2024年02月24日

ツレ

「今日は寒いからナベにしようか」とツレが言った。買い物を終えて帰って来たツレは「酒も買っちゃったぁ」と少しはしゃいでいた。見ると350mlの缶ビールが一つだけ、二人で分けると軽くコップ1杯ずつだ。それでも4年ぶりに我が家の食卓にのった酒だ。小さな幸せをもらったような気がして嬉しかった。

ところで、妻と書くのを嫌ってQPとかWF、D子とか書いていた。しかし、いずれもしっくり来なくなった。そして、現実を踏まえれば「お母さん」と呼ぶのが一番いいと思った。そう思ってそうしたが、4年たつと、そう書くことにも違和感を覚えるようになった。

前回のブログで「ツレは私のことをこう思っているだろう」と思わず書いてしまったが、私にはピタッと来た。しかし、ツレとは何だろう? 早速ネットで検索すると、気に入った「ベストアンサー」にたどり着いた。

そこにはこう書いてあった「彼女や恋人には使いません。同行しているお連れさまの意味でもありません。仲のいい友達を表現する時に『連れ』といいます」。私は仲のいい友達という表現が気に入ってしまった。

しかし、本当の意味はどうなんだろうと辞書を見る。「一緒に伴って行くこと。一緒に行動すること。また、その人。同伴者。[補説] として、仲間、友人、また、伴侶、配偶者の意でも用いる」と書いてある。

そう言えば、私が若いとき年配の紳士が落ち着いた感じでツレがとか言うのを聞いたことがある。その時は私の様な落ち着きのない若者には似合わない言葉と思っていた。

ところが、最近テレビで観た映画『ツレがうつになりまして』では、若い妻が夫をツレと呼んでいる。しかも夫を呼ぶときもツレー!と大きな声で呼ぶのを聞いて驚いた。しかし、映画を見ている内に次第に慣れていった。

ところで、渡哲也が歌う『みちづれ』が好き、特に2番が大好きだ。「寒い夜ふけはお酒を買って たまのおごりとはしゃぐ姿に きめたきめたおまえとみちづれに(作詞:水木かおる)」と歌っている。しみじみとした小さな幸せを感じる。自分にはこのぐらいの幸せがちょうど良い。

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10歳から72年間も楽しんでいる映画はツレ。昔は映画館、今テレビ。
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2024年02月17日

根無草の人

人について書くのは大好きだが、当人に読まれるのが怖くて書けない。だから身近に絶対に読まない人が居るのは有難い。それはお母さん(妻)、私がパソコンで何をコツコツやっているか全く興味もないし、話題にもしない。お陰で、何も気にせず自由に書くことができる。

私は天涯孤独、小・中学校は東京都渋谷区、就職して渋谷を離れて以来、両校にとって私は行方不明者となる。その後、職と共に住所を転々、名前も伊吹から中波に変わった。これで住所不定者?になったのか選挙もできなかった。

定住者と認められ選挙通知をもらったのは26歳になってからだった。だから私の過去については誰一人知る人も居ない。結婚して子もいるから、正確には天涯孤独とは言えないが似た様なものだ。

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寂しくなったら空を見に豊平川に行くが、そこで憩う人々は楽しそう。

二人暮らしでもいろいろあったが、今は静かにノンビリと暮らしている。このブログにも「お母さん」と称して登場させてもらっている。今回は立場を入れ替えて彼女に書いてもらうことにした。と言っても書いてくれる筈がないので無断で代筆。もし書いてくれるとしたら以下のように書くと思う。

同居人はどう考えても「お父さん」と呼べる様な人ではないので仮名をつけることにしました。ヒンスケがいいと思う。貧乏自慢のヒン。テレビで「おしん」をやっていた時も「オレのほうが、もっと貧乏だった」と自慢していました。スケは想像に任せます。とにかく頭が禿げてヨボヨボになってもモテたいと言うのですから呆れています。二つ合わせてヒンスケ。ドンピシャではないでしょうか。 

「今度生まれ変わったら、パンダになるんだ。大事にされて、楽してモテるんだ。こんないいことはない」と、耳にタコが出来るほど聞かされました。パンダ名はピンピンにしよう。彼の憧れですから。 

ヒンスケは私がご飯の支度をしている時に、ノンビリと新聞を読んでいます。仕事をしているならともかく、退職してまでこれではたまりません。手伝わせてはみたのですが全く使いものになりません。不器用なのは仕方がないのですがやる気が全然ないのです。邪魔になるだけですから、何も頼まないことにしました。

ピンピンコロリと行ってくれればいいのですが、私が先に行ったらどうするつもりなのでしょう。息子に文句言われるかと思い心配です。「ヒンスケが転がりこんできた。自立できないのはお母さんの教育が悪いせいだ」とか、あの世に行った後まで非難されたらたまりません。早飯は芸の内とは言うけれど、こんな遅い人は見たことありません。いつまでたっても片付かないので私は新聞を読んでいます。

「チョットご覧なさい。いいこと書いてありますよ」
『妻に頼らず 元気で長生き 男の料理 実習100回』
と、見出しに書いてありました。
「コンビニもあるし食べる所は幾らでもあるよ」
「外食すればお金もかかるでしょ」
「オレなんか1か月3000円で食べてたよ」
「それは独身だった昔でしょ」
「今だって納豆、卵、サバ缶なんか安いよ」 
「安いものには危ない食品も多いいですよ」
「もう83だからね」
「それがどうしたの?」
「安全食品でオレの寿命、何年のびるかな」

ああ言えば、こう言う。食べるのだって遅くてイライラするから、食事中に皿などドンドン片付けてやります。そうすると「ホテルのディナーみたいで楽しいねぇ」とか言ってるのだから腹が立つ。めんどくさくて食事付きの「老人ホーム」でも行きたいと言えば、アチコチから資料を集めて、ここが良さそうだとか楽しんでいます。ただ生きているだけで幸せな、根無草みたいな人と暮らすのは本当に疲れます。

ツレは私のことをこう思っているだろう。ところが、私自身は感謝と反省の日々を重ねている。感謝しながら生きていける人生は素晴らしい。さて、これからどうしよう?
タグ:楽しい我家
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2024年01月27日

病気のご褒美

今までで一番ひどい風邪に罹ってしまった。熱が出て頭が痛くて食欲が無い、無理やり食べると直ぐに吐く。しかし、好いこともあった。延々と二日間に及ぶ幻影をたっぷりと楽しませてもらった。夢を見たら、何となく見ている夢に参加できるような気がして来た。

そう思って目を開くと夢と同じ大画面が見えていた。目が覚めても夢の続きを幻影として見れたのだ。再び目を閉じると大画面がゆっくりと消えて行く、そして目を開くと又見える。繰り返しているうちに幻影は見えなくなった。

嘘でも冗談でもない本当の話。こんなことを強調しなければならないのも自業自得だ。笑ってもらいたくて嘘ばかり書いていたことを心から反省する。ベッドで忘れないうちにメモを書き、出来るだけ正確に再現しているつもりだ。

「夢から幻影へ」は、どれもセットになっていた。そして、三種類あり同じものを繰り返し見ていた。

@若者
何処か分からない洒落た街で若者がバスを待っていた。これが綺麗なカラー動画で映されていた。とても楽しいと言うか心地よかった。書いてみると極めて短いが、ゆったりと何回も繰り返し見させてもらった。

A家族
息子夫婦と妻が楽しそうに談笑していた。ここだけでなく、これまで経験した3回の手術でも幻影には音がない。家族は真っ白な椅子に座り白いテーブルを囲んでいた。花がとても綺麗だった。赤い薔薇、白い薔薇とかいろいろ。カラフルな夢から幻影へと移って行った。

B空撮
寝ながらラジオを聴いていたのに目を開けると、大きなスクリーンが出て大草原が映っていた。画面いっぱい走る動物の群れが映っていた。なぜか牛に見えた。今回は音声つきだった。ラジオを聞きながら見た幻影。嘘のような話だが、私はそう記憶している。これは1回しか見れなかった。

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病気は苦しいが、幻影だけは楽しみだ。残念ながら見たい時に見えるわけではない。私が幻影をみるのが好きになったのは、5年前の初めての手術の時からだった。手術に行くとき同室の男性患者が「幻影が見れるから楽しみにしてな。天国のお花畑みたいに綺麗だから」と励ましてくれた。

残念ながら見えなかったが、手術は失敗したので夜にもう1回手術した。その時初めて幻影を見た。お花畑でなく、私がストレッチャーに乗って病院中走りまわる幻影だった。とても爽快と記憶している。これが幻影を好きになったキッカケである。しかし、今回の夢から幻影は期待を超えるものだった。ぜひ、これからも体験したい。幻影は謎めいて楽しい、病人へのご褒美かも知れない。
タグ:ときめく
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2024年01月06日

間もなく天国

一年の計は元旦にあり、今年の計画をしっかりと立てることにした。私は無職で83歳、抱負と言うには大袈裟すぎて笑われるかも知れない。でも私は本気の本気、一生懸命だ。

快食
舌癌の手術で内股の肉を切って舌の左下に貼り付けた。舌と内股の肉が引っ張りあってケンカをすると痛い。しかし、小さく切って少しづつ食べれば大丈夫。食事時間は長くなるが美味しい時間も増えるのだ。食べ方改革で快食達成!

朝食はテレビを消して話しながら食べている。先に食べ終えたお母さん(妻)は新聞を読み始める。話題が新聞記事にも広がり会話も弾む。夕食はホテルのディナーの様だ。私が食べ終わるごとに片付けてくれる。いつも食卓がきれい、これも食べるのが遅いから。もちろん私は一皿づつ完食する。

快便
在職中は下痢と便秘の繰り返しに悩まされた。退職すると下痢はなくなったが便秘はそのまま。仕方がないので薬を飲むことにした。便は少しづつチョロチョロと何回も出る。腹痛はないので我慢はできるが快便とは言えない。

数年前からヨーグルトにオリゴ糖や果物を入れて毎朝食べている。しばらくすると太くて長い一本が出るようになった。思わず柔道の一本勝ちのような気分になった。まさに快便である。なぜか1ヶ月前くらいからオリゴ糖が無くなった。そして、ウンウン息張っても丸いのが出るだけになった。再びオリゴ糖を買い一本を目指して頑張っている。

快眠
一応22時30分から4時30分までが睡眠時間。寝入りに朗読を聴くのが眠り薬の代わりになり、最後まで聴くことは少ない。眠れなくなるほど良い作品に巡り合うのは有難い。眠れても眠れなくても快適である。睡眠時間が足りなくなれば自然に眠たくなるので寝る。自然に任せて快眠。夜も昼も。

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今年の抱負は快食快便快眠である。工夫して楽しく食べて、薬とオリゴ糖で合わせて一本を勝ち取る。そして、夜は朗読を楽しむ。眠る眠らないは脳にまかせる。寝ては快眠、起きては朗読を楽しむ。快眠と朗読の二刀流でいきたい。

今のマンションに住んで22年、アッという間に過ぎてしまった。と言うことは、アッという間もなく天国だ。だからこの世では出来るだけ楽しく過ごしたい。ハイ(^-^)/

「短い命なら死んだあとで、… … 」
「何だいきなり」
「あいつはとてもいい奴だったと言われてみたい」
「しっかりしろよ先は長いぞ」
「急げよ急げ生きてるうちに」
「年金じいさんだろう。ノンビリしろよ」
「急げ!若者」
オイッ、人の話も聞け!
「フォーリーブスですよ。いい歌でしたね」

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2023年12月30日

仕事に誇り

静かな一日だった。こんな日は細かいことが気になる。例えば、食卓の上に落ちたパンくずのことなどである。私は食べるのが遅い。先に食べ終わったお母さん(妻)は新聞を読み始める。しかし、お喋りは終わらない。話題が新聞記事に変わるだけである。

「深刻な顔して何を読んでるの?」
「4丁目で人が刺されたんだって」
「それは大変ですね。気をつけないといけませんね」
「何でアンタが心配するの」
「だって4丁目と言えば札幌の中心でしょ」
「名古屋の話、世の中札幌だけじゃないんだよ」

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パンを食べていたのだが、パンくずがテーブルの上に落ちるのが気になった。テッシュを広げて一つひとつ、細かいパンくずを拾った。まったく根気のいる作業だ。細かすぎて掴みにくい。全部テッシュの上に載せるのに10分くらいかかった。もちろんパンを食べながらである。

きれいになって気持ちよかった。一仕事終わったような爽快な気分だ。そのとき突然風が吹き、パンくずを載せていたテッシュが飛んでしまった。たちまち辺りはパンくずだらけだ。食卓や衣服がね。

「あれれ、わ〜っ!」と、私。
「なにやってんのよ。パンくずだらけじゃない」 
「新聞めくったでしょ」
「当たり前じゃない。読んでいるんだから」
「拾うの大変なんですよ」
「だったら、こぼさなけりゃ、いいじゃない」
「新聞めくったでしょ」
「だから、何よ!」
「ごめんなさい」

新聞をめくって風を起こしたのが悪いか、テッシュの上にパンくずを乗せたのが悪いか。これは極めて小さな問題だが、どっちが悪いと決めつけるのは凄く難しい。いつものように私の我慢で無事に解決。これが私の唯一の仕事。卑屈じゃない、誇りを持って遂行している。だから私はお父さんと呼ばれている。役目は楽しい家庭を守ることである。
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2023年12月23日

我が家の家宝

朝食は二人で用意する。そして、テレビを消して話しながら食べている。この習慣が崩れない限り我が家は安泰、静かで心地よい暮らしが続くのだ。今朝の話題は性同一性障害、私にはよく分からないのではぐらかした。
「今でもモテたくて必死ですが障害ですか?」
「バカ障害だよ」

相変わらずの正直で能天気な対応が、何よりも有難い。バカなことを言うなと一蹴しても良いはずだ。「障害ですか?」という愚問に正面から答えてくれたことに感謝。これ以上誠意ある回答は誰にもできないだろう。ハイ(^-^)/

数年前まで自分本位の身勝手な人と思っていた。しかし、離婚する度胸がないので何でもハイハイ言うことを聞くことにした。そうしたら、いつの間にか正直でよく笑う人になっていた。私が変えたと思っていたが、私自身が飼い慣らされたのかも知れない。嫌われ者からベットへ2段階進級!

「ところで、我が家の家宝って何だろうね?」
「高価な壺も掛け軸もないしね」
「一番高い買い物はなんだっけ?」
「40年前に買ったバソコンセット50万円」
「とっくの昔に不用品として捨てたでしょ」
「今ある物で一番高いのはテレビ」
「消耗品だね。ゴミに出す時お金かかるんだよ」

考えてみれば現代は消費社会、高かった物と言えば車、パソコン、テレビ、オーディオセット。それに冷蔵庫、クーラー、洗濯機、長く持っていたら安くなる物ばかりだ。おまけに、処分費だってかかるのだ。残念ながら家宝とは程遠い。しかし、暮らしには欠かせない必需品ばかりである。

長い人生だがよそ様の家宝さえ見たことがない。それらは映画やテレビでしか見れないものなのか。このまま人生が終わるのも寂しい。一度はこの手で触ってみたい。南極の氷は触ったことがあるけれど、家宝には全く縁が無い。

それでも未練たらしく部屋の中を見渡してみたが、やはりテレビが一番高い買い物だった。
「札幌オリンピックの記念メダルセットがあったじゃない」
「2万7千円の記念メダルを家宝と言ったら笑われますよ」
「上がってるかも知れないよ」
「あれは正ちゃん(息子)に上げっちゃったよ」
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私たち二人は、今あるものを一生懸命考えた。
「家宝って古いもんだよね」
「たいていの場合そうですね」
「分かった!」
「なんですか?」
「この家で一番古いのは人間!」
なるほど、更に言えば私の方が古い! 
私が家宝、いや果報者かな。(*^-゜)
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2023年12月16日

笑数計

83歳の私にとって、日常生活で心掛けるべきことは何か。食事? 笑い? 運動? それとも睡眠? 

食わなければ腹が空く、睡眠不足なら眠くなる。特に心がける必要はない。眠くなれば寝れば良いし、食欲が無いなら食いたくなるまで待てばよい。無職だからこれで良いのだ。

80歳過ぎてから体に悪いことばかりしている。筆頭は3回の入院である。考えてみると、手術も放射線治療も病院で寝てることも全て体に悪い。退院しても副作用で凄く疲れるが、自然に動きたくなる。好きなだけ動けば良い。だから運動も心掛ける必要がない。消去法で残ったのが「笑い」である。

笑いこそ日常生活で心掛けなければならないこと。と言っても老人の二人暮らし、笑いのタネは簡単には見つからない。だからブログに書いている。そして、笑われた記事をサイドページ上段にリンクを掲載して笑っている。

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「笑って暮らせばラッキーカムカム」。こんな歌詞の歌が昔、流行っていた。世の中、変わっても笑いの大切さは変わらない。健康のために歩数計があるように「笑数計」があると良いと思う。ちょっとした健康チェックができる。腹の辺りに貼って「笑い数」をチェックできると便利だ。

念の為「笑数計」をキーワードにして検索すると次のような記事があった。笑うことの「医学的な効果がわかってきました。このことから、『笑いは百薬の長』と呼ばれています。どれくらい笑ったのかを測る笑いの万歩計があれば、毎日笑う習慣を身につけることに役立ちます」。私より先に同じことを考えている人がいた。(´<_`  ) 流石だよ

退職して二人暮らしになると家の中に笑いがなくなった。全部なくなれば気にもならないが、連れ合いが電話で話しながら顔を真っ赤にして笑い転げているのを見たことがある。恐らく外出して友達と会っている時もそうなんだろう。

私の前でも笑って欲しいので努力した。別に大したことではない。ハイハイと言うことを聞く家来になっただけ。それでも効果は絶大、今では私の前でも顔を真っ赤にして笑い転げることもある。気をつけろ笑数計がぶっ飛ぶぞ

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2023年11月18日

大笑い

私の巣ごもり生活はコロナ禍以前の舌癌発症が始まりだから、既に4年を経過している。体調は快復しないが、幸い口と心は元気だ。何となく幸せに過ごしている。

「ほ〜ぅ、ランチで2万五千円!薄野の高級寿司店だそうです。この写真を見て下さい」
「凄く美味しそうだねえ」とお母さん(妻)。
「二人で行きませんか?」
「二人で5万だよ。ワッハッハ、ワッハッハ。ケチなアンタがねぇ、ワッハッハ。ラーメン千円で高過ぎると言って入らなかったアンタがねえ。ワハハッ〜あ〜疲れた

お母さんには超高性能の「笑う仕掛け」が装備されている。「二人で行きませんか」と言った私は、例えて言えばボタンを押しただけ。装置を始動させて「大笑い」を発生させたのはお母さん自身である。

それにしても、「二人で行きませんか」がジョークと取られる状況は情けない。それが我が家の経済状態だが、二人で5万円のランチに行く人は稀だと思う。だから私はボタンを押したのだ。お母さんの「笑う仕掛け」ボタンをね。

仕掛けた私は大笑いしてもらってとても嬉しかった。小さな幸せをもらった気分だ。不器用な私にとって人様を笑わせるのは至難の技。スポーツ、ゲームは何もできない。おまけに歌えば音痴だ。残念ながら、一言で表現すればジョークが一番似合わない人である。それでも好きだから書く。

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ボールを拾って口に咥え、ご主人様に持っていく、真面目な犬は笑わない。

「真面目ですね」、私に対する褒め言葉は、これ一つしかない。もうとっくの昔に聞き飽きている。40年間も言われ続ければ、「真面目」といわれただけで、「つまらない人間」と言われたのと同じ気分になるものだ。

やっと褒めるところを見つけてくれた人には申し訳ないが、「不真面目」と言われた方がましだ。こんなこと言えるのも無職だからだ。在職中は一生懸命「真面目」をアッピールしていたのにね。我ながら勝手なものだ

今では何を言って笑わせようか何時も考えている。一人でね。当たれば大笑いしてくれるから有難い。ほとんどの場合は「何よそれ、アンタ常識ないね」とけなされるだけ。たまの大笑いを期待してアレコレ考えるのが楽しい。
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2023年11月04日

物忘れはドッチ

この勝負は私の勝ち。ことの次第は次のとおり。
又、お母さん(妻)に怒られた。「なんで電気消すのよ」と怒っている。私はトイレの照明を消した覚えはない、点けたのだ。電気を点けてトイレに入ろうとしたら鍵がかかっていて開かない。外からは分からないが使用中なのだ。突然トイレから出てきて電気を消したと叱られても、私には答える暇がない。オシッコがしたくて一刻を争う事態だったのだ。

先ず用を足すのが先決、釈明するのは済んでからだ。
「電気を点けてドアを開けようとしたら開かないので慌てました。先ず尿瓶を探しに行きました。電気を消したつもりはありません。悪いのはスイッチです」
「私ならドアを開けてからスイッチを押すよ」
外にあるスイッチを押す前にドアを開けるなんて考えられない。だがお母さんには一旦、言ったら押し通す。

こんなこともあった。この時は立場が逆だった。私がトイレに入っているとき突然、照明が消え真っ暗になった。同時にドアが開き、「アンタ、電気も付けずに何してるの!」と怒った。そして、パタンとドアを閉めた。お母さんがスイッチを押したから消えたのだが、私は一言も発することができなかった。まさに先手必勝である。用を足して手を洗って服装を整えてからでは反論もボヤけてしまう。

「ボケ防止に薬飲ましているのに全然効き目ないね」
「何のことですか?」
「アタシがトイレに入っているのに電気消したりとか」
「悪いのはスイッチです」
「悪いのはアンタに決まってるよ」

私は悪いと言われても貴女の方が悪いとは言わない。それを言ったら切りがない。虚しい時間が過ぎるだけだ。ところでスイッチが悪いと言ったのは言い逃れではない。

以前は物置もトイレもパイロットスイッチになっていて中が点灯していれば外でも分かるようになっていた。トイレは物置より使用頻度が高いので経年劣化のため故障した。その後に付けられたのが、中の点灯が分からないスイッチ。このとき業者に頼んで確認したのがお母さんだった。言いたくないけどね。物忘れはドッチだ? (^-^;) ゴメン

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トイレ、上は照明用だが、現在は中の照明が点灯しても分からない。下は換気用のスイッチ。

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物置、中の照明が点灯すれば外にいても赤点灯で分かる。新築の時はトイレもこのようなスイッチになっていた。
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2023年10月28日

嘘から出たまこと

音痴なのにカラオケ会に参加したりして恥ずかしかった。体裁をつけて健康の為とか言っていたが、本当にそうなってしまった。先日リハビリの先生から聞かれた。
「カラオケとかやってますか?」
「下手の横好きです」
「そうじゃなくて、リハビリの話です。やってます?」
「はい、一応」

舌癌の手術後、約1年してリンパに転移した。2回目の手術が無事終了と思ったら、癌が残っていたと言われ放射線治療を受けた。副作用はいろいろあったが、1年以上たっても残っているものもある。それは放射線を当てた右肩の筋肉が無くなり動きが不自由になったこと。その後、主治医の勧めで週一回のリハビリを受けている。

「カラオケやったら肩が治るんですか」
「姿勢を正しくし、腹に力をいれて歌う。これを繰り返えして下さい。治るか治らないかは貴方次第です」

そして、耳の聞こえも悪いので補聴器のトレーニングも受けている。補聴器の先生はカラオケのときは補聴器はつけない方がいい。「大きな音だから補聴器なくても聴こえるでしょ」。そして、お母さんまでア〜ダコ〜ダと言った。いろいろな人がいろいろ教えてくれた。

若い時のことだが、歌はダメだが楽器なら習えば出来るかも知れないと思った。そして、個人指導の教室に3回、合わせて2年くらい通った。結局、何も出来ないことが分かった。その時は不器用だから出来ないと思った。いろいろあって40歳くらいでやっと、自分は音痴であると自覚した。

65歳にもなってカラオケを始めたのは、カラオケ初心者から誘われたから。その人は練習したいけれど一人では行きたくないから付き合ってくれと言う。餌つきだよ(^-^)

気楽な人として私ともう一人が選ばれて3人で月一回カラオケに行った。初心者の老人3人だが、誘った人が二人にビールをジョッキで一杯ずつ毎回奢ってくれた。メンバーは変わったけれど13年くらい続いたから大したものだ。コロナがなければまだ続いたかも知れない。

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札幌歩行者天国 劇団風蝕偉人街 2002年9月1日

退職して15年間はどんなことでも積極的にやってみた。出来ないことまでやったので傍迷惑だったかも知れない。それでも自由を満喫したと感じて楽しかった。

今は巣ごもりに近い暮らしだが静かに楽しく暮らしている。退職後15年間思いっきり行動して楽しんだことが、良い思い出になり静かな暮らしに彩りを添えてくれている、

所属するシニアネットのカラオケ会に少しだけ参加させてもらっている。これはとても有難いことだ。いくらリハビリの先生に身体に良いと言われても、たまには人前で歌わせてもらわないと張り合いがない。我ながら困った性格だ。

当初は好きだからやっていたのに体裁をつけて健康の為と誤魔化していた。それが何時の間にか本当に健康の為になってしまった。これも「嘘から出たまこと」かも知れない。
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2023年08月19日

妻は内弁慶

我家の夕食は早い、風呂は夕食後に入るので18時頃からになる。その日はちょうどファイターズ・ライオンズ戦をテレビ観戦していた。この試合に勝てば最下位から5位に浮上する。とても目が離せる状態ではない。

それなのに「ちょっと、来てよ」とやかましい。何回も呼ぶので嫌になってしまう。用事があれば、こっちに来ればいいのだ。やっとチェンジになったので風呂場に行くと、まる裸のお母さん(妻)がお湯が少ないと血相変えて怒っていた。

「あんたが余計なことするから、お湯が減っちゃったじゃない! 湯船に半分しかないよ」
「肩が出るまで減らしました。健康に良いそうですよ」

湯量の増減はボタンを押すことで簡単にできる。どうやら湯量を減らした私に、全責任を押し付けないと気がすまないようだ。所詮は誰が蛇口をひねるかの問題である。風呂に入っている人が増やせばいいのに、なぜ怒るのだろう。ときどき訳の分からないことで叱られて困っている。

20年ぶりにお風呂を買い替えた。風呂桶だけと思ったがユニット(風呂場全体)で買わされたので150万もした。「自動ボタン」以外触る必要ががない。終われば「お風呂が沸きました」と報告までしてくれる。人間様は入るだけだ。

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会社の担当者から説明があり「どこか異常がありませんか?」と聞くと、お母さんがお風呂のお湯が多すぎるので、もったいないと訴えた。担当者はここを押すと湯量が増えて、こちらを押すと減りますと、丁寧に説明してくれた。

なぜかお母さんはポッと顔を赤らめた。湯量が少ないのはお風呂の故障と思っていたに違いない。担当者に教わり「ええ、ええ」と頷いていたではないか。私は側で見ていたのだ。当然、お母さんは理解しているものと思っていた。

「少なかったらボタンを押して増やせばいいでしょ」
「あんたが減らしたんだから、増やしてくれなきゃダメ!」
「ボタンを押すだけですから簡単でしょう」
「簡単ならやってよ!」

相手が他人だと自分の間違いに気付いて、ポッと顔を赤らめるのに、このずうずうしさは一体なんだろう。他人に優しく、身内に非情。今までは手練手管で私にも優しいお母さんに作り変えてきたが、新しい設備を導入すれば新しい課題も生まれてくる。一つ一つ対応して行きたい。
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2023年07月29日

難しい音痴の自覚

何となく音痴と思っている人は多いが、はっきりと音痴と自覚するのは難しい。私は経験に経験を重ね、30年もかけてやっと音痴と自覚できたのだ。決して簡単ではない。

趣味は洋楽カラオケと言いたいのはやまやまだが言えない。困ったことに極端な音痴で、英語もよく分からない、しかも生まれつき滑舌が悪い。とても恥ずかしいけれど、それを上回るヤル気がある。趣味の世界でも5%の出来る人と5%の出来ない人がいる。そして90%は普通の人々と思う。

普通の人には出来る人になるための教室もマニュアルもある。一方、出来ない人が普通の人になるための教室もマニュアルも事実上ない。マニュアルには初心者でも読めば出来ると書いてあったが、何ひとつ出来るようにはならなかった。

習って上手になった友人がいたので、個人レッスンも受けた。私も習えば友人と同じ様にできる様になると思ったが大間違い。自分を知るには金も時間もかかるものだと思った。しかし、これだけでは終わらなかった。選んだ楽器が難し過ぎたと決め付け、更なる深みにはまった。

30歳くらいまで楽器を次々と買った。あれもダメこれもダメ、これなら何とかできるとか未練タラタラだった。音痴だからダメなんだと気付いたのは30代半ば頃だった。

音楽とは聴いて楽しむものだと割り切った。それなのに、好きな洋楽を歌ってみようと思った時は後期高齢者。つまり本格的なジイサンになっていたのだ。私の迷いは簡単には収まらない。しかし、命とか金とか関係ない分野で悩めることは有難い。これも一種の贅沢である。

初めてカラオケ会で歌ったが滅茶苦茶だった。伴奏に遅れたり離れたりした。止めれば良いのに一生懸命辻褄を合わそうとするのだ。終わって初めて恥ずかしくなる。今でも滅茶苦茶だけど、自分で楽しむことはできる様になった。何事も自分に都合好く解釈できる老人力に押されてね。そして、無視しないで励ましてもらえることが何よりも有り難かった。

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現在82歳と9ヶ月、めでたく日本男性の平均寿命を超えた。80歳近くから舌癌、リンパへの転移、放射線治療と3回の入院、耳も補聴器が必要になった。最後に退院して1年たつけれど、未だに体調が戻らない。疲労が著しいのでカラオケ会も2時間だけ参加させてもらっている。今の私には唯一の娯楽なので、自分なりに楽しませてもらい感謝している。

順番が来たら歌って2時間たったら帰るだけだが、とても楽しいひと時だ。帰ったらグッタリして、一眠りして夕食をとっている。幸い食欲はあるし、口と心だけは元気だ。毎日をゆったりと幸せな気分で過ごせることが有難い。

昔、酒を飲むことが唯一の楽しみだった時期もあったが、この3年間一滴も飲んでいない。しかし、静かな生活も良いものだと思っている。ノンビリだけではボケそうだから1ヶ月に2時間くらいは緊張して恥をかいている。その方が健康に良いと思ってカラオケに行っている。

15歳から集団生活をしていた、自由時間は皆んなで歌うのが唯一の娯楽。しかも、訓練では毎日のように行進しながら全員で歌っていた。大声を出せとの指導があるだけの楽しい訓練だった。日常生活が歌と共にあり、音痴とか自覚できない環境だった。これで良いと思うのだが時代は変わった。
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