2017年09月09日

ボートは漂っている

中島公園の近所に転居して早くも16年たった。夏のレジャーとして人気の高いボートだが苦手なので乗ったことがない。ただテレビに出たときに1回だけ乗る機会があった。たった15分だが嬉しい体験だ。8年前、UHB「トークDE北海道」の「豊平川花火の穴場、中島公園」という番組を収録した時のことである。

よせばいいのに「花火を見るにはボートからが一番ですよ」とか言ってしまった。地元では新住民とか言われていたのに、突然中島公園の達人とか紹介されてテンションが上がってしまったのだ。案内人の立場もわきまえず、いつの間にか想像でものを言っていた。いつもボートに乗って花火を見る人を羨ましく思っていたからだと思う。

リポーターさんに「じゃあボートに乗りましょう」と言われて焦った。ボートに関しては恥ずかしい思い出がある。例の転覆事故以来ボートに乗ったことがないのだ。蚊の鳴くような声で「漕げないのですが」と言ったら、「いいですよ。私が漕ぎますから」と、あっさり言ってくれた。有難いけれど情けない。

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たった15分だがボートに乗った。「中島パフェ」:中島公園から見る花火大会の変遷

本来ならば中島公園の案内役である私が、ボートを漕いで花火鑑賞スポットを案内すべきである。「達人」としてはとても恥ずかしい。私が名乗った訳ではないがカメラの前では否定もできない。煮えきらないまま達人を演じた。人生は芝居のごとしと言う人もいるが。

「芝居をしています」
「アンタがねぇ。嘘だろう」
「三分間のステージです」
「なんだ、カラオケかぁ」
「私にとっては楽しい猿芝居です」
「主役、脇役、悪役、いろいろあるだろう。アンタの役は?」
「子役です」
「ずうずうしい奴だな。年寄のくせに」
「幼児と老人は下手でも許される。自慢じゃないけど老人中の老人、最高齢です」

伴奏を付け、拍手までしてくれるのだから有難い。オマケに金もかからない。みっともないから止めろと言われても止められる訳がない。代りがあれば話は別だ。何かあるかな?

ところで半世紀ぶりにボートに乗る機会に恵まれた。乗ってみるとやっぱり楽しい。中島公園が違うアングルから見られるのだ。ボートを漕ぐ練習をして、ボート上から中島公園を撮ってみたい。そう思っても嫌な記憶が足を引っ張っぱり未だに実現していない。今年こそやるぞと思って8年たった。年を取ると年月が急速に過ぎて行くのに、私のボートはゆっくりと漂っている。進んでいるのか止まっているのかさえ分からない。

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 後期高齢(75歳以上)

2017年09月02日

百年以上続いた貸しボート

菖蒲池にボートが浮かぶ風景はなんとも言えない風情がある。しかし、私は60年前のボート転覆事故以来乗ったことがない。不本意ながら遠くから写真を撮って楽しんでいる。ボートもボート乗り場も好きだが未だに近づき難い存在だ。

前回の「ボートは怖いよ」に書いたが、「ボートの予約はできますか?」と聞くと管理人さんは自宅の住所氏名電話番号を書いてくれた。電話が無いとは意外だが丁寧な対応に感謝した。数日後、北海道新聞に「涼をはこぶ 中島公園のボート管理人 岩倉孝一さん」という人物紹介の記事が載っていた。私がもらったメモと同名だった。

記事によると乗客の半数以上は初心者だそうだ。安全第一で漕ぎ方も教えてくれると書いてあった。これなら私も乗ってみたいと思った。ボート乗り場が100年以上続いていることは本で読んで知っていたが、今あるチケット売り場が1943年に建てられたとは知らなかった。戦争中に設置された施設が今なお残っているとは驚きだ。
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青色の小屋が1943年に建てられたチケット売り場。

ところで岩倉孝一氏の名前はどかで聞いたことがあると思い、探してみたら我が家の本棚にあった。鴨々川と中島公園の年刊誌「Bocket第1号(2014年9月発刊)」のインタビュー記事である。「札幌のデートスポットを見守り続けてきた貸しボート屋さんのはなし」とういうタイトルの4ページにわたる読み物だ。

「菖蒲池の深さは180センチくらい。ボートから落ちたときは無理に泳ごうとしない方がいい。ボートは浮遊剤が塗ってあって水に浮くようになっているからボートにつかまるといい」。これを読んで更に安心した。文末に略歴。「いわくら・こういち 1938年生まれ。和食花月兼中島公園観光株式会社取締役。中央区中島公園出身。西区在住」とある。

ところで「Bocket第4号」が9月1日の鴨々川ノスタルジア開催に合わせて発刊された。私は「薄野生まれで中島育ちの子鴨」について2004年当時の思い出話を書かせてもらった。
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古民家「鴨々堂(南8条西2丁目)」で売っている。税込み千円。
読んでみたい人も居るかも知れないので、札幌市公文書館に伺いました。Bocket4号はあるそうです。カウンターで聞いてみてくださいと言うことでした。(2017年9月9日追記)

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タグ:札幌
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(2) | 後期高齢(75歳以上)

2017年08月26日

ボートは怖いよ

先日、HP「中島パフェ」宛にメールが来た「ボートは予約できますか?」との問い合わせだった。時々中島公園の管理人と間違えられるのだが質問には答える。ネットで調べれば直ぐ分かると思ったが検索しても何も出てこなかった。

ボート乗り場に行って聞くと電話は無いと言う。予約のために自宅の住所氏名と電話番号を書いてくれた。親切な対応に感謝してボートに乗ってみようかなと思った。実は17歳の頃ボートを転覆させてボート屋の小母さんに大目玉を食らって以来ボートは敬遠していた。

60年も前のことだが鮮明に覚えている。転覆した現場を毎年テレビで見せられるからだ。そこは原爆ドームの前を流れる川だった。8月6日には必ずテレビに出るから忘れられない(貸しボートはかなり前に廃止)。そのたびにカンカンになって怒っていたボート乗り場の小母さんを思い出す。もちろん悪いのは私だが、いろいろ事情があった。

ボートは三人で乗っていて漕ぎ手を交代するために立ち上がって位置を入れ替わろうとした途端にバランスを失って転覆した。映画のスローモーションの様にゆっくりと水が入ってきた。小母さんは「何で転覆したボートをほったらかして泳いで遊んでるんだ」と怒っていた。それでも救助用のボート繋いだボートを漕いで助けに来てくれたのだ。感謝!

泳いで遊んでいたのではない。大切な身分証明書とお札の入った定期入れが川下に流れたので取りに行ったのだ。毎年8月6日にテレビに出るので分かると思うが原爆ドームの近くに大きな橋がある。泳いでる最中に「泳いでる泳いでる」と声が聞こえたので橋の上を見ると黒山の人だかりだ。沢山の人から声援を受けているような気がした。ガンバレ!

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タグ:国内某所
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 求職時代(16-23歳)

2017年08月19日

故郷は他人の街

心の故郷は物心がついてから成人になるまで暮らしていた渋谷区金王町である。しかし、「ただいま」とか言って帰れる場所ではない。40歳半ばの頃だが、勤務地の札幌から東京への出張があった。つい懐かしくなり魚屋真ちゃんの家を見に行った。

魚屋は5階建てのビルになっていた。一階が店で二階以上は住居のようだ。真ちゃんとは売れ残りの魚を売りに歩いた仲だった。詳しくは「子供はつらいよ」に書いたので省略する。彼も当時のことを覚えているだろう。私のことは死んだと思っているに違いない。

しかし、私に限らず、我家の人間が近所だった人に会いに行くことはない。合わせる顔がないのだ。親はあちこちに借金をして、全部返したのかどうかも分からない。子供の私だってどんな迷惑をかけて来たかも分からないのだ。これは我が家に限ったことではない。

戦後の発展に取り残されて渋谷から去った貧乏人共通の状況である。出た人間が戻れるわけがないのだが懐かしい。情けないけれど故郷に対する片思いだ。お金持ちは占領軍、城を失った住民は敗残兵のように都内某所、国内某所へと逃れて行った。 

我家だった場所はビルになり一階は居酒屋になっていたので入って飲んだ。もちろん知らない人が営業している。飲んでいる内にいろいろ思い出した。だが私は一見の客。「ここに住んでいたのです」とか言えない。まして昔話などできるわけがない。

ふるさとは遠きにありて思ふもの訪ねたものの募る寂しさ(笑)

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タグ:渋谷
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 在職時代

2017年08月12日

料理の材料

食材とは料理の材料となる食品だが、ときには意外なものも食材となる。中学一年の頃だが闇屋と間違われて警察に捕まった。歩く姿が堂に入ってたので腕利きの闇屋と間違えられたのだ。渋谷駅を降りて宮益坂を上がり切った所に交番があった。警官は身体の二倍もある大きなリュックを軽々と背負って坂を上る姿を見て疑ったらしい。「中身は何だ?」といきなり聞かれ狼狽えた。この態度が警官の疑いを更に深めた。

リュックの中身を知られたら大変だ。母が一番知られたくない物が詰まっていたからだ。私は警官よりも、怒ると火箸を投げつける母の方が怖い。見栄っ張りだから、貧乏で食えないことをひた隠しにしていた。中身を知られれば怒りは私に向かって爆発するだろう。

品川駅に集まってくる客車の清掃を手伝うと、親方が食べられる物を持ち帰ることを見逃してくれる。操車場には数えきれないほどの客車が全国から入ってくる。膨大なゴミの中には僅かながら食えるものもある。その中から弁当箱を見つけて、ある程度の重さがあればリュックに詰める。ゴミ山は食料の宝庫だ。一家6人が食べるには十分な量を集められる。

「素直に話さないから悪いんだよ」と警官は言った。
「捕まったことは家に言わないでください」
「事情を聞いただけだよ」
「母には絶対に言わないでください」
「誰にも何も言わないから心配するな」

警官は私の年恰好とリュックの中身で全ての事情を飲み込んだ。リュックは大きいが中身は食べ残しが入ったスカスカの弁当箱だ。これが家族6人の夕食に化ける。蒸かして食べるのだが経木で出来た弁当箱は好く燃える。食材と燃料が一挙に手に入るのだから有難い。餓死者がいる一方で弁当を残す人がいる。この格差を埋める作業に意義を感じていた。何処から持ってこようと食品は料理の材料である。徹底的に困れば知恵が出る。

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 中学時代