはやまやまだが、口から出さずに飲み込んだ。

「いろいろご指導ありがとうございます。きっといい写真が撮れていると思いますよ。こちらがホームページのアドレスです」と言って名刺型のチラシを渡す。どんなに悔しくても、これだけは忘れない。当時はアクセスもバンバンやる気モリモリ、宣伝活動に余念がなかった。あのころ私は若かった。気持ちだけね。

「そ〜ぉ。これからなのにぃ」
しばらく木の陰に隠れて、彼女が立ち去るのを見届けることにした。

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サクラマスが来た地下鉄幌平橋近くの鴨々川。足元のサクラマスを撮る人。

「さあ、撮るぞ!」と再び川に近づくと、今度は違うおばさん。
サクラマスをじっと見て「美味しそうだね」と一言。
「食べちゃダメだよ」
とモンクを言ってやった。江戸の敵を長崎で討つ!
「食べられないよ〜。 私、獲れないから〜。 ワハハハハハ、ワ〜ハッハ〜、ワ〜ハッハ〜、ワ〜ハッハ〜、ワ〜ハッハ〜、ワ〜ハッハ〜、あ〜疲れた」
サクラマスはなかなか撮れなかったけれど、思いがけず笑いが取れてしまった。
しかも極めて簡単に。笑う門には福来る、先ほどの嫌な気分は吹っ飛んだ。

家に帰ってつぶやく。 
「大笑いすると気持ちがいいかも知れなせんね」
「そんなこと出来るわけないでしょ」
疲れるまで笑ってくれる、あの人を思い出しながら……。
「そうですね。つまらないことを言いました」
黙々と飯を食う。幸せは外にあると思いながら。
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2019年04月13日

コイの街すすきの

薄野は歓楽街として知られているが、もう一つの顔は鴨々川の流れる古の街である。そして「すすきの六条寺町通り」という小説の舞台にもなっている魅力的な街である。ところで、南9条橋から8条の藻山橋に至る鴨々川沿いは、私の好きな風情ある散歩道だが通る人は少ない。危ない街と思われているのかも知れない。
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手前に戻ると中島公園、前方に見えるのは南8条橋、そこから藻山橋(駅前通)までがコイの放流場、その先も放流場だが、そこで一区切りされている。

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藻山橋(南8条)上流の鴨々川。コイが越冬できるように川の中央が一段と深く掘られている。ただし冬のコイは深い所全体に居るわけではなく、橋の下で纏まって過ごしている。2019年3月下旬に通りかかると汚泥を取り除く作業をしていた。コイが一段と綺麗に見れるようになるだろう。薄野には別なコイもある。それが何かは言わぬが花。

ふと、昔のことを思い出した。およそ15年前のことだが、藻山橋から鴨々川をじっと見ていると、妙齢の婦人に声をかけられた。私と同じ様にコイを探しているのだろうか。011009hasi.jpg

「何か探しているのですか?」
「コイです」と私。
「楽しそうですね。見つかりましたか?」
楽しい気分もあるが、心配もしている。居るはずのコイが見えない。 

「いや、まだのようですね。冬は養鯉業者に預けてあるのです。そろそろ戻されてもいい頃なんですよ。川底を深く掘ってコイをここで越冬させる手もあるのに勿体ないですね。預かり料も安くないと思いますよ。

だいたい1メートルくらい掘ればコイも越冬出来る筈です。コイは冬の間はエサを食べなくても生きて行けます。この川は流れがあるので普通は凍らないのですが、凍ることも少なくありません。氷が解けてコイの姿が見えるとホッとすると思いますよ。時々そんなことを想像するのです。水温が上がって来ると……」。私は川を見ながら一生懸命説明していた。 

ありゃりゃ? 私に話しかけた女性が見えない。よくぞ聞いて下さいましたとばかりに、一気に説明したのだが、まったくもう、興味がないのなら聞かないでくれ!

数日して同じ場所を通ると、橋の上に例の女性が立ち、通りすがりの男性に声をかけている。なるほど、声をかけるのが彼女の「仕事」なのだ。そして私はカモと思われたらしい。ちなみに川の名はカモカモ川。私は御用済みの老人とは見られていなかったのである。80歳近くになって思うと65歳は決して老人ではない。

ところで薄野の鯉放流場だが、その後川底を深く掘り、今ではコイが越冬できる様になっている。冬の鴨々川では橋の下にコイの姿がよく見られる。私が見たときは横一列になって、コイは揃って上流に向いていたが動きがない。071205hasisitakoi.jpg
2007年12月5日撮影、2006年に川底は60センチばかり掘られコイは越冬している。

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私の愛読書となった「すすきの六条寺町通り」。この本の著者とは、道新コラム「朝の食卓」が縁で知り合った。文学のことは何も知らないが、文学館で特別展があるときは、よく一緒に行った。難しい説明は分からないから肯くだけだが、文学的雰囲気は好きだから楽しい。私に分かることは何もない。文学も美術も音楽も雰囲気だけは大好きだ。

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このコラムが縁で知り合った。薄野育ちだそうだ。コラムとは関係なさそうで在る。
タグ:札幌
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2019年03月09日

ジョークも音痴

ジョークも音痴で掛け合いも苦手だから誤解されることもある。ところで、定年前は職場一番の年寄りだが、老人福祉センターに行ったら一番若くなってしまった。老人から一挙に若者気分だ。まるで第三の青春だからだから、ワクワクもドキドキもある。私なりにね。

ある夏の昼下がり、Aさんから突然電話がかかって来た。「わたし、分かる? 今あなたの家の前の公園、ちょっと出られる」。なんだろうとドキドキ。小さな期待と不安が入り混ざった。ともかく出てみよう。公園はすぐそこだ。

中島公園ほぼ中央の芝生の広場は「香りの広場」と名付けられている。広場は彫刻とバラの花に囲まれ、所々にベンチがある。デートの場所としても悪くない。Aさんは私と同年配で、お洒落な人。社交的で何もかも私とは正反対だ。年上のご主人とは、豪邸で二人暮らし。趣味は乗馬とゴルフ、それに海外旅行と優雅なものだ。

香りの広場に行ってみたが見当たらない。見渡すと、やや遠くの方にスラックス姿の女性が一人。洒落た帽子にサングラス、脚を組んでタバコを吹かしていた。遠目では分からないが若くて美人。 ひょっとしたらと思ったが、彼女はタバコを吸わないし若くもない。

アチコチ見渡したが、らしい人はいないので念のため近づいてみるとAさんだ。ニヤッと笑って開口一番こう言った。「私、フランス映画みたいにタバコを吸いながら男を待ってみたかったのよ」。幾つになっても、こんなセリフが似合う人だ。ワクワク。

一方わが身を省みればハゲで短足、それでも何か気の利いたセリフを、言わなければいけないような気がした。間を置けば間抜けな感じになる。「似合ってますよ。様になっています」とか、慌てて言った。ありきたりのことをね。 

ところで、この日から数日前、Aさんの友達と3人でお茶を飲んだ。遠来のお客様をもてなすつもりで、「ここは私が持ちましょう」と言った。そうしたら「私、男と認めた人からしか奢られたくないのよ」と断られてしまった。情けないけれど仕方がない。思わずショボクレタ。

後で考えると悪いのは私。Aさんは高齢を前提に冗談を言ったのだ。よくあるパタンなのに、まともに反応し黙り込んだ私がバカだった。笑って終わる筈なのに気まずくしたのだ。ともかくAさんは私の機嫌を直しに来てくれた。有難う。

もし私がジョークの分かる人となら、Aさんは遠くから中島公園まで足を運び、フランス映画の真似事などしないで済んだのだ。公園には駐車場がないから有料駐車、シガレットケースとライターは旦那さんのを無断拝借とか、それなりの苦労はあったと思う。ジョークに応えられないと、知らずに迷惑をかけてしまう。修業が足りないのは確かだが、難しいものだ。私は運動音痴で歌っても音痴、これも音痴の一種かな? 

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
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2019年03月02日

最後の親睦旅行

年を取って、先ずエンジンから劣化して来た。もう10年以上も旅行したことがない。私と言う車はポンコツになったのだ。走る代わりに旅行の思い出を書いてみた。来年は80歳になる。人様の迷惑も顧みず、人生の目標が細く長く生きることに変わってしまった。こんな私でも60代は元気だった。所属するシニア団体の親睦離旅行に参加したりして楽しんでいたものだ。11年前の旅行は個人的にはミステリー旅行にするつもりだった。

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勝手ながら旅行関係説明資料は一切読まない。説明会では居眠りと空想を楽しんでいた。ドラマは予備知識なしで観た方が面白い。旅行もそうだろうと思ったのだ。迷子にならないことだけは注意した。団体旅行だから後ろの方に並び、ひたすら前の人に付いて行く。迷子になったらお仕舞だからね。耳にはイヤーフォンを付け好きな音楽でも聴くことにした。これでミステリー旅行が可能と考えていた。

バスを降りると空港に付いた。集合場所と時間を確認すると、出発までの待ち時間を一人で空港内をブラブラして過ごしていた。自由に行動できるのは、こんな時しかないので大切なひと時だ。相変わらず空は青く雲は白い、日本中どこに行っても同じ空。おまけに何処の空港も似たり寄ったりの造りだ。ふと仙台空港も時流に乗ってタワーを新しく建て替えたようだと思った。後になって分かったことだが、そう思ったのは私の錯覚だった。

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高くそびえるタワーを見ながら物思いにふけっていると、シニア団体の世話役さんに声をかけられた。「あら、中波さんじゃない。こんな所で何しているの。もうじき出発ですよ」。出発? 東北旅行、仙台。私の脳は漸く現実と繋がった。千歳空港を歩いている内に起きた錯覚だった。空港には個性がない。千歳にいながら仙台に居ると思い込むほど個性がない。いずこも同じ青い空と白っぽい建物。それでもミステリー旅行は大丈夫。団体に付いて行きさえすれば可能と考えていた。

素晴らしい空・陸・海の旅だった。東北から北関東にかけて空から、海から、陸から見た。空の旅は速いが、上から下を見る限りゆっくりと進んでいた。いつも下から見上げている雲が、下にあるから面白い。雲が切れると大きな川が見えたりする。

800キロにも及ぶバスの旅も快適だった。ガイドさんの方言が心地よく耳に響く。ここは東北と、しみじみと実感した。立派な瓦葺き屋根の豪邸が延々と続く。漁師の家と聞いてビックリした。つい先日、「燃料がこんなに上がっては漁師は食えない」とテレビ報道があったばかりだ。思わず、豪邸の中で腹を空かしている子等の姿が目に浮かぶ。何となくチグハグである。

帰りは茨城県の大洗港から大きな船に乗った。食事のとき、隣のテープルは男性一人に女性5人、楽しそうな笑い声が絶えない。こちらは男性5人で黙々と食事をとり酒を飲む。隣のテープルも二人ばかり抜けたが、相変わらず賑やかだ。

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思い切って「楽しそうですね」と声をかけると、「どうぞ」と私も仲間に入れてくれた。初めから終わりまで楽しい旅だった。ミステリー旅行は単なる予定、こだわることもない。イヤーフォンで耳を塞いで人の後ろを歩いてみても大して面白くもなかった。状況に応じて予定を変えるのも旅の楽しみ。振り返ってみれば11年まえのこの旅行が私にとって最後の旅行となった。今でも思い出して楽しんでいる。
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2019年02月23日

昔のネットは好かった

今から15年以上前のことだが新聞の人生相談が好きだった。しかし答えが現実離れしていると思うこともある。例えば人の輪に入りなさいとか難しいことを簡単に言う。必要なのは、いかにして入るかだがスッポリ抜けている。何故だろうと考えたら直ぐに分かった。誰でも自分の経験を重視する。回答者は魅力的な人気者、しかも世渡りの達人で、人の輪に入ことなど朝飯前だ。ショボクレタ老人とは全く違うのである。

これは社会の底辺で暮らしてきた私の思い込みかも知れない。ともかく回答者は何らかの成功を収めて何らかの地位に就いた人である。そんな人より、同じレベルの人が相談に乗った方が好いのにと考えた。そんな訳でネットで人生相談をやりたくなった。せっかく誰もが発信できるツールが出来たのだからね。

私が抱いていた長年の夢が実現する環境が整ったのだ。パソコンがネットに繋がると、さっそく「メル友コーナー」に登録。「人生相談承ります」と掲示板に書き込んだ。さて、忙しくなるぞと、待ち構えたが一週間たっても一通のメールも来ない。

「変だな〜、パソコンの故障かな?」と思って、5人の同年輩の見知らぬ男性に、質問を兼ねたテストメールを送った。3人の親切な男性から返信があった。内容はみな同じようなものだ。「メル友に登録したらメールが来ると思ったら大間違いですよ」とあった。

苦節6年、ようやく相談者が現れたので、張り切って相談に応じたのが、前回に書いた「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」である。たった1回の「人生相談経験」で何かが分かるとは思わないが、相談者は必ずしも役に立つ回答を求めているのではない。私が気楽に趣味の相談を始めたのと同様に、気楽に相談する方も多いようだ。退屈しのぎにね。

その後、「相談者」とは週一くらいの割合で1年ほどメールの交換をした。プライバシーに関することなので書けないのは残念だが、まさに人生いろいろと思った。叱られたりもしたが、未知の人と匿名で内緒話ができて楽しかった。15年以上も前のことだが、ネットでの自由を謳歌できる時代だった。トラブルに巻き込まれる懸念など全く感じなかった。昔のネットには安全・自由で好かったなぁと懐かしんでいる。ちょい悪だけどね。

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
タグ:国内某所
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2019年02月16日

夫婦喧嘩は犬も食わない

およそ15年まえのことだが、人生相談を受けたことがある。本当は違うかも知れないけれど、その様な感じのメールをもらったのだ。「定年退職した夫が家でゴロゴロしていて、何もかもかみ合わない二人暮らしに、ウンザリしている」と言うような内容だった。

念のため確認すると酒乱でもないしギャンブル狂でもない、浮気もしない普通の人だそうだ。その上で、夫は外に出てサークル等、人の輪に入ったらいいのにと不満を漏らしていた。簡単に言うけれど普通の高齢者には難しい課題だ。第一、人の輪は既に出来上がっている。そこに割って入るのは至難の業である。人気者じゃあないのだから。

妻は大変と思うが夫も楽じゃない。退職したばかりだった時の私と状況が似ていて、他人事とは思えない。問題を解決して、楽しい二人暮らしをしてほしいので一生懸命考えた。先ず前提条件が事実なら解決も簡単と思った。

少し長いけれど次の様な内容の返信メールを送った。挨拶抜きで要点のみを掲載。
「何事も直ぐに出来ることから始めるのが近道です。愛、誠実、真心など抽象的で難しい問題は、一先ず棚に上げて置きましょう。そして人間本来の姿に帰ればいいと思います。集団生活をする動物だから主従の関係が何よりも大切です。どちらかが従にならなければなりません。御主人が従にならないのなら、貴女が従になればいいと思います。

どちらかが従に徹することにより、緊張感は遅かれ早かれ消滅するでしょう。そして、お互いの意思の疎通が軽やかになり、話し合いが気楽に出来るようになります。小さなケンカをしても後には引かなくなるでしょう。棚上げにして置いた愛、誠実、真心なども自然に降りてきます。主従関係を作るのは問題解決の始まりであって終わりではありません。

民主主義は大きな集団には必須でも、二人暮らしには邪魔なだけです。いつも1対1で引き分けでは何も出来ません。従だからといって格下というわけではないのです。単なる役割、二人でも頭は一つしか要らないと思います。そのうち主従関係は流動的になります。時と場合に応じて交替するから、楽しく暮らしていくことが出来ると思いますよ」。

直ぐに返信があったが提案については何のコメントも無い。そして、「夫に犬と私とどっちが大切かと聞くと、犬だと言うので頭に来た」と書いてあった。夫婦喧嘩は犬も食わないと言うのは本当だった。本人に解決する気がないことが分かった。真剣に取り組んだ私がバカだった。そう思いながら、何故かメールの交換は1年くらい続いた。私は野次馬?

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2019年01月19日

中島公園探鳥会の思い出

そのころは退職して5年たっていたが張り切っていた。セミのように長い地中生活を辛抱していたが、解き放されて自由の身になったのだ。喜ばずにはいられない。所構わずミーミー鳴いて飛んでいた。60代は何でも見てやろうと言う気持ちでいっぱいだった。

中島公園のホームページ(HP)を開設して3年したら、テレビ、新聞の取材もあり、それをキッカケに地元のラジオで話したり、地元新聞に記事を書いたりしていた。片隅で細々と生きてきた私にとって、世の中は眩しかった。全てはHPが縁なので、何時の間にか「中島公園教」の信者のような気分になっていた。

信者が信ずる神のことを語るように、中島公園について何かを頼まれれば何も考えずに引き受けた。知り合いから中島公園で探鳥会やらないかと言われたときもそうだった。知識も経験もないのにやることにした。私は信者なので出来るか出来ないかとか考えない。失敗を恐れずに精一杯やるだけだ。信者は強いのだ。今考えると懐かしい。私も10年前はやる気満々の人だったのである。

私の知る限り中島公園で探鳥会が開かれたことはないので自分なりに考えた。水鳥を見るには菖蒲池凍結前、そして枯れ木が目立つような季節になれば野鳥も見易くなると思い、2006年11月23日実施とした。ガイドを「旭山森と人の会」代表 皆川さんにお願いし、参加メンバーは山歩きの好きな人、中島公園の好きな人など、総勢8名で9時から約1時間半、皆川さんの案内で菖蒲池の周りを歩き、野鳥観察を行った。

それは探鳥会らしくない賑わいの中で始まった。参加者が元気なのは足だけでなく口の方もだ。騒がしくて野鳥が逃げてしまうのではないかと心配したが、17種に及ぶ野鳥を観察することが出来た。バードウォッチングは始めての人がほとんどだが、もともと自然や山が好きな人達なので、直ぐに馴染むことができた。

バードウォッチングの服装について
野鳥は色に敏感だ。鳥類は色を識別することができる。自然界にない色は野鳥を驚かせることになるので要注意。カーキ色やオリーブ色、レンガ色などのアースカラーがおすすめとのことである。 下の写真中では男性の服装が参考になると思う。

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出会った野鳥はマガモ、カルガモ、ハシブトカラス、ハソボソカラス、ムクドリ、カワアイサ、オオセグロカモメ、スズメ、ヤマガラ、ヒヨドリ、ハクセキレイ、ツグミ、シメ、アカゲラ、ヒガラ、ハシブトガラ、カワラヒワ等17種だった。

1日、しかも1時間半だけで17種も確認できた。1年間ならこの倍以上の種を見ることが出来るだろう。私自身、以上の他、オシドリ、鵜、アオサギはよく見るし、オナガカモ、コガモ、ゴジュウカラ、マヒワ、カワセミ等を見たことがある。オジロワシも1回だけ見たような気がするし、フクロウを見たとの話も聞いた。

実際、探鳥会をやろうとすると、お天気はどうか、野鳥は都合よく現れてくれるかとか気になることは沢山ある。しかし、事前の準備、ガイドの謝礼とか肝心なことは全て抜けていた。何となく楽しい感じで終わったが、もう一度やろうとかの要望はなかったので失敗だったかも知れない。それから9年たった頃から中島公園管理事務所主催で年1回の「都会の野鳥観察会」が開かれている。

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上の画像は中島公園管理事務所のチラシ。私の記憶では2015年が初回で毎年1回の開催。私も参加したことがあるが、準備万端怠りなく、ガイドはもちろん、双眼鏡も用意されている。観察終了後はミーティング、質疑応答もあり有意義な探鳥会だった。今更ながら、なるほど探鳥会とはこのように進めるのだなと感心したり、恥じ入ったりした。
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2018年10月13日

海外旅行のトラブル

収穫の秋だが災害ばかりが目立った。ともあれ芸術の秋、私の所属する札幌シニアネットでも恒例の文化祭を盛大に開催! プログラムは多彩だが「英会話クラブ」が初参加。出し物は「ショートコントTroubles during Travels」と知り楽しみにしていた。

私は英語は好きだけれど出来ない人、観るだけの「英語ファン」である。文化祭会場は体育館だから広い、しかもほぼ満席だから後方の席しか取れなかった。よく聞こえなかったが収録されたビデオで楽しむことができた。来年は前列でナマで観ようと思う。

ショートコントで思い出したのが13年前の思いがけない出来事。ハワイ旅行の際、何らかの手違いで見知らぬ女性、Aさんと夫婦と誤解され、その方の隣に座ることになった。お互いにいい歳だが8時間だけ夫婦となる。見知らぬ人との会話は意外に楽しかった。

ホノルル出発時のことだが機内は満席、誰かを移動させなければ席は確保できない状態だ。元々夫婦を一緒に座らせるサービスの結果だから、偽夫婦とはいえ簡単には別れられない。何処かのカップルを壊さない限り席は取れないからだ。

私は怒っていた。全てはAさんの分かったふりが原因だ。出発便の受付時、Aさんは私の前に並んでいた。空港の係員が何か尋ねたとき頷いているのを見た。多分後ろに並んでいるのは夫かと聞いていたのだ。私の順番がくると係員は私のチケットを手に取ると微笑みながら書き直していた。こちらもニッコリ笑って受け取った。私も同罪かな?

20名程度の団体旅行だが、私は6人の友人と一緒に旅をしていた。Aさんも同様と思う。それぞれの仲間から切り離されたのだから、二人とも誤解による席替えと気付いていた。幸いAさんは気さくな人なので私の機嫌も直った。あれこれ話しているうちにAさんの身の上話になった。

「一人娘が中学生のとき夫に先立たれ、再就職して仕事をしながら育てたの。高校、大学、大学院に進み研究者になったのよ」
「優秀なお嬢さんですね」
「去年○○市(欧州の都市)で開催される国際会議に行ったのです」
「素晴らしいですね」
「パーティーもあるので夫婦同伴なんですよ」
「そうなんですか」
「素晴らしいバーティで感激しちゃった」
「夫婦で出るんでしょう」
「私が同行しました」
「親孝行の娘さんとは思いますが、お母様までとは……?」
「夫がいない人は家族でもいいんだって」
「……独身なんですか?」
「彼氏はいるのよ。同居して長いけど結婚はしないの。いい人だよ」

そこまで言ってくれなくていいのだが、旅先では心が解放されて気楽に話せる。二度と会うことがないと思えばなおさらだ。お互いにここでは書けないことまで話し合った。もちろん家族にも話せないこともね。何もかもさらけ出した見知らぬ人との会話は楽しかった。二度と会うことのない束の間の「夫婦ごっこ」は、日付変更線を超えても穏やかに続いた。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)

2018年01月06日

初夢は片隅の人

15年前のことだが中島公園をキーワードにして検索をしたら、目ぼしいサイトは何も無い。ラッキーと思い空き部屋に入るような気分で中島公園に関するHP(ホームページ)を開設した。そこに入ってジッと待っていれば何か好いことが起こりそうな気がした。能力が低い私は競争が苦手で誰も手を付けない片隅が大好きなのだ。

静かに待っていたら5年後に北海道新聞から取材があり、それから3年したら道新コラム「朝の食卓」の執筆を頼まれた。札幌もとっくに百年を過ぎ、ようやく歴史を考えるようになった。歴史に注目すれば札幌の老舗公園である中島公園が必然的に浮上する。つられて「中島パフェ」も浮き上がる。ジッと待つ8年間は長かった。

推測だが、道新ではコラム執筆者20人の中に中島公園関係者を含めたいと考えた。そのような状況の中で検索トップの「中島パフェ」が、担当記者の目を引いたのかも知れない。今では公共部門や企業サイトに押されて沈み始めている。しかし中島公園が世間に注目されるようになった結果なので仕方がない。私は大好きな片隅に戻るだけだ。

ともかく、2年ばかりHP「中島パフェ」の管理人として新聞にコラムを執筆する幸運に恵まれた。望外の結果に喜びすぎて脱線し、カラオケの事まで書いてしまった。思い出しても恥ずかしい。顧みれば人様の目に関しては、まったく無頓着だった。

ところで「音痴のカラオケ」も当時の中島公園同様片隅の存在だ。検索しても該当サイトは現れない。音痴への悪口はいっぱい出て来たけどね。しかし何もなければ競争もないので、力が弱くても参入する余地がある。とりあえず、「音痴のカラオケ」のタグを設定した。そして運が向いて来るのを静かに待つことにした。

人が10人いれば優秀な人が1人ダメな人が1人、残りの8人が普通の人だそうだ。ならば音痴の隠れカラオケファンは百万人はいるはずだ。日本人の10人に1人は音痴として千三百万人が音痴、それでもカラオケをやりたい人が一割として百三十万人。私の様に音痴でもカラオケをしている人が一割いるとしても、百万人以上が隠れカラオケファンである。その内の1%がこのブログを読んでくれるとすると、一万ヒット? 
初夢は捕らぬ狸の皮算用

2010年6月23日北海道新聞「朝の食卓」掲載、
タイトルは「好きになったカラオケ」、『 』内本文コピー
『自分はカラオケ嫌いと思っていたが、偶然歌ったことがきっかけで、大好きなことが分かった。そもそも歌うことが嫌いな人などいないからカラオケ嫌いは周囲の人によって作られるのだと思う。

30年ほど前、場末のカラオケパブで、職場の懇親会があった。経験のない私は歌わないつもりだったが、おせっかいな人のせいで舞台に立つはめになった。「僕が応援してあげよう」とか言って、私の手をぐいぐい引くのだ。ところが、歌いだすと気が変わり、3番までしっかりと歌ってしまった。 

後日、上司から注意された。「おまえは下手なんだから歌うな」と繰り返し言うのだ。こうしてカラオケ嫌いになったが、それが最近、仲間内のカラオケ会に偶然参加したことがきっかけで変わった。最初はもちろん断ったが、2人がかりで両腕をとられステージまで強制連行されたのだ。 30年前と同じ状況で、またもや伴奏が始まると歌う気になってしまった。

ただ、結果は大きく違い、初めて歌う私を歓迎する温かい気持ちが伝わってきた。 誘われるままに次の例会にも出て歌うと「うまくなったね」と言われうれしくなった。カラオケは好きになるも嫌いになるも、周り次第だと思った。好きな歌を人前で歌うことは、やっぱり楽しい。(HP中島パフェ運営・札幌)』

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 自由時代(61-74歳)