2023年10月14日

消えた柳並木

中島公園の達人として「達人サイト」に紹介されて嬉しかった。ところが、いつの間にか達人は別な人に入れ変わっていた。達人でないことがバレてしまった様だ。私がやっていることは中島公園の写真を撮り、日付順に並べるだけだから当然だ。だが、写真を場所別に纏めると思わぬ発見がある。

公園西側を流れる鴨々川 沿いの並木のことだが、当初はヤナギが伐採されても、その植樹升にはヤナギの若木が植えられていた。ところが、せっかく植樹された若木が一本残らず枯れてしまった。原因は「根が浅く強風に弱く、剪定後に菌が入り腐りやすい」ことと後で知った。

2002年10月2日の台風第21号は中島公園にもかなりの被害をもたらした。鴨々川 沿いのヤナギ並木も強風で根が浮き、倒木の恐れがあると言うことで伐採された。
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2002年10月14日、ヤナギに括り付けられた通告。

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2002年10月15日危険木伐採作業実施。

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2002年10月19日、伐採後のヤナギ。

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2012年10月24日撮影、若木が植えられて10年後の風景。若木が順調に育ったように見えたのだが… … 。

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2023年10月7日撮影、… … こんな結末、植えた若木は育たなかった。64本あったと思われたヤナギは少しずつ減り続け、現在はたった4本となった。

「鴨々川のヤナギは京都の鴨川のヤナギ並木を模して、川ぶちの料亭鴨川が植えたともいわれている。この料亭は今はない(『中島公園百年』 山崎長吉著)」。『札幌時空逍遥』によると、料亭鴨川は1934年頃に開業されたようだ。
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料亭鴨川の跡地は駐車場にになっているが、これは仮の姿。クロマツも碑も残っている。これからが楽しみだ。

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料亭鴨川跡地にクロマツと碑が残されている。この碑は皇紀二千六百年の昭和十五年に建てられている。そしてクロマツがちょうど70年前の1870(明治3)年に、この地に入植した者によって植栽されたものであると書かれている。

このヤナギ並木が料亭鴨川が植えたものとするなら、次の画像は植樹後89年以上たっていることになる。
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2023年10月9日、人と比べるとヤナギの大きさが分かる。人が見えなければ画像クリックで拡大される。

2001年の秋、中島公園近くに転居し、ヤナギ並木のある遊歩道は生活の一部となった。2012年の秋、ヤナギが少なくなった様な気がしたので数えてみた。

植樹升が64もあるのにヤナギは21本しかない。ヤナギの代わりに植えられたイチョウが30本、植樹升のみで植樹されていな空地が13ヶ所あった。

2023年10月2日の調査ではイチョウは30本と変わらず、ヤナギは4本に激減。10年以上補植されないまま放置され、事実上ヤナギ並木は消え去った。

本数の調査は中島橋から中州1号橋までの500m(下図参照)で実施した。2012年以降は伐採した後は何も植えず植樹升のみとなっている。当局は新たに植樹する予定はないと明言している。その状況で現在に至っている。
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公園橋前の案内板、画像クリック=拡大、字が読める。

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2019年9月3日付北海道新聞、さっぽろ10区」
私の投稿記事「鴨々川 沿い 寂しくなった柳並木」
画像クリック=拡大
posted by 中波三郎 at 18:09| Comment(0) | カテゴリの説明

2020年08月05日

カテゴリの説明 〜私の半生〜

カテゴリの説明
自分史のつもりで書いているが、老後は穏やかに過ごしたいので事実に基づいたフィクションとした。人物は全て仮名、地名及び学校等機関名は一部仮名、時代だけは正確を心掛けている。

カテゴリ 家幼児時代
戦争から敗戦への激動の時代は、私にとっては激変の時代。国破れても個人の闘いは続く。生命の危険を感じた父は母子4人を残して逃亡、行方不明となる。残された4人は豪邸から焼け跡のバラックに転居。それでも幼児の私は苦しくも淋しくもない。一つひとつの出来事を一コマの絵として記憶していても、なぜか感情を伴っていないのだ。
 
カテゴリ 猫小学時代
小学校に入ってから3年間は金で悩んだが、4年生の時、中学生以上でないと採用されない新聞配達のアルバイトを得た。運がついたのだ。その代わり収入は中学生の半分以下だった。それでも学費の残りで映画も観れたし買い食いもできた。収入を得たら金で、うなされることは無くなった。何が何円、何が何円の連続の声、最後に「わー」と叫んで目を覚ます夢を見なくなったのだ。
  
カテゴリ 本中学時代
新聞配達の他に木工所でもアルバイトをした。テレビも電子ゲームも無い時代は、それでも遊ぶ時間があった。図書室と理科実験室のある学校は大好きだった。卒業したら就職するので最後の学校生活を思い切り楽しんだ。今でも友や先生のことを思い出す。

カテゴリ ふらふら転職時代(15-23歳) 
フルタイムの仕事は苦しかった。いろいろな仕事を一生懸命やった結果、肉体労働は無理な体と自覚した。意外にも国家公務員試験は学歴を受験資格としないことを知った。航空管制官試験は専門科目が英語なので独学も出来そうだ。この時も運がついた。世の中はオリンピック景気に浮かれ、英語が出来るのに安月給の公務員に応募する人は少なかった。後で知ったことだが大学(短大)新卒者は僅かだった。合格者の半数は採用を辞退した。お陰で採用された。

カテゴリ 飛行機定職職時代(24-60歳)
ノロマで不器用では管制官は務まらない。しかし9年間も職を転々としたので、世の中には絶対出来ないことと、我慢すれば出来ることがあることを知っていた。我慢に我慢を重ねて定年まで勤めると決めた。60歳6ヶ月で退職。運よくハッピーリタイアメント!
 
カテゴリ exclamation×2自由時代(61-74歳)
自由になったのだから何でもやってみようと意欲満々だが出来ることは何もない。そこで中島公園に関するサイトを開設した。5年たったら北海道新聞のコラム「朝の食卓」の執筆依頼があった。「HP中島パフェ運営」として2009年から2年間書いた。文章はろくろく書けないのに運がついた。中島公園についての新聞、テレビ、ラジオ、情報誌等の取材には積極的に応じた。

カテゴリ 眠い(睡眠)後期高齢(75-79歳)
退職後は自由で楽しいので、いろいろやってみた。はしゃぎ過ぎて体力以上に動いたせいで2回ばかり体調を崩して入院した。そこで考えたのが私自身の定年制。75歳定年と決めたが2年遅れて全てのボランティア活動を止めた。既にシルバーセンターのアルバイトも止めていたので、ひたすら駄文を綴りオンチに歌って楽しんだ。

カテゴリクリスマス80歳以降
80歳の誕生日は無事に迎えると思っていたら、2020年に初めて手術をした。無傷の時代は終わり、新しいステージにはいったと自覚した。70代と80代は全く違うと気づき、このカテゴリを追加した。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | カテゴリの説明

2019年03月16日

ジャニー・ギター

ジャニー・ギター(大砂塵)
「あの歌この歌」とか書いているが音痴だから無理だ。代りに好きな歌にまつわる思い出や映画などを書いている。自分のブログだから書き放題だがリスクもある。それは誰にも読まれないこと。危なくはないけれど、けっこう虚しいし寂しい。

映画を観て主題歌が好きになることが多いのだが、ペギー・リーの「ジャニー・ギター」の場合は逆だった。歌が好きなので映画を観たくなったのだ。原題は「ジャニー・ギター」だが内容が分かり難いと考えたのか、日本ではタイトルを「大砂塵」とした。この映画は1954年に公開されたが、当時は西部劇が大好きだったのに、なぜか観た記憶がない。

好きな歌が大砂塵の主題歌であることを知った時、ビデオレンタルに行ったが無かった。それが最近になって2回もテレビで放映された。両方観たが極めてユニークな映画だ。こんな西部劇は観たことない! これからもないだろう。

先ず、ネーミングが笑っちゃう。ジャニー・ギターとダンシング・キッドとはね。ギター弾きのジャニーがギターを背負った馬上姿はいいとしても、ダンシング・キッドって何だろう? 

ビリー・ザ・キッドは西部開拓時代の強盗、「駅馬車」のリンゴ・キッドは無法者。そして、この映画のダンシング・キッドは銀行強盗にしろ駅馬車強盗にしろダンスのイメージが湧いてこない。真面目なのかふざけているのかサッパリ分からない。

若い時、日本でも流行っていたペギー・リーの「ジャニー・ギター」が好きだった。彼女はソフト・アンド・クールな歌声で知られていた。「ゴールデン・イヤリングス」も好きだが、残念ながらカラオケ店にはなさそうだ。

「大砂塵」の音楽は洋画ファンなら誰もが知っているヴィクター・ヤングが担当。なんと「ジャニー・ギター」の作詞者はペギー・リーその人である。そんな訳で少年時代に観そこなった「大砂塵」をぜひ観たいと願っていたら、テレビが叶えてくれた。

ユニークその2は、決闘をする主役のガンファイターが二人とも女性であること。酒場の女主人ヴィエンナ(ジョーン・クロフォード)と駅馬車襲撃で殺された犠牲者の娘エマである。

逃げるウエディングドレスのような白い衣装のヴィエンナと、馬で追う黒ずくめのエマ&喪服集団が思いもよらぬ異様なシーンを展開している。この映画の男は添え物に過ぎないから名前もギターとダンスで好かったのかも知れない。

「大砂塵」はヴィクター・ヤングの音楽で始まり、ペギー・リーの歌で終わる異色の西部劇。美しいメロディーと女の闘いとのギャップが異様で興味深い。この時代の西部劇としては珍しく善玉と悪玉の区別がハッキリしない。マッカーシズムによる赤狩り旋風を暗に揶揄する内容との説もある。

小林旭の「渡り鳥シリーズ」も、この映画を引き継いだような感じがする。「小林旭 ジャニー・ギター」で検索するといろいろ出てきて面白い。やはりペギー・リーの歌が一番いいと思う。私も歌いたいのだが、音痴としては遠慮したい気分もある。少人数でやる友達同士のカラオケではコソコソ歌っているけどね(笑)。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | カテゴリの説明