2017年11月11日

天才ユガワ君

中学時代に同級生だったユガワ君は学校で一番の秀才で後に東大に入った。彼は学校の勉強を全くしていないようにみえた。ユガワ君の家に遊びに行っても本棚には教科書とか参考書の類を見かけない。目立つのは「無線と実験」とか「ラジオ技術」などの無線関係の本、それに落語全集と言うありさまだ。

ユカワ君は落語が得意で自習時間によく話してくれた。頭がいいから尊敬されているし落語で笑わしてくれるので人気もあった。それなのに何故か孤独な感じがする。私も一対一では近寄りがたいので遊びに行くときはいつも三人一緒だ。メンバーはコメヤ(米屋の息子)、オパーリン(唐辛子屋の息子)、そして私である。

ユカワ君は1級アマチュア無線技士の資格を持っていた。当時の中学生が取得できる最高の資格だ。無線通信は最先端の技術でユガワ君の部屋は科学の匂いがプンプンしていた。アマチュア無線をやっているコメヤに連れられて行ったのだ。

部屋にはラジオとか送受信機や、その部品などでいっぱいだ。アチコチに噛んだガムを張り付けていた。「これはなに?」と聞くと絶縁に使うと言っていた。噛んで捨てるだけのガムが再利用されている。さすがに天才はやることが違うと感心した。

4人の共通点は学校の勉強をしないことだった。ユカワ君はしなくても学校一の秀才だ。オパーリンは、背伸びして『生命の起源』の勉強を熱心にしていた。コメヤは遊んでいても私立の高校に行ける身分だ。私は高校には行かないので勉強する必要がない。実験と称して理科室に入りびたって遊んでいた。今では考えられないが、ちょっと危ない化学の実験などを自由にさせてくれるのだ。

不思議なことにオパーリンの家に行ってもコメヤに行っても家族に会ったことがない。ユガワ君の家では優しそうなお母さんが紅茶とお菓子を持ってきてくれる。私が行く中で唯一の家庭を感じる家だった。我が家は6人家族で6畳一間のあばら家だから友達など呼べない。とりとめのないことを書いてしまったが、私にとっては唯一の楽しい思い出なので、ぜひ記憶に残してして置きたかった。

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2017年11月04日

老人力がついた

赤瀬川先生が20年前に提唱した老人力が私にもついた。歳だ認知だと言われるより老人力がついたと言われた方が気分がいい。スポーツ、ゲーム、カラオケ、何をやっても劣っているのに、自分は頭がいいと思い込んでいる。老人力の成せる技だ。

そう思い込むにはそれなりの理由がある。高校も大学も行かなかったので頭のいい人と机を並べて競った経験がない。そのため勉強で人に負けたことがないのだ。もちろん勝ったこともないが、これでいいのだ。老人力の最強アイテムは良いとこ取りだから。

未だに勉強だけは「やれば出来る」と思い込んでいる。やらないからそう思い続けることが出来るのだ。実はホンの少しだが勉強したいと思う時期があった。安定した職について飯が食えるようになった24歳のときだった。

法律の勉強をしたくて通信教育を受けた。しかしレポートを提出しても添削もしないで「立派なレポートです」とか一行書いて送り返して来るだけだった。それに比べての話だが老人になってから2年ばかり新聞にコラムを書いていた。その時は修正・削除・訂正が山ほどあった。担当者に直してもらっていたのに原稿料はキチンと振り込まれた。

ところが通信教育ではお金を払っているのにレポートを読んだ形跡がない。闇の中だから何事も疎かにされる。一方、コラムの執筆は公開されるので疎かにはできない。同じように一生懸命書いても相手の都合でずいぶん差があるものだ。通信教育は1ヶ月で止めた。長い人生の中では一瞬の勉強体験だった。

教養が無いだけならいいけれど、運動・碁将棋麻雀、勝ち負け・順位等、客観評価を伴うものは全部ダメだ。とりあえず歌って楽しく暮らしたい。音痴だが老人力で恥を緩和させている。この力をパワーアップして更に高いステージを目指す計画がある。頭がいいから何でも考えられるのだ。自慢してゴメン。

百歳になったらのど自慢に出るのだ。高齢者には別枠があるらしい。昔なら80歳くらいでよかったが高齢化が進んだので三桁は必要と思う。百歳なら立って歌えれば充分だ。身体の方は自然に衰えるので、せめて老人力だけでも精一杯働かせて一段上のステージを狙いたい。生かされいることに感謝しつつ夢想している。

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2017年10月28日

米屋の息子が探偵?

悪戯三人組の中になぜ米屋の息子(以下コメヤ)が入っていたのか未だに分からない。オパーリンと私は変わり者同士だがコメヤは普通だ。それなのにオパーリンと一緒に何かするときは、いつも彼が居る。ロケット発射実験?の時も化学実験の時も居た。

コメヤは卒業後、私立高校から私立大学へと進んだが、勉強する代わりに社交ダンスと恋愛ごっこに熱中した。私が中学を卒業して就職した後も折に触れて会っていた。こうして二十歳くらいまで何となく付き合っていた。

後で知ったことだがコメヤの父親は裏の仕事を持っていた。それは金貸しだった。母は米屋を高橋さんと呼び何かと頼りにしていた。どうやら土地を担保に金を借りていたらしい。彼が玄関先でお茶を飲んでいるのを見た記憶が幾度かある。しかしコメヤの父親とは知らなかった。浅黒いギョロ目の丸顔でハンチングを被っていた。

コメヤは住宅難の当時としては珍しく自由に使える部屋を持っていた。遊びに行っても家族の姿を見たことがない。時には寝転びながら先生や同級生の悪口を言い、意味もない雑談をすることもある。ところで母は金に困ると高橋さんに借りているようだった。母は貧乏なのに金遣いは荒い。困れば高橋さんが助けてくれるからだろう。

気になるのはコメヤが私と付き合った期間だ。母が高橋さんから金を借りて土地を取られるまでの期間とほぼ一致していた。土地を売り清算が済むと同時にコメヤとの付き合いはなくなった。コメヤは遊んでいるように見えたが父親を助けていたのかも知れない。

副業としての金貸しは、かなりシンドイ仕事だ。貸金を踏み倒される危険もある。担保を取って契約書に印鑑を押させても万全ではない。暴力団が介入する余地は残っている。コメヤは私を通じて何気ない会話の中から我が家の様子を探っていたのかもしれない。

誰もが家の仕事を手伝う時代だった。酒屋の息子が御用聞きや配達をするように、金貸しの息子が家業の手伝いとして探偵をしていたとしても不思議ではない。考え過ぎだろうか。それともこんな私だから友が去るのかな。

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 中学時代

2017年10月21日

オパーリンの化学実験?

それほど気が合うわけでもないのに何となく付き合っている友がいた。考えててみると二人とも友達が居ないからだ。私と唐辛子屋はそういう仲だった。彼のあだ名はオパーリン、これからはそう呼ぶことにする。オパーリンは比較的裕福な家庭に育ち、一見優男風だが桁外れの変わり者である。ソヴィエト連邦の生化学者オパーリン博士の「生命の起源」を信奉し誰彼構わずその話をするのだ。

「オパーリンは偉大。オパーリンは生命を作る。オパーリンはダーウィンの再来だ」と熱っぽく話しても誰も聞かない。その代りにオパーリンと言うあだ名が付いた。「生命の起源」など普通の中学生には難しすぎる。先生でも理解できないかも知れない。

オパーリンの提案で無届の化学部ができた。メンバーは三人だけだが放課後に理科室で実験をした。彼は「最終目標は生命を作ることだが、先ず簡単な無機質から始めよう」と言って硫酸と亜鉛から水素を作る実験をした。細かいことは忘れたが、オパーリンが「化学では証明が大切だ」と言って水素らしき気体に火を付けたら爆発した。

突然パーン、パン、チャリン、ガチャンと理科室内が騒がしくなり、異変に気付いた先生が血相変えて駆け付けた。陸軍士官学校出身で痛いビンタを張ることで恐れられた先生だ。身体がブルブル震えてきたが、意外にも先生は怒らなかった。「栓が抜けてよかったな。フラスコが爆発したら今ごろ失明だ」と言いながら安全な実験方法を教えてくれた。

挨拶しない、廊下を走る、遅刻したとか細かいことでは、よく叱られたが不思議なことに大失敗ではお咎め無し。工事現場でのロケット?爆発の時もそうだった。子供の責任では負い切れない程の大失敗をすると、大人は人身事故にならなかったことに安堵する。そして叱るのを忘れるのだ。もちろん私は深く反省したがオパーリンはどうかな? 心の内が見えない人だった。

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2017年10月14日

謎の宇宙旅行協会

愚か者だが中学生の頃はもっと愚かだった。月世界征服(米1950年)という映画に感動して宇宙への旅を夢想した。その第一歩として宇宙旅行協会に入会。月一回発行されるガリ版刷りの会誌にはロケットの作り方が書いてある。簡単そうなので作ろうと思った。

心細いので唐辛子屋の息子と米屋の息子を誘った。この三人は小学校も一緒の悪戯仲間だが、どんな人物かは朗らか先生と真面目先生に書いたので省略する。三人寄れば文殊の知恵で何とか全長30cmのロケットを作り上げた。先ずは試したかったのだ。

人口密集地の渋谷でロケットを発射する場所は大きな道路の工事現場しかない。調べると12時から1時間は昼休みの為、工事現場が無人になることが分かった。準備に30分はかかるとして12時29分にカウントダウンと決めた。「スリー、ツー、ワン、発射!」と映画のようにカウントして導火線に火をつけたが、ロケットまで届かないうちに消えてしまった。予備の導火線に付け替えたりいろいろ試したが、どうしても点火しない。

想定外のトラブルであせった。1時には作業員が戻ってくるので時間がない。万策尽きてロケットを上に向けて立て、その周りで焚き火をした。最低限、点火だけはしたかった。だがどっちに飛ぶか分からない。20mほど離れた物陰に隠れ首だけを出して見守った。

突然の大音響にビックリしてロケットを見るのも忘れた。どこに飛んだかも分からない。慌てて火を消し辺りを見渡すと、休憩所から作業員が飛び出すのが見えた。恐怖におののいたのはつかの間だった。遠くから「おーい大丈夫か〜」と心配そうな声が聞こえる。どうやら逃げなくてもいいらしい。見つかったら叱られる。ただじゃすまないと思っていたのにお咎め無し。なぜだろう? 宇宙旅行協会って何だろう? 当時の住所は枚方市だった。

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