2022年03月24日
更新休止のお知らせ
2022年03月19日
パソコン落ちこぼれ
2022年03月12日
その手は食わない
2022年03月05日
良い食べ手
2022年02月26日
天才募集
2022年02月19日
誰が7億円当てたのか
2022年02月12日
退職したら家事は半々?
待ちに待った「ハッピーリタイアメント、さあノンビリするぞ!」と喜び勇んだのは、つかの間。厳しい現実が待っていた。期待に反して、なんだかんだと居心地が悪い。しばらくすると自分の立場に気付いて愕然とした。
我家はいつの間にか妻の支配下にあり、私は単なる新入りに過ぎなかった。二人にとって「家でノンビリ」は長年の夢。ここは天下分け目の関ヶ原、お互いに負けられない状況だ。私は創意と工夫で、この難局を打開する決心をした。妻も自分の城を守る決意は固く一歩も譲る気配はない。
新入りの私は、先ずは敵を知ろうと威力偵察。半年もすると、二人暮らしのコツを覚えた。嫌・駄目・出来ないはご法度。一生懸命やる必要はない。とりあえずは「うんうん、それもいいね」と首をたてに振れば、万事OKだ。
「家事は半々」と言われても驚くことはない。「うんうん、それもいいね」と言って置けばいいのだ。別に、何時からと言われた訳ではない。だが「明日からやって」と言われたら、少々知恵を働かさなければならない。
「うんうん、いいね」は決まり文句だから、そのままで良い。難しいのは後半だ。間違っても「出来ない」と言ってはいけない。そんなこと言ったら、厳しい訓練が待っている。妻は決して甘くはない。「予定があるので三日後からやります」と、とりあえずは先送りする。三日後に同じことを言ってくることは滅多にない。
敵の弱点は充分研究してある。妻は忘れっぽいのだ。しかし、忘れっぽい妻が三日も覚えていたとしたら、ただ事ではない。毅然とした対応が迫られる。
「食事は支度から皿洗いまで私がやりましょう!」
「ホント? 頑張ってね」
「ご飯できましたと言うまでテレビでも見てて下さい」
「上げ膳据え膳ね」
「出したものは残さず食べてください」
結局、三日ももたなかった。私は「良い作り手」になれなかったし、妻は「良い食べ手」になれなかった。そして、其々の得意分野を生かすのが良いと悟ったのだ。事態は何も変わらないのに争いはなくなった。ポイントは家事は半々、との提案に両手を挙げて賛意を表したことにある。こんなことで良いのだろうか。小ズルくて(^-^;) ゴメン
2022年02月05日
心の中の目
先日、久しぶりに兄から電話があった。長話になったが、お前、とても良い人と一緒になったねと言われて答えに窮した。素直に「はい」とは言えないのだ。と言うのは私が十年以上もかけて悪妻を優しいお母さんに作り替えたと思っていたからだ。今考えると正直で良い人に巡り会ったと思う。
母親には恵まれなかった。食卓を一緒にした記憶がないし、愛された記憶は全くない。子供の私は常識が邪魔をして、母親の本心を見抜くことが出来なかった。生活保護と私の親孝行に頼る自分勝手な人と気づいたのは二十歳の頃だった。
話は戻るが、定年退職をきっかけに妻とのトラブルが始まった。この先は二人で暮らすしかないのだから、自分が変わることにより、相方を優しいお母さんに変える決心をした。長年夢見ていた、憧れのお母さんを作ることにしたのだ。
二人暮らしは単純だ、相方は自分を映す鏡のようなものだから、変えたいのなら自分が変わるしかないのだ。それを知らなかった私は丁寧に説明して理解を求めたが、全く効果がなかった。考えてみれば当たり前だ。相手は鏡の中の私だから。クドクド言って聞かせても反発されるだけで、話など何も聞いてもらえない。言うだけ無駄だった。
とは言え、現状は悲惨だから変えなければならない。ヒントはドラマの中にあった。ヒーローは変身して自分を変えることで、周囲を変えていく。一対多数だから大変だ。とても普通の人にできることではない。ただし、二人暮らしなら話は別だ。相手は一人なので一対一、普通の人でも相手を変えることが出来る。簡単に言えば、自分が優しくなれば、いずれ相手も優しくなる。態度を改めれば良いのだ
先ずは絶対服従と決めた。そんなことかと思うのは、現実を知らない人の反応だ、冷たい戦争中の二人暮らしは会話も接触も少ない。従って、服従するチャンスも少ないのだ。四六時中、絶対服従、絶対服従と心の中で唱えていなければ、千載一遇である服従のチャンスを逃すことになる。
チャンスを捉えるより大切なことがある。それは、服従しながらも優しい目をしていること。それがなければ相手を変えるのは無理。そして、会話も接触も少ない時は、相手が変わるとしてもホンの少しである。しかも、こんな状態が延々と続くのだから辛抱が必要だ。
心が折れそうになっても私には、優しいお母さんを得て幸せな暮らしをするという、最終目標がある。「求めよさらば与えられん」とは本当だった。お母さんと呼べる人は居なかったが、妻を優しいお母さんに作り替えてしまった。
「肝心なのは目力、力を付けるのに5年はかかりますよ」
「目力?」
「目はその人の心の中を映し出す鏡と言われています」
「それがどうした」
「目を見れば、その人の心の様子が分かるのです」
「本心がわかるのか?」
「態度が服従でも目が反抗していたら逆効果なのです」
「なるほど、肝心なのは目力だな」
「そうなんです!」
「アンタ、目が赤いぞ。力の入れすぎだよ」
2022年01月29日
耳は不思議ね
幸せ本線に乗っているから悩まない。苦しいことがあっても治れば直ぐに本線に戻ってしまう。ところで、耳が悪くなっても自分では分からない。だが、今のテレビは音量をデジタル表示してくれる。音量を上げれば数値が上がるので、嫌でも難聴を自覚してしまう。
目には老眼鏡、歯に入れ歯、ついに耳には補聴器になってしまった。一般社会をを戦場に例えれば、私は無敵の特殊部隊の隊員と空想した。暗い所では暗視鏡、耳は高性能受信機を装備して世の中で戦っている。しかし、入れ歯の隊員を空想できなかった。高性能入歯で噛付きとかどうかな?
難聴は不思議だ。聞こえてくる方向が分からないし、大きく聞こえる音もある。洗面所で歯を磨いていると、少し離れた居間からお母さんの話し声が聞こえ、電話かなと思った。声が緊張しているのが気になって居間に行った。そこには誰も居なかった。トイレ前にスリッパがないのでトイレでもなさそうだ。電灯が点けっ放しなのに気付いて消した。
突然、玄関の方から大きな声がしたが、緊張感が更に増している。一体どうしたのだろう? 玄関に行ってみたが誰もいない。覗き窓から外を見ても誰も居ない。その時、お母さんの叫び声が聞こえた。外ではないらしい。一体何があったのかと緊張して戻り、トイレの前でお母さんを見つけた。
「人が入っているのに、何で電灯を消すのよ」と立て続けに叱られた。そう言えば、あの時はかなり怒った声だった。私も緊張して玄関に走った。状況把握も方向も間違っていた。補聴器は付けているけれど、左耳だけだ。右耳は聞こえないので方向が分からない。私は不思議だと思いながらも錯覚を楽しんでいた。スリル満点で緊張したが神秘的でもあった。
難聴は不思議だ。音の世界が変わる。方向、音質も変わる。補聴器を付けても大きくなるだけで聞きにくいときもある。感覚が今までの自分と変わるから不思議だ。
2022年01月22日
浅知恵
世の中は思い通りには行かないものだ。一生懸命調べて考えたのに、悪知恵と一蹴されてしまった。
定年退職して家でブラブラしていた頃、ある新聞記事が目を引いた。見出しはこうだ、「妻が怖くて退職言えず…」「生活費稼ぎの為ひったくり」。当時は妻と二人暮らしで、何かと虐げられていた。他人事ではなく身につまされる記事だった。私だって妻が怖いから働いているフリをしたい。
ならば、給料をもらっているフリもしなければならない。幸い私にはへそくりがある。新聞記事の男みたいに「生活費稼ぎの為ひったくり」などをする必要はない。使いきったら失業したと言えば済むことだ。何よりも「仕事しています」と言う雰囲気を出すことが肝心だ。
先ずは就業規則だ。勤務時間は10時から16時、週休三日制、年次休暇は50日。こんなものでどうだろう? これで規則に基づいて働いている感じが出てくると思う。役職は課長ぐらいにしようかな。時には上司に言われて仕方なく、と言えるような歯止めも肝心だ。何から何まで自由では「働いている感」が滲み出てこない。
名刺は業者に頼む、パソコンで作ったような名刺では課長の貫禄が出てこない。給料明細書はパソコンで作れる。幸い私はプリンタを持っていない。妻はネットプリントでコンビニで出力とは夢にも思わないだろう。ネットでもらった暗証番号をコンビニの多用途プリンタに打ち込めば、20円で明細書が印刷される。経費としては安いものだ。
大切なのはオフィスだ。これがなくては折角用意した課長の椅子の置き場がない。実は耳寄りな話があった。ある人が事務所に借りたワンフロアの半分を自分が使用して、残りを又貸している。6脚の事務机があって、事務机1脚分の場所を月9500円で貸してくれる。電話の取次ぎもしてくれるし、郵便物なども各机ごとに振り分けてくれる。しかも、一階が喫茶になっているので、お客様の応接も出来るのだ。
これなら名刺に固定電話の番号も入れられるし、住所も世間に知られた伝統あるビル名を使える。勤め先オフィスとして、充分機能するのではないか。長年連れ添った妻を騙すには最低限、この程度の準備は必要だ。
新聞記事の男は、妻が怖くて退職したことを言えなかった。その気持ちは分かるが、何の準備もしないで働いているフリはまずかった。それが「生活費稼ぎのためにひったくり」に繋がったのかも知れない。配慮が足りなかったと思う。
「何を考えているのか知らんが、働きたいのなら真面目に働け。働いているフリなどとんでもない!」
「友人の友人が4月の(本職)移動で地方に転出するそうです。そこを借りられればオフィスの問題も一 挙に解決して、憧れの『仕事』ができるのです。楽しみですね」
「アンタは人の言うこと、何も聞いてないね」
「奥さんが怖くてひったくりなんて可哀想ですよ」
「俺は悪知恵が働くお前より、ひったくり男が好きだな」
「そうですね。私もです」
2022年01月15日
さえずりたい
昨日、久しぶりに長電話をした。話しの中でAさんが自分自身の壮絶な人生を語ってくれた。とても感動したので、私も40年以上前のことを打ち明けたくなった。それは「音痴なのに歌うな」と叱られた情けない話だ。初めて人に話してスッキリした。簡単に言うと次のような出来事だった。
職場の懇親会で皆が順番で歌うことになった。大きな会場なので遠慮したが、歌えと言われて歌った。三日ぐらいして、近所の友人三人で飲む機会があった。散々飲んで12時を過ぎた頃、目の据わったB君に「お前は音痴なのに何故歌うんだ」と叱られた。頼まれても歌ってはダメだと絡んできた。家に帰ったのが午前2時頃だから、随分長く絡まれていたものだ。
B君はベロンベロンに酔っ払っていて、このことを覚えていなかった。彼はほとんど意識のない状態で、胸に溜まっていたことを一気に吐き出したのだ。正直に言ってもらって目が覚めた。私が歌うと不快に感じる人がいることが分かったのである。以後、25年間人前で歌ったことはない。
それなのにカラオケに行くようになったのには訳がある。65歳の時、Cさんにカラオケに誘われた。Cさんは、あるカラオケ会に入ったが歌えないので練習をしたいと言う。練習仲間として選ばれたのが、音痴の私と仲良しのDさんだった。ビールがジョッキで一杯付いて、150円と言う破格の安さだ。それに三人で三回の誕生日にはケーキが付く。法人カードを持っていて、各種割引を駆使するとこうなるそうだ。
その頃、地元を語るFMラジオで放送委員の一人として中島公園の話をしていた。公園だけで1時間はもたないので、私が所属するシニアネットのカラオケ会の会長にゲストのお願いをした。カラオケ会を知る必要があったので、取材のつもりで例会に参加した。歌うつもりはなかったが、無理矢理舞台に立たされて(楽しく)歌ってしまった。カラオケは健康にもいいのですよと誘われ、その後の例会にも参加するようになった。
当時のカラオケ会は酒を飲みながら歌うのが普通だった。私は酒に弱いので直ぐ酔っ払って、我を忘れて歌ってしまう。それから10年もすると、飲まないで歌うのが普通になってきた。それでも私はさえずりたいのは、動物としての本能かも知れない。小鳥のようにピーチクパーチク。皆様のおかげで楽しく歌わさせてもらっている。今は持病とかコロナ禍の影響で休んでいるが、例会に参加できる日が来ることを楽しみにしている。
2022年01月08日
やめましょう
2022年01月01日
明けましておめでとうございます
2021年12月25日
生活習慣は強い
2021年12月18日
雨垂れ石を穿つ
2021年12月11日
公園で出会った二人
2021年12月04日
恥かき人生
私の恥かきは2種類あり、それらが人生を心豊かに楽しくしてくれた。一つは何事も人並みに出来なくて悩む、消極的恥多き人生。もう一つは、能力もないのに、やたらに手を出した積極的恥かき人生だった。いずれも、恥かき最中は一生懸命で後になってから恥ずかしくなった。
何故か長い間、楽をすることだけを目的として生きて来た。今は殆ど全ての家事をお母さんに任せて、楽をさせてもらい幸せだ。「私が長生きできたのは、お母さんのお陰です」と、三日に一度はお礼を言っている。
定年退職後は仕事から解放され自由を謳歌した。羽目を外して出来ない事にまで手を出して散々恥をかいた。これが積極的恥かき人生の始りである。切っ掛けは中島公園についてのホームページの開設だった。
開設1年半後にテレビ局から取材があり、新聞のインタビューもあった。これが切っ掛けで、活舌が悪く満足に話せないのに地元のラジオで中島公園について話した。そして、その道の達人と誤解され、ろくな文章も書けないのに新聞にコラムも書いた。毎回のように担当記者が直してくれた。ここに書いたような文章では新聞には載せられない。
人前で話したことがないのに講演まで依頼され、あちこちで恥をかいて来た。つまり、やらなくてもよいことを沢山やり続け、恥をさらし続けたのだ。そう思ったのは後になってから。当時はやる気モリモリで一生懸命だった。大抵の皆さんが若い時やっていたことを高齢になってやり始めたのだ。
今思うと何か夢を見ていたような気がする。食う為に働く、私にとっては奴隷の様な労働を続けてきた反動だと思う。せっかく自由になれたのだから、何でもやってみようと言う思いが強すぎた。振り返ってみると45年にわたる消極的人生は、現在の幸福感の種になっているような気がする。そして、積極的に恥をかいた定年後の十年も懐かしい。
不思議なことに積極的恥かきは、カラオケ部門で未だに続いている。音痴なのに75歳で始めた洋楽カラオケでは、思いっきり恥をかいた。しかし、歌っている時は何も考えない。伴奏から大きく遅れた時は、懸命に追いつこうとした。ラジオも講演も同じだった。失敗すればするほど真剣になった。
今のように平穏で幸せな人生を送っていると。苦労した遠い昔も、ジタバタ独り相撲を取っていた定年後の十年も懐かしい。恥をかきながらも楽しくて充実していた。
長い間退職後を楽しみにして働いて来たが、期待した通りで良かった。余裕ができたら、恥を全くかかないのも勿体ないと思った。そして、カラオケを残すことにした。
2021年11月27日
キツネとタヌキ
2021年11月20日
念願の立派な病気
自慢するようで恐縮だが、珍しい癌だ。有名人としてはテレビドラマスチュワーデス物語の堀ちえみさんが罹っている。
幼少の頃は健康だった。10歳から元気よく走って新聞を配っていた。その頃は私が配達するのを待っている人がいて、「エライね」とか言ってお菓子をくれて励ましてくれることもあった。そんなことで、配達するのも楽しかった。
それから5年後の春、中学三年になっていた私は、坂を上るのが辛くなり走って配れなくなった。子供の頃、お菓子をくれた人に「新聞が遅い」と叱られた。体調は悪いが、学費は必要なので配達は止められない。今の常識では病院に行くべきだが、その頃、病院に行く人は滅多に居なかった。
働かなければ食ってはいけないが、体調が悪いまま働くのは凄く辛い。何をやっても続かず、8年ばかり職を転々。その結果肉体労働は、どうしても出来ないことが分かった。
何か事務的な仕事はないかと探したが学歴で無理。調べてみると、国家公務員試験だけは、受験資格で学歴を問われないことを知った。つまり、短大卒業程度の中級職も中卒で受けられる。20歳以上28歳未満の年齢制限があるだけだった。
年齢の関係で高卒程度の初級職は無理、27歳まで受けられる中級職を受けることにした。21歳のとき、兄の紹介で「インド通信東京支局」でアルバイトを始めた。実働2時間程度で、6時間は一人で留守番という、楽で暇な仕事だった。誰も居ないから一人で試験勉強ができるのだ。お陰で2年後に航空管制官試験に合格できた。
スポーツを楽しんだり、レジャーも盛んな職場だったが、私の健康状態は相変わらず悪い。仕事が終わったらさっさと寝る。目が覚めたら、本を読んだり、テレビを観たりの休養生活だった。付き合いで飲んだり旅行に行ったりするが、自由時間の全てを休養に当てた。
体調が悪く、息切れがして疲れ安い状態は続いていたので、病院にはよく行って、検査もよくやった。しかし、検査結果はいつも異常なしだ。その度に健康になるという望みは絶たれた。こんな状態が40年以上続き、虚弱体質と諦めた。
2年前は舌が痛くて飯も食えなかった。食える物もあるが塩気があれば痛い。牛乳、生卵、お粥、豆腐等いろいろあるが、塩気がなくては美味しくない。どうか立派な病名が付きますようにと祈った。舌が痛いのに異常なしなら心配だ。舌癌と言われてホッとした。これで痛いのが治る。病名が付くこと、これが快復の第一歩である。
2021年11月13日
片付け恐怖症
2021年11月06日
不安なければ幸せ
2021年10月30日
老人になれない事情
「発音はキャリ・オゥ・キィだ」
2021年10月23日
中島公園で失われた2景観
2021年10月16日
為せば成る
2021年10月09日
内弁慶
2021年10月02日
過去からの贈り物
2021年09月25日
信じても嫌いな人
2021年09月18日
究極の早口言葉
2021年09月11日
似合わなくてゴメン
2021年09月04日
静かな暮らし
2021年08月28日
あたたかきこと
2021年08月21日
消えた鯉10--私の夢
2021年08月14日
母と私-4(そして妹)
2021年08月07日
母と私-3(金貸しのTさん)
2021年07月31日
母と私-2(求めよさらば与えられん)
2021年07月24日
母と私-1
2021年07月17日
埋められた記憶の穴
2021年07月10日
ドウジュンカイの記憶
2021年07月01日
海の日(祝日)とオリンピック
2021年06月26日
消えた鯉9--再会

2021年6月16日現在の豊平館前の池。鯉に再会した2008年から現在まで、鯉が見られるのは豊平館前の池7割、日本庭園の池2割、そして一番大きいS池は、岸から見える範囲が限られるので1割と言う感じだ。生き物の生態は私の理解を超えるので、見たこと思ったことをそのまま書いてみた。