2022年09月24日

女性が羨ましい

昔、近所の病院に入院したが、患者どうしは仲良くやっていた。しかし、一人になりたいと思うこともある。そんな時は休養室に行って雑文の下書きをしたりしていた。コッコッと足音がするので反射的に顔を向けると目があってしまった。思わず、ニッコリ笑い挨拶を交わした。これがキッカケで年配の女性の愚痴を聞くはめになった。

「私、何の為に一人でガンバッテきたのでしょうね」
彼女は定年まで働いて、その後は新築のマンションを買って一人暮らし。夫は64歳の若さで亡くなったと言う。
「主人は貴方に似て前ハゲなの。何だか懐かしいのよ」
「そうですか」
軽く聞き流すふりをしたが凄く嬉しい。
「この歳で初めて入院したの。上と下が悪くてね」
「上と下ですか?」
「吐き気と下痢よ。こんなにやせちゃった」
「お若いのに大変ですね」

「甥に篠路の老人ホームみたいな所に連れて行かれたの」
「一緒に歩いていた方ですね。お子さんかと思いました」
「子供はいないし、迷惑かけられないから入らなければね」
「まだ若いから気が進まないでしょう」
「今まで一人で頑張って来たからね」
「ホームでのんびり暮らすのもいいかも知れません」
「寂しいよね」
「寂しいですね」
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「何か書いていたのでしょ。邪魔して悪かったね」
「いいんですよ。暇つぶしですから」
「話したら、なんだか気が晴れたわ。ありがとね」
「それは良かったですね。叉、話しましょう」
これでお別れと思ったが… … 
「あらっ! なに書いてるの。ちょっと見せてよ」
「嫌ですよ! 日記ですから」

親切な女性には敵わない。断ったのに、近寄ってのぞいた。
「なんかよく分からないねぇ」
「字が下手ですからね。ワードを使って書き直します」
「この字違っているよ。直してあげる」
「いいですよ。後でワードが直してくれるから」
「ワダさん?」

タイミングよく、休養室に年配の女性が入って来た。
「お友達みたいですよ」
「入院したばかりで、話し相手がいなくて寂しいんだって」
「そうですか」
「話し終わると、話してくれてありがと。とお礼を言うの」
と、言うが早いか私を置いて、お喋りに行ってしまった。

二人の女性は昨日会ったばかりというのに、まるで10年来の親友のようだった。こんなこともあって、書く気もなくしたので、病室に帰り隣のベッドの人に声をかけた。
「女性は素直に自分の気持を言えるから羨ましいですね」
「あんたもそうすればいいじゃないか」
「話し相手がいないから寂しいの、なんて言えませんよ」
「もっと気軽に、調子はどうかいとか言ってみな」
「調子はみんな悪いんですよ」
「みんな?」
「病人ですからね」

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2022年01月22日

浅知恵

世の中は思い通りには行かないものだ。一生懸命調べて考えたのに、悪知恵と一蹴されてしまった。

定年退職して家でブラブラしていた頃、ある新聞記事が目を引いた。見出しはこうだ、「妻が怖くて退職言えず…」「生活費稼ぎの為ひったくり」。当時は妻と二人暮らしで、何かと虐げられていた。他人事ではなく身につまされる記事だった。私だって妻が怖いから働いているフリをしたい。

ならば、給料をもらっているフリもしなければならない。幸い私にはへそくりがある。新聞記事の男みたいに「生活費稼ぎの為ひったくり」などをする必要はない。使いきったら失業したと言えば済むことだ。何よりも「仕事しています」と言う雰囲気を出すことが肝心だ。

先ずは就業規則だ。勤務時間は10時から16時、週休三日制、年次休暇は50日。こんなものでどうだろう? これで規則に基づいて働いている感じが出てくると思う。役職は課長ぐらいにしようかな。時には上司に言われて仕方なく、と言えるような歯止めも肝心だ。何から何まで自由では「働いている感」が滲み出てこない。

名刺は業者に頼む、パソコンで作ったような名刺では課長の貫禄が出てこない。給料明細書はパソコンで作れる。幸い私はプリンタを持っていない。妻はネットプリントでコンビニで出力とは夢にも思わないだろう。ネットでもらった暗証番号をコンビニの多用途プリンタに打ち込めば、20円で明細書が印刷される。経費としては安いものだ。

大切なのはオフィスだ。これがなくては折角用意した課長の椅子の置き場がない。実は耳寄りな話があった。ある人が事務所に借りたワンフロアの半分を自分が使用して、残りを又貸している。6脚の事務机があって、事務机1脚分の場所を月9500円で貸してくれる。電話の取次ぎもしてくれるし、郵便物なども各机ごとに振り分けてくれる。しかも、一階が喫茶になっているので、お客様の応接も出来るのだ。

これなら名刺に固定電話の番号も入れられるし、住所も世間に知られた伝統あるビル名を使える。勤め先オフィスとして、充分機能するのではないか。長年連れ添った妻を騙すには最低限、この程度の準備は必要だ。

新聞記事の男は、妻が怖くて退職したことを言えなかった。その気持ちは分かるが、何の準備もしないで働いているフリはまずかった。それが「生活費稼ぎのためにひったくり」に繋がったのかも知れない。配慮が足りなかったと思う。

「友人の友人が机を一つ借りていて、趣味のサークル活動の事務局として使っているそうです」
「何を考えているのか知らんが、働きたいのなら真面目に働け。働いているフリなどとんでもない!」
「友人の友人が4月の(本職)移動で地方に転出するそうです。そこを借りられればオフィスの問題も一 挙に解決して、憧れの『仕事』ができるのです。楽しみですね」
「アンタは人の言うこと、何も聞いてないね」
「奥さんが怖くてひったくりなんて可哀想ですよ」
「俺は悪知恵が働くお前より、ひったくり男が好きだな」
「そうですね。私もです」
タグ:楽しい我家
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2022年01月08日

やめましょう

1月4日に4回目の検査を受けたが、結果は変わらないので専門家の判断に委ねることになった。現在の状況は癌転移の観察を続けるか、手術をするか二つに一つ。結果は近日中に出る予定。ブラブラしているのも勿体ないので、少しでも病状回復の為、私に出来ることはないか聞いてみた。

先生は「普段通り生活していて結構です。癌を早く見つけて直ぐに手術することが第一です」と言った。しかし、私が普段通りに出来ることは食べて寝る事。そして20年近く続けていて、習慣になっている公園散歩と、ブログやホームページの更新だけ。他のことにはなかなか手が付けられない。

一年の計は元旦にあるというけれど、元旦は何となく過ぎてしまった。新年の抱負は書き損なったので、似たようなものを書くことにした。一応、現在の気持ちを素直に書いたつもりだが、これで良かっただろうかと自問している。

気分転換に独りよがりの老人会を考えてみた。世の中は金と才能のある人に支配されている。そして、彼等が自分の基準で才能ある人を選んでいる。何とかしてこの基準を変えたい。もし無能な人が世の中を支配すれば変えられる。良し悪しは別として変わる。怖い感じもするけどね。

新基準が出来れば、音痴の人にレコード大賞(の様なもの)を与えることが出来る。悪文の人に芥川賞(の様なもの)も与えることが出来る。不可能なことも可能となるのだ。なぜ、老人会かと言うと、自分が無能と見極めるには永い年月が必要だからだ。私は50年もかかった。

それに、老人だから末永く吹きだまってもらえる。若者だったら進歩して去ってしまう。だから、才能がなくても認められたい老人には、今と違う基準が必要だ。無能な老人は団結して新しい基準を作るべきである。世の中は1%の天才と9%との怠け者と90%の真面目だが報われない人で構成されている。民主主義国なら多数決が機能するはずだ。

試みに、無能老人会の決まりを作ってみた。
1.入会資格
  しょうがない人、一度も賞をもらえなかった人
2.対象作品
  意見、川柳、絵、写真、その他メールで送れるもの
3.表彰の決まり
   種 類:むいみで賞、むなしいで賞、やめま賞
   審査員:当分の間ボク

「なんだ、これが新年の抱負か。ふざけるな!」
「抱負のようなものです」
「意味がないだろう」
「むいみで賞、もありますよ」
「バカバカしい」
「笑って暮らしましょう」
「むなしいねぇ」
「そうですね、やめま賞」
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2021年08月21日

消えた鯉10--私の夢

フィクションとは、一般には「事実でないことを事実らしく作り上げること」 。作り話も、その一つだ。ところで、事実だけに拘ると真実を語れないことがある。

例えば、SP市N公園S池に鯉が初めて放されたのは明治23年(1890年)。それから116年たった2006年の春、池の中の鯉が一匹残らず消えていた。にも拘わらず、当局の発表もマスコミ報道もなかった。

だが私は鯉全滅の一部始終を知っているつもり。しかし、事実とは証明できないので「作り話」として書いた。カテゴリ:フィクションをクリックすると10話まとめて表示される。見たこと聞いたことの隙間は空想で埋めた。

ところで、ここから先は実名表記で書くことにした。事実だけを書くのでフィクションにする必要がなくなった。と言っても私が見た事実であり、思い込みも含まれている。

消えた鯉を再び見たのは、全滅以来2年半ぶりの2008年6月だった。豊平館前の池、西側で約10匹の鯉を見た。
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鯉の全滅は突然だが、現れたのも予告なしだった。

半月ぐらいは、ほぼ同じ場所に居た。その後アチコチで見られるようにになったが、豊平館前の池、西端に居ることが多かった。日本庭園でも見かけたが、菖蒲池ではたまに見られる程度だった。池が大きいので遠くが見えない事情もある。

このような傾向は去年まで続いたが、今年はかなり変わった。菖蒲池で見ることが多くなったのだ。その分、豊平館前で見る機会は少なくなった。次の2枚は菖蒲池で撮影。
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2005年までの鯉は菖蒲池の底で越冬していた。豊平館前の池は水深が浅く越冬できないと思う。全面的に干上がることが、よくあった。動物の生態など殆ど知らないが、この池で鯉が越冬できないことは、池の底を見て分かった。
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2008年以降、一番多く鯉が見られるのがここだった。

ところで、すすきの鯉放流場のことだが、毎冬、鯉を養鯉業者に預けていた。費用も掛かるので、鯉を越冬させるため川の中央を掘り下げる工事をした。
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以後、すすきの鯉放流所の鯉は越冬している。越冬のためには、ある程度の水深が必要なことが分かった。

浅はかな考えだが、今の鯉はいつの間にか2005年以前のように菖蒲池の深い所で越冬するようになったと思う。越冬中は何も食べていないので、池が融けて水温が上がると、鯉はエサを求めて泳ぎまわる。そして行き着いたのが豊平館前の池。ここは行き止まりで、しかもエサがある。濁っていてゴミだらけだから、なんとなくそう考えたのだ。
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鯉は10年以上もエサを求めて池の中を泳いでいる内に、エサはいろいろな場所にあることを学習した。そして、あちらこちらに行くようになったのだと思う。

鯉が2006年の春に全滅したのも事実、2008年6月に再び姿を現したのも事実である。しかし、数が少なくて生息し続けるか心配だ。私の夢は菖蒲池で越冬した鯉が春には産卵をして命をつなぐこと。このような、自然の営みが中島公園で行われれば、素晴らしいと思う。
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2021年06月26日

消えた鯉9--再会

2008年6月23日9時19分、これは私が豊平館前の池で2年半ぶりに鯉を見た日時である。その時なんでこんな所でと不思議に思った。そこはN公園内の池で一番水深の浅い所で、水不足の時に一番先に干上がる場所だった。
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ある日、突然の水枯れ。2009年4月10日撮影

この池で越冬したとは思えない。どこからどうやって来たのだろう。2年前に全滅した筈だが生き残りがいて、10匹が豊平館前の池にたどり着いた? とは考えられない。

誰かが鯉を放流したのだろうか。私は2年間以上にわたり池に生き残りがいないかと、毎日のように確認していた。それなのに一匹も見たことがないのだ。七百回以上は注意深く三つの池を見て歩いた。だから、全滅以前のように鯉が池の底で越冬していたとは信じられなかった。

こんな状況だから、鯉に再び出会って嬉しいと言うよりも不思議でならなかった。全滅の時は何の発表もしなかったので、放流もコソコソと? 思わず邪推してしまった。

2008年6月23日に、突然鯉と再会した時の状況。
朝散歩のとき豊平館前の池西端で沢山の鯉を見た。他の池も見てみたが、急いでいたのでざっと見ただけだ。しかし、S池(一番大きな池)の南西側でも1匹、大きい黒い鯉を見た。一回りすればもっと見れたかもしれない。

12時過ぎに再び行ってみると豊平館前の池に10匹ぐらい居たが、他の池では見られなかった。池は濁っているし、カメラも腕も悪いので全体を捉えることは出来なかった。それでも掲載することにしたのは、この時にこれらの鯉を撮った人は稀と判断したからだ。鯉再会一番乗りかも知れない。

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豊平館前の池、朝散歩の9時過ぎにはもっと多く見られたが、カメラを持っていなかった。

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池が濁っていて見にくいが、拡大してみた。

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近くに来ないと撮れないが、存在証拠写真のつもりだ。

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多い黒い鯉だが濁っていて近くでしか撮れない。

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池の真ん中、動いていたので撮った私は鯉と分かる。

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デンと坐ったオジさんの前あたりに沢山の鯉がいた。

2年以上も居なかった鯉がなぜ姿を現したのか。放流したのを見ていないし、話も聞いたことがない。とても不自然だが、自然にこうなったのかも知れない。

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2021年6月16日現在の豊平館前の池。鯉に再会した2008年から現在まで、鯉が見られるのは豊平館前の池7割、日本庭園の池2割、そして一番大きいS池は、岸から見える範囲が限られるので1割と言う感じだ。生き物の生態は私の理解を超えるので、見たこと思ったことをそのまま書いてみた。
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2021年06月19日

消えた鯉8--推測

後で考えれば、鯉全滅の前兆はあった。2006年初頭、百羽を超えるカモがN公園上空を彷徨っていた。飛んでるカモのせいで薄暗く感じたほどだった。カモ川が氷結して、カモの大群が水場を求め、狂ったように飛び回っていたのだ。

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この異常事態を記憶に残したいと思い、貴重な写真として別に保存した。結局、大事にし過ぎて見失った。手元に残ったのはウェブ用に縮小した画像だけ。1枚の写真に百羽以上写っていたが、縮小したら点になった。一部を切り取ったのがこの画像。やや首長でカモ(マガモ)の特徴が伺える。

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コチンコチンに氷結したカモ川の表面には足跡も見える。

異常事態は新聞社も知ることになり、2枚の写真と共に大きく報道された。「水場消えカモ受難」と言う見出しだった。河川工事の影響で川が凍ったのが原因かも知れない(住民談)と書かれていた。
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画像は2006年1月6日の北海道新聞。参考のため一部分を撮影して掲載。このような事実もあり、私が目にした事実もある。それらを参考に、曖昧な部分は推測して書いてみた。

小さな水場が地下鉄H駅近くのカモ川に残された。そこに群がるカモに気を取られ、S池の底で音もなく進行していた悲劇には、全く気が付かなかった。表面氷結したS池でも水は静かに流れている。流れが止まれば鯉は酸素欠乏死する。工事関係者に生き物についての配慮は、あったのだろうか?
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エサを求めてカモはカモ川の僅かの水場から、地下鉄H駅方面に上って来た。空を飛べるカモには水場とエサを求めて移動する自由がある。一方、氷で閉ざされた池の底では鯉絶滅の危機が刻々と迫っていた。

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温かい時期ならホースで流れる水が少なくても、S池の鯉は生存に必要な酸素を得ることができる。鯉は水面に顔を出し、空気と水を一緒に吸い込むことで酸素を得る。

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しかし、厳冬期になれば話は別だ。果たして、ホース内の水は順調に流れていたか? 鯉全滅の原因は病気等いろいろあるが、当局の説明もマスコミの報道もなかった。2006年春、散歩のオバさんは「酸欠で鯉が皆死んじゃったのよ」と言った。私も2006年と2007年は一匹の鯉も見ていない。

不都合な事実は関係者によって隠蔽される場合も少なくない。人々は大なり小なり、理不尽な事実に遭遇する。それが人知れず消え去ることに、我慢できない。そして、人に話したり書いたりするが、話題が広がることは稀である。殆どの不都合な事実は無かったことにされる。
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2021年05月29日

消えた鯉7--真実

突然起きた2006年鯉全滅事件のことだが、鯉の死骸を見た人がいないのは何故か? 事実は見た人が非常に少なかっただけ。当局の発表はないし、マスコミ報道もないので、何もなかったことになった。

個人がいくら声を大にしたところで、信じる人はいない。私自身も、散歩のオバさんから「鯉が酸欠で全滅した」と聞いたときは、信じられなかった。その後、数日間池を見て歩き、多数から「見ていない」という情報を得て、初めて信じたのだ。普通の人は、こんな面倒なことはしない。

目撃したオジさんは、こうも言っていた。「大きな鯉の死骸がゴロゴロ転がっていたので、ビックリしたが、こんなことは初めてなので写真を撮ろうと思った。家にカメラを取りに行き、戻ったら何もない。この間20分くらいだと思う」。

トラックもゴミ収集車も来ていたと言う。この時期はまだ寒く散歩の人も少ない、20分程度では、偶然通りかかった人数も知れている。片付け作業に気付いたとしても、ほんの数人程度だろう。作業員は関係者だから口が堅いと思う。

都心に近いN公園は通行人が多い。ごみ収集車やトラックが来ていても、通常の清掃作業と思う人がほとんどだ。そばに行って見る人など少ないと思う。もともと通行人は公園の管理作業には無関心なものだ。

状況から推測すると、鯉の死骸や片付現場を見た人は、ほんの僅かに違いない。全員が喋りまくったとしても、彼らの生の声が届く範囲は限られている。しかも信じる人は少ない。関係者が隠蔽できると判断したことも頷ける。

私は目撃者の3人と話したことになる。最初はオバさんから聞いた。そのときは鯉の全滅を信じなかった。次は目撃者のオジさん。記者に連絡しようとしたが、出来なかった。そして死骸を片付けるのを始めから終わりまで見ていたパクさん。87匹まで数えていたけど面倒になって止めたそうだ。しかし、これは事件後2ヶ月たってから聴いた話だ。

その他にも友人を通して、あるデパートの店員が沢山の鯉の死骸を見たことを聞いた。その人を加えると、目撃者の内4人を突き止めたことになる。私が直接聞いた三人の話は、その場に居た人しか語れない具体的な内容だった。彼らの話は彼らの見た事実、それぞれの真実と信じる。

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2006年には画像左上に見えるボート小屋もあったし、池に映り込まれた大木もあった。しかし鯉は消えていた。
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2021年05月08日

消えた鯉6--記者

もし百年以上生息していた多数の鯉が、ある日突然一挙に消えたらどう思うだろう。こんなことが15年前にSP市N公園のS池で起こった。しかも殆ど誰にも知られずに。余りにも不可解で忘れられない。今回は6回目を書いている。80歳にもなれば、記憶力に反比例して思い込みが強くなることは自覚している。それでも黙っていられない。

ところで、マスコミは報道のかなりの部分を官庁に依存している。そうすれば、取材費用を安く抑えることが出来る。大新聞といっても経営は楽ではない。購読料、広告で収入を確保する一方、支出も抑えなければならない。これを無視したら会社は成り立たない。 

新聞と官庁は、時には対立することもあるが、基本的には相互依存関係にある。事実を書くのが新聞の義務、そして書かないのは新聞の権利? 官庁が特定の記事を抑えることはよくあることだと聞いている。

今まで謎と思っていたことも、そう考えれば当たり前。着任早々のA記者は積極的に取材を進めてきたが、ある日突然、豹変した。記者である前に社員と考えれば、当然の行動と理解できる。 

当初は新聞記者として積極的に行動した。しかし、上からの圧力を受けて、社員であることを自覚した。大きな新聞社に勤めていれば、沢山の読者に読んでもらうことが出来るし、生活も安定する。社員の身分を棄てられる記者は滅多にいない。これがドラマと現実の違うところだ。

最初に、A記者が公園管理事務所、SP市公園課を取材したときには、関係者の間で、既に隠蔽することが決まっていた。だから、そんな事実はないと直ちに否定した。普通だったら、大新聞の記者が取材に来たら「調べてみます」くらいは言うはずだ。

余りにも不思議だから、毎日のように池に鯉がいないか見て歩いた。2006・7年の2年間、一匹の鯉も見たことがない。事件前は鯉が居るのが当たり前のS池だが、以後は探しても見つからない。音もなく消えてしまったのだ。

全般的には記憶は曖昧だが、2年間観察し、記録していたのだから間違いない。これだけは断言できる。だが、これは私の記憶。見た人が居るかも知れない。自分の体験による記憶が正しいとは限らない。証明するのは至難の業、ノンフィクションを読むたびにそう思う。

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乗り手いない、鯉いない、記者もいないので記者ごっこ。
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2021年03月27日

消えた鯉5--河川工事

前回のブログでパクさんが一部始終を語ってくれた。ただ誰にも言うなとの条件付きだ。個人間の約束は重く、15年たっても破る気になれない。傷害罪の時効なら10年なのにね。

驚くべき事実を、そのまま書く度胸はない。記憶にあることを淡々と書いてみた。強烈なパクさんの話だが、私が書くと穏やかなものに変わった。ともかく精一杯やってみた。

N公園の管理は長い間、SP市公園R協会(以下、R協会)が行っていた。しかし、2005年の入札でSPパークマネジメントグループ(以下、パークMG)が落札し、2006年4月から公園管理はパークMGに委任された。 

N公園百年の歴史の中で初めての、一般競争入札による管理者交代である。このような背景の中で「鯉の全滅事件」が起こった。交代したばかりのパークMGにとっては降って沸いたような災難だった。これからの仕事に大きく影響するので、明るみに出ないことを願っていた。

鯉の死骸が浮いて来たのは交替したばかりの4月だが、鯉の全滅は凍結した氷の下で起こったこと。当時、公園管理をしていたR協会に責任があるはずだ。パークMGとしてはこの点でも受け入れ難い出来事だった。

鯉の全滅はこうして起こった。河川工事を請け負ったカラス組は河川工事実施予定を、R協会など関係機関に通知した筈だ。カモ川から一部の水はS池に流れ込み、再びカモ川本流に合流する。表面は凍結しても水の流れは保たれている。 

このようにS池は、公園内を流れるカモ川から適量の水が流入することにより、池の生態系を維持してきた。しかし、工事により水の供給が極端に減り、池の中の酸素が欠乏した。その結果、鯉が酸欠を起こし全滅したと考えられる。

こんな事情だから、全滅事故当時の公園管理者であるR協会も隠して置きたい。原因を作った河川工事を実施したカラス組は、もちろん隠したい。

参考画像:川の下に導水管を敷設する工事
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川の水を止めて川底を掘る。水はホースで流す。

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川の底に埋める直径1メートルの導水管。

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河川工事の目的は、遥か彼方のバラ川を浄化する為、今までの5倍の水量を送ること。しかし、公園内の川は子供たちの水遊び場になっている。水難など危険防止の為、川底に導水管を敷設して大部分の水を流すことにした。

ところで、公園管理と河川工事の両方の監督官庁であるSP市も隠したい。こうした背景があって「鯉全滅事件」は隠蔽することで、関係者による意思統一がなされた。後はマスコミ対策だけである。

そこで思い出すのが鯉はどこへ--全滅で書いたH新聞A記者の言葉、要約すると次の2点である。N公園管理園事務所やSP市公園課を取材したら、そのような事実はないと直ちに否定したこと。管理事務所は公園内のS池なのに、池は関係ないと言ったこと。この二つが腑に落ちない。

新聞社が隠蔽に加わることはないと思うが、取材するかしないかは社の自由。このような状況下で鯉は全滅した。マスコミに載らないことは無いに等しい。次回はこの辺りを考えてみたい。(消えた鯉シリーズはフィクションです)

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2021年03月20日

消えた鯉4--証言者

あれから約2ヶ月たち、私の疑問はほぼ解消された。パクさんが「消えた鯉事件」の一部始終を教えてくれたのだ。本題に入る前に、私の想い、N公園の生い立ち、パクさんの人柄等について触れて置きたい。

老後はノンビリと過ごしたい。そう思って事実の追及は諦めた。事実は一つ、真実は複数。私なりの真実を語りたい。余生は穏やかに送りたい、と思いながらも気分は晴れない。

日本の代表的都市公園は東京都の日比谷公園と思う。1893年に東京市が軍から払下げを受け、跡地を日比谷公園と命名した。それから10年も遡るが、北海道SP市に隣接するY村の一部を公園にする動きがあった。そして、1886年にはSP市N公園の前身であるN遊園地が誕生した。

N公園は民意で誕生した公園として知られている。長い間地元の人々に愛されて来た、歴史ある公園である。現在も多くのボランティアによって支えられている。
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N公園内を流れる川とその周辺を清掃する近所の住民。札幌市公文書館所蔵

ユニークなのは、一人で活動する個人ボランティアの存在だ。パクさんもその一人、N公園を陰で支える代表的公園ボランティアである。仮名をパークさんとしたいが、縮めてパクさんとした。古くからN公園の近所に住み、公園とその関係者を熟知している。そして誰よりも親しんでいる。時には意見の違いで喧嘩もする、熱血公園爺さんである。

鯉の消滅から2ヶ月たち季節は夏になっていた。パクさんは何時も公園をブラブラして、いろいろな人と立ち話している。私もときどき話すことがある。その日は公園での自殺の話をしてくれた。
「ここではな、毎年のように自殺があるんだ、今年も二人死んでいるんだ。日本庭園とボート小屋近くであったな。あんたは知らないと思うが、自殺は絶対に新聞にでないよ」

知らないと決め付けられて、口が勝手に動き出した。
「新聞に載らない話はもう一つありますよ。S池での鯉の全滅です」と言って、話しはじめると、パクさんの表情がみるみる険しくなってきた。
「あんたかい?ラジオでぺらぺら喋ったというのは! みんなが迷惑しているんだ。どうゆうつもりで嗅ぎ回っているのか知らんが、公園で働いている人の中には生活がかかっている者もいるんだよ」

ああ、言うんじゃなかったと思っても、もう遅い。話しだしたら途中では止められない。
「子供たちが池の主と呼んでいた鯉が、全滅してしまったのです。原因が分からないから心配なのです。いいですか、鯉がいなくなっただけでは済まないのですよ! この公園が壊れ始めているのです。役所は無関心だし、新聞は知らん振り。こんなことで本当にいいのですか!」

「あんたの言うことも分かる。俺だって鯉がいなくなってガッカリしているんだ。本当のことを教えてやるから、誰にも言うなよ」と念を押しながら、一部始終を語り始めた。

その内容は経験した者でなければ語れない、多くの事実を含み、私の疑問はほぼ解消された。驚くべきことはその内容である。フィクションと言っても、そのままは書けない。一呼吸置かして欲しい。
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2021年03月13日

消えた鯉3--深まる謎

2006年から約4年間、10名ぐらいの仲間と共に地元について語るFMラジオ番組「Y町、毎日いい天気!」のボランティア放送委員をしていた。SP市N公園はY町の代表的施設なので、公園について語ることを頼まれたのだ。
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木曜夜の8時は、私が担当する番組「水と緑、歴史と芸術のN公園」の放送日だ。当然、この夜は「消えた鯉」の話題が中心となった。考えてみれば、鯉が消える筈はない。「N公園で鯉の死骸を見た人はいませんか?」と呼びかけたが、残念ながら目撃情報は得られなかった。

一時間の放送が終わると「喉が渇いたね」と言って、ゲストさんと二人でビールを飲みに行った。話も弾み時間を忘れ、帰りが少し遅くなった。家に帰ると妻が怒っていた。「あんた、何処に行ってたの! H新聞から何回も電話がかかって来て大変だったんだよ」と大さわぎ。

午後11時を過ぎたばかりだが、早寝の妻にとっては真夜中に起きた大迷惑。極めて機嫌が悪いが、何の電話だろう? 捉えようのない不安を覚え、なかなか寝付けなかった。

寝不足の朝を迎えた。不安を解消するには、行動しかない。A記者にコンタクトをとろうとして、H新聞社に電話したが不在だった。その後、メールを送っても返事は来なかった。こんなことは初めてだ。

今までは彼が積極的に動いて、私は協力する立場だった。一体何が彼を変えたのか? 解せないことばかりだ。ともかく、大量の鯉の死骸を見た人を探すのが先決だ。記者と連絡が取れても手ぶらでは話にはならない。

三日間必死に探して、やっと証言者を見つけることができた。「鯉は100歳まで生きるといわれているんだよ。でっかい死骸がゴロゴロしてたぞ! 何でこんなN公園始まって以来の不祥事が新聞にもでないんだ」。

新聞社に電話をかけたが何の反応もないと不満顔だった。オジさんは怒っていた。「H新聞のA記者がこの事件の担当です。差し支えなければ電話番号を教えて下さい。お宅に連絡させますから、今言ったことを記者に話して下さい」。

オジさんは喜んで電話番号を私の手帳に書いてくれた。これにて一件落着という気分で、意気揚々として新聞社に電話したが不在。「証人を見つけてくれたら、徹底的にやる」と言った記者の言葉を信じて、メールを何回も出した。だが返事がない。一体どうしたことだ。考えたくはないが居留守?

上からの圧力があったのだろうか。彼はは20代の駆け出しで着任したばかり。しかし、なぜそのようなことをする必要があるのだ。放送日の夜にかけてきた電話は一体何だったのだろう? 謎は深まるばかりだ。
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2021年03月06日

消えた鯉2--全滅

知識も能力も無いから、気の利いたストーリーなど思いもよらない。それに比べると事実は百倍も面白い。しかし、ノンフィクションは書けない。調べるのは大変だし、事実と証明するなんて、私には不可能。それなのに、書いたり空想したりするのは大好きだから、困ったものだ。

事件はこうして始まった。2006年の春、SP市N公園のS池で、大量の鯉が突然消えた。原因はおろか「いつ消えたのか」さえ分からない。ある日突然いないことに気がついたのだ。以後2年間、この池で鯉の姿を見ることはなかった。

以前は、いたるところで泳いでいた鯉が突然パッと消えた。当局からの発表もなければマスコミ報道もない。何故だろう? SP市S池に鯉が初めて放されたのは明治23年(1890年)のことである。画像は札幌市公文書館所蔵。
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それから116年たった春のことだが、凍結が融けてみると池の中の鯉が、一匹残らず消えていた。

春になると表面に張っていた氷が融け、水温は徐々に上がる。そして、S池にボートが浮かぶ頃になると、池の底に眠っていた鯉が目を覚まし水面に姿を現す。この時期になると、春の陽気に誘われるようにして、公園を散歩する人たちも次第に増えてくる。

デジカメで池に向って写真を撮っていると、見知らぬオバさんに声をかけられた。「鯉が見えないでしょ。みんな死んじゃったのよ。工事で水を止めたから酸欠をおこして死んじゃったの。子供たちが池の主といっていた大きな鯉が、一匹残らず死んじゃったのよ。悲しいよね」。オバさんは怒っていたが、私は信じられなかった。

「そんなことないでしょう。地下鉄工事で池の水を抜いた時だって、鯉は養鯉業者に預けていたんですよ。川の工事で酸欠が予想されるなら、その前に何処かに移すでしょ。ここの鯉は昔から大切にされてきたのです。心配ないですよ」。

とは言ったものの、気になって池のまわりを鯉を探しながら歩いたが、一匹の鯉も見つけられなかった。ボート小屋のオジさんに聞くと「寒いからまだ、池の底に潜っているのだろう」と気にする様子もない。何か変だ。既に温かくなっている。鯉が泳ぎだすほどの陽気になっているのだ。何か胡散臭い。オジさんが横を向きながら話しているのも気になった。

10人以上の「散歩の常連さん」に聞いてみたが、見た人は誰もいなかった。中には「私はウオーキングに専念しているから、池なんか見てないよ」という人もいたが、大部分の人は「不思議だ」と言って、首を傾げていた。いろいろ調べたが池に鯉がいないことがハッキリしたので、H新聞社に知らせた。さっそくA記者が取材に動いた。素早い対応に感謝。しばらくして記者から電話が来た。

「公園事務所やSP市公園課を取材したのですが、おかしいですね。まったく関心がないのですよ。住民も、なぜ騒がないのでしょうね。百年間続いた環境が破壊される可能性だってあるんですよ。原因が分からないのですからね!」

着任早々、この事件に遭遇した記者は義憤を感じているようだ。特に、公園関係者やSP市住民の無関心ぶりには呆れているようだった。

「公園事務所では池は関係ないと言うんですよ。公園の中の池ですよ。そんなことってあるんですかねぇ。取材に行っても何もないの一点張り、取り付く島もないんです。ともかく、現場を見た人がいなけりゃ話にならんですよ。見つけてくれたら徹底的にやりますよ!」

少なくとも100匹以上はいた筈だ。鯉がこんなに沢山一度に死んだのなら、死骸を見た人や、片付ける現場を見た人がいると思う。魔法じゃあるまいしパッと消えるはずがない。何とかして「証人」を見つけたいと思った。オバさんは現場を見たと言っていたが、その後会うことはできなかった。

2週間一生懸命探したが、現場を見た人にも死骸を見た人にも会えなかった。まったく不思議なことがあるものだ。大量の鯉が一匹残らず、誰にも知られずに消えてしまった。こんな不思議なことはない。この謎は絶対に解いてやろうと決意を新たにした。
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