2023年03月18日

試練の洋楽カラオケ?

テレビで観ている歌番組は「NHKのど自慢」だけだが、クラシック音楽のドラマも楽しい。今観ているのは「リバーサル・オーケストラ」で、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調に感動。昔観たのは映画「のだめカンタービレ」、そこで演奏されたクラシックにも感動。それなのにコンサートに行くと寝てしまうのは何故だろう。

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1ヶ月に1回は洋楽カラオケに行く。歌は苦手だが老人力がついているから大丈夫。老人力とは私の心に潜む未知の力、意地悪な人はモーロクと言う。英語で歌うのが好きだが、口が回らないしカタカナっぽい。それなのに何故と聞かれても答えられない。娯楽とはそんなもの、独りよがりだから楽しいのである。しかし、上達するためには試練も必要だ。

1曲目に歌ったのはアップテンポの「恋の片道切符」、チュウーチュウー・トレイン、汽車は行く〜と言う感じの歌だが、マスクがズレて気になって仕方がない。マスクがずれ〜る、ウ・ウ・ウ・ウ〜と想定外の試練に苦しむ。

反省して、2曲目はスローな曲にした。選んだのは「トゥー・ヤング」、若すぎると言う意味かな。1曲目に続き2曲目も、自分に似合わない曲を歌ってしまった。3分でいいから違う自分になりたかった… (^-^;) ゴメン

今回からかなり広いステージで歌うことになった。ならばマスクを外していい筈だと思った。とりあえず状況を偵察。座席の関係で後ろ側に位置するステージをチラリ、チラリと振り返って見た。皆んなマスクを外して歌っていた。マスクがズレる悩みは、何時ものように横並びで解決した。

ところが想定外の事態に遭遇して狼狽えた。マスクを外した途端に伴奏が突然聞こえなくなったのだ。ステージに立つ私にとっては、舌癌発症以来の緊急事態である。一体どうしたことだろう? マスクを外す時に耳に掛けた補聴器が外れて落ちたのだ。薄暗い中で足元にあるのを見つけてホッとした。たった数十秒間の出来事と思うが凄く長く感じた。

こんな失敗は2度としたくないので3曲目を歌う前にマスクを外し、代わりに両手で押さえて出番を待った。ところが前の人が歌い終えたので拍手をしようとしたら、手が離せない。マスクの紐を上に持ち上げて外せばよいことが分かったのは4曲目を歌うときからだった。勉強になったなぁ。

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現在私は補聴器訓練生、耳の聞こえが悪いので耳鼻科に行ったら3ヶ月間の補聴器トレーニングを勧められ実行中。補聴器は無料貸与だが紛失したら弁償である。ステージで補聴器を落とした時は本当にビックリした。耳からボロリと10万円を落とした様な気がした。(>_<;)
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2023年01月21日

楽しい洋楽カラオケ

こんなタイトルでは知らない人が読んだら、歌が上手で外国語もペラペラな人が書いていると勘違いするかもしれない。実は全く逆。歌は並外れた音痴、英語も中卒レベル以下で、21歳になってから3ヶ月訓練を受けただけ。

英語を好きになるきっかけにはなったが、定職が決まると勉強は止めてしまった。職を転々、半失業時代の勉強は生きる為だけのものだった。公務員なら病気になっても医者にかかれるし、病気休暇もあるぞと安堵した。

私は体力がなく不器用で感が鈍い。真面目でコツコツ全力で働けば何とか生きられる程度の人。それでも82歳まで生きられたのは運が良かったからである。

第一の運は、たった3ヶ月とはいえ給料をもらいながら英語の勉強に専念できたこと。第二の運は失業中の22歳で就職試験に合格したこと。二つとも時の運がついたのだ。そして、第三の運はタイトルにある洋楽カラオケとの出会いである。

私が75歳、後期高齢者になったころ所属するシニアネットのメールで洋楽カラオケ会の新規募集があった。そこには「洋楽が好きな人なら誰でもよいと書いてあった。しかし、全く歌えない後期高齢者は想定外かも知れない。それでも何とか受け入れてもらったのは運が良かったからである。

人に恵まれたのが1番の運、全く歌えないのに無視せずに励ましてくれた。身近に洋楽カラオケの会ができたことも運がついたからだ。日本中探しても私に歌わしてくれる会はないと思う。運がいい時は次々と良いことが続く。

私はいろいろやって、全てに見放されたて無趣味になってしまった。空想の中で歌って踊って楽しんでいた。現実には身体が動かないので踊るのは諦めた。しかし、口と心はまだ元気なので、これからも歌いたい。

2年間で3回入院した。暇な時間は歌を聴いていたら、自分の歌とは随分違うなと思った。退院してしばらくして歌って録音して聴いてみた。余りにも酷いので思わず笑ってしまった。すでに82歳、何とかしようと思ったがどうにもならない。でも楽しみたいので独自の練習方法を考えた。

道具はパソコンと操作が簡単なICレコーダーだけ。画面を見ながら歌って、録音を聴く。これを7曲1回ずつ繰り返す、合計45分の練習を毎日することにした。効果は不明だが、遊び半分で楽しいから続けられる。そして、自分でいいと思った3曲を恒例の洋カラ会で歌うことにした。

そのカラオケ会は私にとって唯一最高の晴れ舞台。外国語で歌う決まりが有難い。日本語でもいいよと言われたら決まりが悪くて英語では歌えない。それに、音痴で口が回らないから日本語でもダメなのだ。

入退院を繰り返し、今はリハビリをする身だ。毎日1時間の散歩も冬は厳しい。整形外科医院のリハビリも退屈で面白くない。補聴器のトレーニングは始めたばかり。やっぱり洋カラが一番楽しい。呼びかけてくれる人がいるから参加できる。とても有難いと感謝している。

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2023年1月8日 札幌コンサートホール・キタラで成人式。
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2022年12月31日

ペットになりたい

「私たちの将来について大切な話があります」
は〜い!
「そんな大きな声を出さなくても聞こえます」
「洗濯機に返事したんだよ」
「私の話と洗濯機の自動音声とどちらが大切ですか」
「洗濯機に決まってるでしょ」

なるほど、言いたいことは分かる。洗濯機は毎日働いているのに私は何もしないで、汚れ物を出して食べて寝るだけだ。それではいけない。遅まきながら変わることを決意した。洗濯機や炊飯器にも負けない役立つ人間になるのだ。決心はしたものの私に何が出来るだろうか。不器用で体力もない、しかも病み上がりである。

お母さんは毎日3度の食事を用意して、洗濯に掃除、病弱の私に合わせて巣ごもりまでしてくれている。今までの様に威張らせてあげて、言うことを聞くだけでは足りない。私も役に立つ人にならなければいけない。出来ることとは何か? 一生懸命考えたら直ぐ分かった。食事の支度である。

「私も食事の支度を手伝いたいと思います」
「狭い台所に二人もいたら邪魔だからいいよ」
「私が一人で作りますから、テレビでも見ててください」
「絶対に嫌! 何を食わされるか分りゃしない」

そう言えば、退職直後、一週間交代で食事の支度をすることにした。一週間どころか、三日で止めさせられた。
「あの頃は嫌々やっていました。反省しています」
「あれで懲り懲りだよ」
「今度こそ心を入れ替えて… 」
「からだ丸ごと入れ替えなけりゃダメ!」

それでも、お母さんのために役に立ちたいとの思いは変わらない。そして、ペットになることにした。以前、猫を飼うことを提案したことがある。そしたら動物を飼うのはアンタ一人でたくさんだと断られた。ならば私がペットになろう。お母さんには癒しが必要だ。本当は素晴らしく気立がいい人なのにギスギスしている。

私がペットになる以上、ご主人様に忠実なだけではいけない。犬猫並みでは人としての誇りが許さないのだ。人間にしかできないことでご主人様のお役に立ちたいのである。家事が苦手な点では本物のペットも私も同じだ。一生懸命考えたら私には一つだけ彼らより優れた点がある。それは言葉、私が日本語を話せることである。

1日にご主人様を3回は言葉で笑わせる優れたペットになりたい。極めて難しい課題だが犬猫ペットに差をつけるとすると、これしか無い。それに私は言葉遊びが大好きだ。といっても得意ではない。しかし、好きなことをやり続けることは健康に良い。これだけは確かだ。

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ところで、私の言葉遊びも一区切り。そう思うとトイレに行きたくなった。便座の蓋を開けてビックリ! 出された物が鎮座していたのだ。レバーを押して一挙に解決。今日は大晦日、気持よく水に流そう。来年も楽しく静かに暮らしたい。
タグ:楽しい我家
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2022年11月26日

一人でペッタンコ

二人だけの朝食は、いつものようにテレビを消して話しながらとる。消化に良いといわれているが逆の場合もある。最近はほぼ巣ごもり状態で人に接する機会が少ない。どうしても、事件や社会問題が話題の中心になる。これがいけなかった。見解の相違でケンカになる場合が多いのだ。

「救急車で病院に連れて行かれても、帰りが大変だよね」
「命が危ないのに帰りの心配するのですか」
「入院できなかったら大変でしょ」
「なんとかなりますよ」
「病気なのに可哀そうでしょ」
「タクシーを呼べばすむ事です」
「夜中でタクシーは来ないのよ」
「救急車は負傷者や急病人を病院に運ぶ為にあるのです」
「困っている人を助けたっていいじゃない」
「救急車の仕事ではありません」
「なによ偉そうに。もうペッタンコしてやんない!」

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河川敷なぜか一人でペッタンコ淋しくないの土曜日の君
何が気に入らないのか、もう貼り薬をはってくれないと言うのだ。散々な朝ご飯になってしまった。その日は体調が良いので、久しぶりに部屋の整理をした。休み休みの作業だが、夕方になると腰が痛くなった。

「腰にこれを貼ってくれませんか。手が届かないのです」
「貼って上げないって言ったでしょ」

おや、覚えている。意外に執念深いなと思ったが、心配はない。私には奥の手がある。「ハリハリ失敗作戦」だ。自分で貼って、失敗するところを見せれば、テキは我慢ができなくなって、口を出したり手を出したりしてくるに決まっている。善は急げ、さっそく実行。

「なにやってんのよ、あんた! もったいないじゃない」
「ごめんなさい、又失敗。今度こそ上手くやります」
「もう、いいよ」
「何がですか?」

こうして作戦は成功したが、貼り薬2枚の損害をこうむった。クチャクチャにくっついて、使用できなくなってしまったのだ。不幸なことだが勝利の陰には尊い犠牲がある。

ところで「一人でペッタンコ」という製品がある。背中など貼りにくい部分にも、ひとりで湿布が貼れるそうだ。税込1025円だが、不器用な私では使いこなせないと思う。やっぱり貼ってもらいたい。
タグ:楽しい我家
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2022年10月22日

3年ぶりのカラオケ

久しぶりに洋カラ(洋楽カラオケ)に参加したが、とても楽しかった。何となく歓迎されているような気がしたからだ。何故か、80過ぎたら自分にとって都合良く考えられるようになった。陰気な人から呑気な人に変わったようだ。

カラオケ会場は新しくて綺麗だった。装飾も洒落ていて、正面の壁全面がスクリーンになっている。オマケにソファーも座り心地が良い。ゆったりしたスペースがあり、自由に動けて居心地がよい。マイクも専用で使い回しがないのも有難い。新しい会場の印象はとても良かった。

久しぶりの洋カラだが、以前は男性が多かったのに、今回は女性7人、男性6人の参加だった。そして、以前に比べて華やかな感じがする。多分私が最高齢と思う。幅広いジャンルは変わらないが、新しい歌が多くなったような気がする。

こんなことを書いていたら、タイミング良く、所属するシニアネットのメーリングリストでカラオケについての投稿があった。参考のため抜粋させていただいた。

カラオケで歌う事で、脳の活性化や心身を安定させる。効果が医療機関で音楽療法として使われてるそうです。
歌う事で、口の中や周囲の筋肉が鍛えられ、誤飲防止になり、又ストレス発散に繫がり、免疫力UPに繫がる。
歌詞を暗唱し、人前で歌う事で、緊張感が増し、脳に刺激を与え、認知症防止に役立つようです。
「元気が出る・気分が晴れる・免疫力UPで認知症防止!」
Sシニアネットには「カラオケクラブ」があり、「心身ともに健康で、仲間と心の交流を深める」とあります。
(以上、SSNML、Oさんの投稿より抜粋)

そして、「皆さん参加しませんか」と結ばれている。私もそのような気持ちで65歳の時カラオケ会に参加した。80歳を過ぎたら、何が出来ないとか悩むのは止めた。仕事も苦手だったので人一倍一生懸命にやった。歌も苦手だが一生懸命歌えば楽しいし、自分の健康にも良いと感じている。聞き苦しくなければ幸いだが、果たして?

なぜ英語の歌を歌うのかと聞かれたことがある。下手なのに何故と言うことらしい。何にも答えられなかったが、ブログには書ける。英語が好きだからである。好きだけど日常会話もできないので歌っている。どんな形であれ好きならば口にしたいものだ。

私は好きなのに出来ない人。そのような存在を世間は認めないと思う。ファイターズが大好きと言いながらキャッチボールも出来ない人もいる。なぜ歌とか英語ではダメなのだ。何も分からないで楽しんでいる。 (^-^;) ゴメン

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いろいろあって家では歌えない。河川敷は広くて一人になれる場所だ。見通しがいいので周囲に人が居ないことも一眼で分かる。ここが私の専用ステージ。向こう岸を見ればダイサギが1羽。こちらを見ている、聴いているのかな?
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2022年09月17日

幸せのスーパーメロン

ドラマを観ていると、こんなシーンによく出会う。男が女に「僕は貴女を必ず幸せにします」とか言っている。ずいぶん安っぽいセリフだ。私が幸せになるのは簡単だ。美味しいメロンが4分の1個もあれば充分である。

しかし、メロン4分の1で誰もが幸せになれると思ったら大間違い。そこまでに至るプロセスが肝心だ。大まかに振り返れば3年間だが、長すぎるので直近の3ヶ月の記憶をたどった。その頃、ある治療の副作用で味覚障害になり、口の中も粘膜炎で痛かった。それでも食べなければ体が持たない。
詳細→放射線治療、自宅→入院→自宅

生きる為に一生懸命食べた。痛くては食べられないので口の麻酔をしながら1日3食を完食。それを見た看護師さんが「カロリーが足りないので食事を増やしましょう」と言った。私の我慢は限界に達していたので、1階のコンビニで買い食いするからいいと断った。そうしたら、毎食後にプリンを付けてくれた。
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これを口に含んでブクブクすれば、口の痛みが和らぎ食事が出来る。

ところで定年後、4回入院したが病院の食事だけで済ました。食事も治療の内と考えたからだ。今回初めて、栄養補給のために買い食いをした。先ずはケーキと饅頭、すごく不味かった。病院の食事より格段と不味い。ジュース、チョコ、果物の缶詰、色々試したが全部不味くて、2度と食べる気がしなかった。

やっと見つけたのが、牛乳とソフトサラダと言う名の柔らかい塩せんべい。旨くはないけれど嫌な味もしなかった。ソフトサラダはカリカリという感触が好きだった。ご飯も薄切りの食パンも味がない点が好かった。本来の味はあるのだが私には感じない。つまり、食事をして美味いと思ったことはない。

退院して1ヶ月半もすると、味覚が徐々に戻ってきた。2ヶ月たったころには90%程度回復した。なぜか、お茶と高級ジュースは渋くて不味かった。高級なものほど回復が遅いのだ。ともかく、味覚回復は普通6か月、長い人は1年と言われていたのに2ヶ月でほぼ回復した。1年もかかった人は、私と違って食通だったと思う。世の中何が幸いするか分からない

味覚障害とは味を失うことでなく、美味いものを食いたくなくなるほど不味くすることと知った。舌癌手術後にした鼻から胃袋にチューブで栄養を送る方が楽だった。だけど、苦あれば楽ありとは本当だった。

味が回復して初めて食べたメロンが美味しかった。「幸せだなぁ、僕はメロンを食べている時が一番幸せだ」と心から思った。この幸せ感がなんとも言えない。幸せになるのは簡単だ、美味しいものを食べれば良い。

「メロン食べて幸せになりました」
「夕張メロンかい」
「スーパーメロンです」
「聞いたことないなぁ、高いだろう」
「ええ、凄く高かったですよ。安売りなのに1280円もしました」
「そうかい、どこで買ったの?」
「近所のスーパーです」
タグ:札幌
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2022年08月06日

普通の人になりたい

「早く90歳になりたいですね」
「ヨボヨボになっても生きたいのか」
「今だってヨボヨボですが、楽しいですよ」
「そりゃ良かったね」

食欲など命を繋ぐための欲は色々あるけれど、美味いものなど金を出せば何時でも食えるし、他の欲だって爺さんになればパッと消え去ると思っていた。ところが、これが大間違い。食欲だけがパッと消えた。しかも、一瞬の内に。

放射線治療の副作用はいろいろあるが、私の場合は味覚障害と口の痛みだった。この二つが重なると食べるのが苦痛になる。腹が減るので食欲がない訳ではないが、食事は生きるための仕事になってしまった。

考えてみれば不思議な巡り合わせだ。45年間食うために仕事をして来た。定年退職したら途端に幸せになった。そして、20年たったら食事が仕事になってしまった。食わなければ生きては行けないから、最も重要な仕事になった。

怠けの罪で罰を与えられた様なものだ。味覚障害は6ヶ月の刑、比べてみれば、口の痛みの刑期は短かい。一方、しつこい味覚障害にも仮釈放がありそうだ。仕事ぶりが認められたからだ。「ワッ、凄い完食!」と毎食後、看護師さんに褒められた。私は模範囚ならぬ模範患者?

担当の医師は長い人は1年かかると言った。私は既に何不自由なく食事をとっているが、美味しくはない。この口に美味しいものを食べさせるのは勿体無い。お金もね。楽しみは3ヶ月先の私の誕生日までとって置きたい。後3ヶ月で完治と自己診断。先が明るいことも幸せの元である。

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病院で出会った唯一の友達、亡き妹に似て美しい。

「後8年で90歳、失われた過去を取り戻したいのです」
「取り戻して、どうする?」
「普通の人になりたいですね」
「そういえばアンタ、どこか変だ」
自分の思い通りにふるまっても、道に外れることがない様な人になりたいのです」
「もう遅いだろう」
「いえいえ、今が一番早いのです!」

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2022年07月23日

放射線治療、自宅→入院→自宅

サンマが一匹13,200円と聞いてビックリ。突然、昔の流行歌を思い出した。今日もサンマ、明日もサンマ、弁当のおかずもサンマ、サンマ、サンマ♪。今の自分は3年間入退院の繰り返しだから、 今日も病気、明日も病気、ビョッキ、ビョッキ、ブログの話題も病気♪ てな感じ。副作用で味覚障害、食いたいものが無くなった。それでも人生は楽しい。

前途に希望が持てるからだ。半年すれば快復するので、その日を楽しみにして一生懸命食べている。入院中は口が痛くて味がないので、医師に人工栄養を頼んだら断られた。その代わり、口に含んでブクブクする短時間麻酔をもらった。まともな味がしないのだから、口が麻痺していても差し支えない。お陰で、1日3食完食!看護師さんに褒められた。

放射線治療は全部で30回、半分程度は通院、副作用が激しくなる後半は入院した。面会禁止の病室で寝てばかりいては退屈なので、院内散歩をした。

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病室は5階だがエレベーターで上がって、12階からの風景を楽しむ。左を見れば街並み、右側は山々。いつもベットの周りをカーテンで仕切った狭い世界で暮らしている。ここに来れば広い世界を見て気分転換ができる。

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夜は無人の1階で水族館気分を味わう。日中は混雑している待合室も夜は無人、近寄るとサカナたちは寄ってくる。面会禁止の私は寂しい。水槽に閉じ込められたサカナも寂しそう。私たちはは気が合うようような気がして、お互いに心震わせている?

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「ひまわり分校」の小中学生が描いた作品。当分校は、ある札幌市内小・中学校の病院内分校。入院中の学習指導、仲間と学習で心の安定、学習意欲の持続を図る病院内学校だそうだ。81歳の私にとっては、こんな学校があったのかと驚いたり、感心したり、幾つになっても新しい発見がある。

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案内表示があるから歩き回っても迷子にならない。この病院は大きくて、闇雲に歩いていると自分の病室に帰って来れない恐れがある。

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温室を抜けると中庭に出られる。そこは外気に当たる唯一の場所。この病院は散歩するには、もってこいなのに外出禁止。中庭に出れば上を向けば青い空と白い雲が見える。外の空気は清々しい。患者が外気に触れられる唯一の場所なのに空いていた。知らない人が多いようだった

放射線治療が終了して一週間は副作用のピーク。その後、治療薬をボストンバックがいっぱいになるほど持って退院、在宅療養に入る。病室が自宅に変わっただけだった。

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放射線治療で荒れた肌を快復するローションをいっぱいもらった。散髪に行ってもヘアカット・オンリー、使って良いのは石鹸と、このローションだけ。

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これを口に含んでブクブクすると短時間の麻酔がかかる。1日3食3回使うのですぐに無くなってしまう。5本もあると結構重い。通院中はタクシーで持ち帰った。

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その他、痛み止め、うがい薬、荒れた肌に塗る軟膏など両手で抱え切れないほどもらった。

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極め付けは人工唾液、口が乾いたらシュッシュとやればツバキが入る。喉が乾くのも副作用の一つ、年がら年中、夜中に起きてもカラカラだ。昼は水を飲むが、夜はシュッシュで間に合わす。欠点は変な味、副作用のせいだと思う。

私は無職で旅行もしないでノンビリ暮らしている。病気のお陰で思わぬ体験ができた。人工唾液、こんな便利なものがあるとは夢にも思わなかった、新発見がいろいろあるのも病気の楽しさだ。苦しい時、痛い時は必死に耐えていて、不幸とか思う余裕がない。結局、いつも幸せである。
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2022年05月28日

なるようになる

最近2回のブログでは、楽しかった退職直後のことを書いた。なぜか懐かしくて、とても良い気分転換になった。過去の良き思い出と未来の希望の間で心が揺れている。それでも私は「幸せ本線」に乗ったまま、なかなか不幸せにはなれない。先のことを心配してクヨクヨする苦労性から、土壇場になるまで気付かないノンキ者に変わったのだ。人間とは上手く出来ているものだ。状況次第で幾らでも変化する。

5月16日から放射線治療に入った。毎日照射して土日は休み、全部で30回の照射で6月24日が最終回となる。副作用のピークは照射終了時から一週間後ぐらいと聞いている。そうすると退院は6月下旬から7月初旬辺りと思う。現在は通院中だが、6月2日から入院することになっている。照射15回目くらいになると副作用が激しくなるそうだ。

照射を終了してから数ヶ月間が、組織回復の最も大事な時期だそうだ。ケアや生活上の注意事項を継続する必要がある。例えば、タバコは一生禁止。これは大丈夫、タバコを止めて30年以上経つ。飲酒は数ヶ月間禁止、これはちょっと長いかな。忘年会も新年会も自粛だ。飲まないで参加する人も少なくないが私には無理、酒に弱く意志も弱すぎる。

先日、息子夫婦が自宅に見舞いに来てくれた。嫁さんが「退院したら温泉でゆっくりして下さい。プレゼントします」と言ってくれた。お言葉に甘え、一泊で良いから予算はタップリと注文も付けた。ニコニコして「楽しみにして頑張って下さい」と言ってくれた。それなのに、最近になって温泉は照射終了後、数ヶ月間は禁止と知った。結局、プレゼントは自宅にクーラーを付けてくれることになった。

放射線治療の副作用として、口の渇きや味覚障害などは半年から2年程度にかけて徐々に改善するそうだ。ずいぶん気の長い話だ。しかも、100%元に戻ることはないと言う。残念ながら、温泉に行けるのも、適量の酒が飲めるのも年が明けてからである。

照射終了後、しばらくは毎週診察、そして1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月、1年、その後半年毎の定期受診。放射線治療科医師が確認するまで診察と検査は続く。高齢の私にとっては一生、癌と二人連れで過ごす感じだ。それでも楽して、ノンビリ幸せに暮らしたいと思っている。願っていれば、何となくそうなりそうな気がする。ともかく、土壇場になるまで気付かない。そうするしかない時は、そうなるから有難い。
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2022年05月07日

心に太陽を持て

スポーツもゲームもできないし、車も無いし旅行する気もない。こんな私の唯一の気分転換は、書いて心のうさを晴らすこと。腹に溜まったモヤモヤも嘘のように消えて行く。

ブログは心のうさのすてどころ。酒は涙か溜息か。思わず馴染みの歌詞が次々と浮かんでくる。だが歌への想いは増すばかり。愛されたくて愛したのではない。燃ゆる思いをぶつけただけ。自分の思いのまま文章を書こうと思っても、頭に浮かぶのは歌詞ばかりで、どうにも止まらない!

早いもので癌との付き合いが始まって10年もたってしまった。始めチョロチョロと言う感じで、今は中パッパという気分だ。一時、こんな人生は終わった方が好いと思っていたが、今はもっと長生きしたいと思っている。大して苦しんでいないのだから、こう思って当然だ。3回の手術も私が寝てる間に済んでしまった。

初めて舌癌の疑いを持たれたのは、およそ十年前、かかりつけの歯医者さんが舌のぐあいが変なので口腔内科で診てもらった方が良いと、H大病院に紹介状を書いてくれた。病院では7年間にわたり、大勢の先生が私の舌を診てくれたが、いずれも経過観察、舌の組織を取って調べることもなかった。

状況が変わったのは通院して8年目の2020年1月のこと。舌の疑わしい部分の組織を取って調べたら陰性。ああ良かった、これで病院通いもお仕舞いかなと思ったら、なお疑わしいので別の場所の組織を取って調べると言う。結果はまたもや陰性。疑いは晴れたと安心したのは束の間、更に、舌の一部を切り取って調べなければ確認できないないと言う。

そして舌癌と診断され8月に手術をした。疑いがもたれて8年目、本格的に調べて8ヶ月目に手術は終わり退院となった。八と八とは末広がりで縁起が良いと喜んだ。ところが広がったのは癌の方だった。舌癌がリンパ節に転移したのだ。

手術1年3ヶ月後、今回も転移の疑いはあるが断定はできなかった。PET等の精密検査をを繰り返した結果、癌と診断された。2022年3月25日入院、29日手術、そして4月9日に退院と決まった。今度こそお仕舞いだ。治ったらああしよう、こうしようと楽しいことが頭に浮かんで来た。

病み上がりだから先ずは家でできるオンライン会合(Zoom)から始めよう。外出できるようになっらカラオケだなとか自分なりの予定を立てていた。私が所属しているシニアネットでは各種クラブ活動が盛んだ。そしてZoomでの活動もある。学習会が盛んだが、勉強は苦手なので笑いヨガや落語で笑い、手話で歌って楽しむ。そして体調が戻ったら、いよいよカラオケだなとかワクワクしてきた。

ところが、退院直前に癌が再発する可能性が高いので更なる治療が必要と聞いてガッカリした。再入院も必要だと言う。人生の一番美味しいところを闘病闘病で暮らすなんて勿体無い。治療なんて止めて自由に暮らそうと決めた。緩和ケアも悪くないモルヒネやって安らかに、と思ったら吹っ切れた。

それなのに、日が経つに連れて時々怖くなるんだから嫌になる。優柔不断は死ぬまで治らない。更に考え直して、治療を受けることに決めたらホッとした。私は決断のできない人。こんな自分が面白いと感じ思わず笑ってしまった。

考えてみれば、私は運が良い。先生方は丁寧に調べ尽くして癌を見つけてくれた。もし、見つかっていなかったらどうなったかは私でもわかる。今回も肉眼で見えない癌の種を顕微鏡で見つけてくれた。そして、放射線で焼いて根治してくれると言うのだ。こんな有難いことはない。唇に歌を持て心に太陽を持て(ツェーザル・フライシュレン)

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2022年04月30日

秋が楽しみだ

2020年の年明け以来、ウィズ・ガン。癌と二人連れだ。こんなヤツとは縁を切りたいのにピッタリくっ付いて離れてくれない。2020年8月には舌癌の手術。これでお別れかと思ったら2021年末にリンパ節に転移の疑い。今年3月29日に手術、今度こそお別れと思ったのに、なお癌の虫が蠢いていると言うのだ。放射線で焼き殺してあげると言われても、ハイそうですかとは喜べない。いい加減にして欲しいのだ。

私は20年以上の長期にわたり「幸せ本線」にに乗っている。時々喜怒哀楽、いろいろ感じることはあるが、それは本線の停車駅のようなもの。不幸せがあっても短時間で過ぎて、再び幸せ本線を走り続ける。しかし、今回の「哀」は停車時間が少々長かった。前方に大事故があるような感じだ。

退院が決まりホッとしたとき先生は、更なる治療が必要だが、私の同意が必要だと言った。「エッ! まだやるの」、これが偽らざる思い。手術を終えたばかりで、後遺症で首から顎にかけて切った部分が腫れてバンバンだ。更なる治療とは撃ち漏らした癌の種を放射線で焼くというものだ。1ヶ月半にわたり30回の治療が必要で、後半は喉が痛くなり飯が食えなくなるので入院が必要とのことだ。退院したら直ぐ入院と聞いてガッカリ。

思わず血の気が引いて寒気がした。念のため、断ったらどうなるか聞いてみた。最終的には緩和ケアということになるが、ウチの病院ではやっていないので、H病院を紹介する。今までのデータを付けた手紙を書いてくれると聞いて、それもいいかなと思い、不安は吹っ切れた。しかし、結論は先延ばし。先生は奥さんも含め3人で話し合いたいと言う。

なぜこんな問題で私が迷うかと言うと、もらった文書「病状説明と今後につきまして」にある次の文言が気になった。そこにはこう書いてあった。「*術後治療をしない選択をしても再発しないで過ごせることもあるし、治療をしても再発することもあります」。これだったら、残りの人生は楽しく生きて、寿命が尽きるのを待つ方が好いと思ったのだ。

その後、お母さんを交えて3人で話し合いをした。お母さんは放射線治療を受けた人は、その後どうなったのかと、先生にしつっこく聞いた。先生は元気に生きている人が多いですよと言った。二人のそんなやりとりを聞いているうちに、放射線治療を受けるのも良いかなと思い直した。そして、「お仕舞いにしましょう」と思った時と同じ様にホッとした。

と言うことで、少なくとも後3ヶ月は癌と二人連れ。28日に事前の準備として歯を抜いて、放射線治療に必要な仮面(シェル)を作った。歯は落ち着くまで抜いたまま、顎から肩にかけて右側の首に傷、床屋も行けないし髭も剃れない。

笑えばひん曲がった口に歯が抜けている状態では、人前には出る気もしない。楽しみは秋までお預けだ。幸い今はマスクをするのが常識の時代。マスクと帽子で顔は隠れるので中島公園散歩だけはできる。コンビニも百円ショップにもね。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(2) | 80歳以降

2022年03月24日

更新休止のお知らせ

「アハハッハー、ひん曲がった笑いだって。どんな顔するんだろう。面白いね」。この陽気さには何時も救われている。思わず私も笑ってしまった。先生は「後遺症で口が引きつるかも知れません。笑う時とか… … 」と言っただけだ。お母さんにかかると何もかも笑い話になってしまう。

現在の状況を暇に任せて考えてみた。私は幸福という名の電車に乗っているような気がする。リンパ節癌とか言われただけでは不幸になれない。依然として幸せのまま笑って暮らしている。「土壇場駅」に着くまで、この感じは続くだろう。そこで初めて苦しみ、ジタバタするのだ。しかし、終わってしまえば直ぐにでも、幸せに戻るに違いない。

遠い過去を振り返れば不幸という名の電車に乗っていた感じだった。その頃でも楽しい時も嬉しいこともあったが、直ぐに不幸せに戻ってしまった。幸不幸はどちらも長期に及ぶもの、そして喜怒哀楽は短期に留まるものと思う。いずれにしろ、一旦幸せになったら簡単には不幸に戻れない。

PET検査による画像を見せてもらったが、鮮明でとても綺麗だった。ガンの部分がキラキラと輝いていて美しい。私の体の一部だが間もなく切り離されてしまう。本体より先に天国に行くのだろうか。小さな星になって夜空に輝くのかも知れない。医学は天文学に似ている。分からないことが多すぎて、空想の世界を無限に広げて行くことができる。

一昨年の8月、病室から手術に行くとき「全身麻酔すると、綺麗な幻影が見えるから楽しんで来て」と励まされた。しかし、見たのはストレッチャーが猛烈な勢いで走り、手術室や廊下の風景が、車窓から見る風景のよう流れていただけだった。今度こそはと期待している。手術時間が前回の3倍だから、きっと美しい幻影が見られると思う。

「私が逝ってしまったら、良い人を見つけて… … 」
「冗談じゃない! オトコはアンタ一人で懲り懲りよ。毎日三度の飯を食わして、掃除して洗濯して、トイレ汚してもそのまんま。オマケににケチくさい… …  」
「はいはい、分かりました。こちらを見て下さい」
「なにそれ?」
「私が密かに溜め込んだ財産目録です」
「エッ! アンタただのケチンボじゃないんだね」
「どうぞ、心置きなく一人暮らしを楽しんで下さい」

こんな事情でブログの更新はしばらくお休みにします。又、良くなったら再開したいと思います。カラオケにも久しぶりに行けるのではないかと楽しみにしています。Zoomでの手話や笑いヨガは、リハビリ中でも参加出来るので有難いですね。皆様との再会を楽しみにしているので、よろしくお願いいたします。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(3) | 80歳以降